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黒のタートルネックが着られない(3)

 彼女が鬱を発症したのは手術の後からだったか、手術前からのことだったのか、記憶はあいまいだ。

 心の病は厄介だ。痛みが目に見えることはなく、本人以外に本当の辛さはわからない。それを差し引いても、その頃の私は彼女の病をよく理解できていなかった。

 食事や散歩を一緒にした別れ際、私はにこやかに手を振りながら「頑張ってね!」と声をかけた。口をへの字に曲げて、今にも泣きだしそうな彼女の顔を忘れられない。そのひと言が鬱病患者にとって禁句だということを、私は随分たってから知った。

 鬱が引き起こす行動には幾つかあり、彼女の場合、最初は買い物