小6を担任したら…
一 教師の都合と子どもの都合
今年度、中学一年生を担任しています。三年前にも一年生を担任しました。
一年生を担当すると、いつも年度当初に感じることがあります。中学校に馴染めない子がいるとか、特別な支援を要する子がどうとか、そういうたいそうなことではありません。もっと小さな、それでいて中学校としてはとても大切な、譲ることのできない事柄についてなのです。
それは一年生の子どもたちが「テストを受けること」がとても苦しそうだ、ということです。テストが難しいとか、学力が身についていないとか、そういう話ではありません。実は四十五分間、テストを受けていられない、自分が問題を解き終わった後に黙っているのが難しそう、とても苦しそう、そういう意味なのです。
子どもたちに聞くと、小学校ではテストができたら先生に提出すると言います。そして課題をもらい、一人で取り組むことになると言います。「先生は何してるの?」と訊くと、「提出されたものから採点しています」との答え。なるほど、採点業務が他の授業や放課後を侵食しないように、テスト時間内に終わらせてしまおうということなのでしょう。確かにそれは効率的かもしれません。
私も現場教員ですから、そうした仕事術を否定しません。小学校教師の書いた仕事術の本にはこうしたテストの在り方を肯定的に提案しているものも数多く見られます。最近の学校現場は忙しいですから、こうした在り方も「まあ、あり」でしょう(笑)。
ただし、です。それはあくまで、効率的に仕事を終わらせようという「教師の都合」であって、「子どもたちのため」ではないということだけは、小学校教師は意識すべきなのではないでしょうか。勘の良い読者には、もう私の言いたいことがおわかりかと思います。そうです。つまり、中学校への進学を間近に控えた「六年生の後半」くらい(まあ、11月以降かな…・笑)は、中学校への準備として、その「教師が楽をするための効率性」を捨てるべきなのではないでしょうか。私はそう言いたいわけです。
皆さんも経験があるのでおわかりでしょうが、大学や社会人が受けるテストでは終わった者から提出し、退室しても良いという試験が多々あります。小学校教師の仕事術としてのこのテストの在り方も、おそらくそのあたりから発想されたものなのだろうと予想します。
しかし、皆さんの受け持っている子どもたちがこれから六年間にわたって通うことになる中学校・高校には、そうしたテストの在り方はまずないと言って間違いありません。中学・高校教師にとって、採点業務は間違いなく授業外の時間です(まあ、空き時間がありますからね)。それも、中学・高校において、テストというものは学校生活において一番に重視される活動です。行事よりも、学活よりも、道徳よりも、総合よりも、授業よりも、そして生徒指導よりもです。テスト以上に重視されるのは、命に関わる生徒指導事案(災害避難や自殺予告、子どもが自殺を考えるほどのいじめなど)だけなのです。入学当初、そんなにも重視されるものに対して子どもたちの意識がゆるんでいる、四十五分間テストを受け続けることに耐えられない。そうした状況を小学校に勤める皆さん自身がつくっているのだとしたら……。それはやはり、教師として罪深いことなのではないでしょうか。少なくとも、大手を振って、「自分は正しい!」とは言えないのではありませんか?(笑)
もしかしたら、皆さんは「あ~あ、放課後に採点かあ…。その日のうちにテスト返せなくなるな…」なんて思っておられるかもしれません。「子どもたちの記憶が新しいうちに返してあげたいんだけどな…」なんて思っておられる方もいらっしゃるでしょう。でも、そんなことはありません。返せますよ。放課後も浸食しません。私が言っているのは、子どもたちが四十五分間のテストに耐えられるようにしてください、というだけのことです。テストの時間っていうのは、全員一斉で決まっているものなんだということを、子どもたちに認識させてください、と言っているだけなのです。
例えば、テストを一時間目か二時間目に実施して、内緒の話ですけど(笑)、次の時間を作文かプリントにして、そこを採点業務にあてれば良いだけの話です。その時間に採点が終わらなくても、一・二時間目に実施していれば、中休みや昼休み、隙間時間でなんとか終わらせられるのではありませんか? これでその日のうちに返せるのではありませんか?。四十人学級なら少々難しいかもしれませんが、そんな学級、小学校にはほとんどありませんよね。繰り返しになりますが、私が言いたいのは、ただ、子どもたちに「テストの時間はテストに集中しなければならないのだ。それが当然なのだ」と思わせていただければ、中学校としてはそれで良いのです。手法は皆さんでお考えいただければ構いません(笑)。
二 小学校のテストと中学校のテスト
こんな事例を経験したことがあります。
ある子が入学直後の学力テストにおいて、自分がテストが終わったので鞄から文庫本を出して読み始めました。小学校ではテストが早く終わったら担任に提出して、その後は黙って本を読むというルールになっていたようで、この子に悪気は一切ありません。当日の朝学活で、学級担任から「テストの受け方」が指導されてはいたものの、その子はよく理解できなかったのかもしれません。きっと途中で提出はしないんだな……程度の認識だったのでしょう。中学校の側も、まさかテスト中に本を読み出す子がいるとは想定外ですから、「よく見直しをするんだよ」「何もしてはいけないんだよ」というような抽象的な指導をしていたわけです。
さて、この子はその後、どうなったと思いますか?
その時間は一時間目で、国語のテストの時間だったのですが、これはカンニングの扱いがなされ、0点扱いにされました。正しく言うと0点にされたというよりは、未受験と同じ扱いにされたのです。その後、算数・社会・理科の三教科は受験することができましたが、テスト結果を保護者に知らせるための「得点通知表」の国語の欄には斜線が引かれ、一教科未受験ですから総合得点も斜線です。
テスト当日の放課後には、学校に保護者が呼び出され、かわいそうだがカンニングと同じ扱いがなされる旨が通告されました。当の子どもは泣きじゃくり、保護者はうろたえるばかり。それでも中学校としては、テストですから、原則を通さざるを得ません。保護者としてはいくら小学校とルールが違ったとはいえ、我が子はテストの受け方もわかっていないのかと思ってしまいます。自分もテストというものはそうした厳しいルールに則って行われるものだという経験をもっているので、小学校でそれをゆるめているということがよく理解できなかったのだと思います。これは確か二○○○年頃の事例だったと思いますが、私はいまでもときどき「あの子はかわいそうだったな……」と想い出すことがあります。
読者の皆さんは、そんなに厳しいのかと思われるかもしれません。しかし、中学校のテストというものは、机の上には鉛筆(またはシャープ)三本以内と消しゴム以外はすべて鞄にしまうことを指示されて行われるものです。机の中の教科書やノートも鞄にしまわなくてはなりません。風邪をひいていてティッシュを机上に置きたいという場合にも、試験監督の先生への事前申告が必要になります。鞄は椅子の下に置くことになっており、しかも鞄のチャックを閉めることを指示されます。「はじめ!」の合図があるまではテスト用紙に触れることさえ許されません。終了のチャイムが鳴ったのに鉛筆をもっていたというだけで叱られます。
これが中学校のテストなのです。こう言われると、鞄を開けて文庫本を取り出し、それを読むということが、二重にも三重にもルール違反を犯しているということがおわかりになるかと思います。皆さんも、三学期の「中学校に向けて」という学習のなかで、このくらい厳しいのが中学校のテストなのだと、この段取りでちょっとした漢字テストなどをやってみるのも良いかもしれません。きっと子どもたちも、なるほど、中学校では気をつけなくちゃと構えを抱くようになるのではないでしょうか。
ちょっと語弊がある言い方かもしれませんけれど、中学校ではテストというものが、ある意味、「犯すべからざる神聖なもの」という扱いを受けている側面があります。善し悪しは別として、少なくとも小六担任はこのことをもっと意識すべきなのではないか。そうしないと他ならぬ子どもたちが戸惑ったり、嫌な思いをしたり、場合によっては取り返しのつかない事態にまで陥ってしまうことがあるのですよ。私はそう主張しているわけです。
三 テスト中の質問と採点の基準
例えば、こんな問題が出題されたとします。
~はなぜですか。句読点を含めて○字以内で書きなさい。
中学一年生の一学期、テスト中によくこういう質問が出ます。
「先生、句読点って何でしたっけ?」
しかし、中学校ではこうした問題文の用語については、「答えられません」或いは「授業でやりました」などと冷たく言われるだけです。教師によっては、「そんなくだらない質問するなよ」という思いが表情に出てしまう人も少なからずいます。確かに中学校では、問題文にミスでもない限り、問題文の用語や答え方に関する質問には答えてもらえないのが現実なのです。テストの問題文に出てくるような用語は、授業のなかでかなり念入りに説明されているのが通例ですから。
しかし、小学校では、テスト中にこの手の質問に担任が丁寧に答えるということがよくあるようです。中にはただ答えるだけでなく、「ほら、あのときの授業でこういうふうに教えたでしょ」「ああ、そうだったね」などと、会話さえすることもあると聞きます(生徒談)。こうしたことも、やはり六年生の後半になったら避けるべきなのではないでしょうか。少なくとも一般的なテストの受け方としてはルール違反であるはずです。
このハードルさえ越えればこの子はこの問題を解けるはずなのに……。教師としてのその思いはわかります。場合によっては、その問題一つができるかできないかで、評定が変わってしまうかも……なんてこともあるのかもしれません。でも、それならば、テストの採点自体は厳しくして、「ほんとうはこの子は理解しているから」と評定の段階で調整すればよいのではないでしょうか。一般的なテストの受験ルールを破ってまでその子に何点か多く点数を取らせることが、果たして長い目で見たときにその子のためになるのでしょうか。
小学校で許されていた質問が、かつては先生が丁寧に答えてくれていた質問が、中学校に入った途端に冷たくあしらわれてしまう。その瞬間、気の小さな子なら頭が真っ白になってしまって、普通の精神状態でテストを受けることができなくなってしまうかもしれません。このことが原因で実力を発揮できなくなるかもしれないのです。果たしてこれは冷たくあしらった中学校教師だけの責任だと言えるでしょうか。何割かは小学校時代の担任の責任なのではないでしょうか。これもまた、小六の後半くらいからは学級担任が意識すべきことだと私は考えています。
小学校の先生には、採点基準をゆるめてしまうという教師が少なからずいるということも、子どもたちからよく聞きます。国語の問題や理科・社会の言葉で説明するタイプの問題でよくそれが行われるようです。
「内容的には合ってるし、まあいいか……」
そう思いたい気持ちはわからないでもありませんし、子どもたちかわいさ故に少しでも高い点数にしてあげたいという気持ちもわからないではありません。しかし、そうした手心を加えることは中学校・高校には一切あり得ないことなのです。それもやはり、テストの点数としてはきちんと減点したうえで、「ほんとうはわかってるんだよな」とあくまでえんま帳のなかで教師の評価裁量を発揮すべき事案なのではないでしょうか。そもそもペーパーテストにおいて、採点者に解答の幅をもたせるような裁量があるのでしょうか。そのあたりをよく考えるべきだと思います。
子どもたちの頭は大人よりはるかに柔軟です。一歩も譲らない厳しい採点基準による採点を続けていれば、多くの子どもたちはそれに対応できるようになるものです。しかし、ひとたび採点基準をゆるめてしまうと、ましてや日常的に採点基準をゆるめてしまったのでは、「それでいいのだ」になります。それが中学校に入学した途端に一切許されなくなり、切ない思いをしてしまう。その切ない思いに小学校時代の担任が荷担してしまっている。そんなことになっているのではないでしょうか。
中学校における問題というと、皆さんはいじめや不登校を真っ先に思い浮かべるかもしれません。確かにいじめや不登校は、中学校では小学校以上に深刻な問題です。しかし、中学生が不登校になる要因で最も大きいのはいじめや友人との人間関係以上に、学力問題や進路問題であるということを皆さんはご存知でしょうか。中学一年生の子どもたちの悩みの多くが、中学校の勉強についていけない、思ったように成績が上がらないということだと皆さんはご存知でしょうか。もちろん、テストがすべてではありませんが、この傾向にテストの受け方、テストへの心構えの要素が大きな影響を与えていることは間違いない事実なのです。
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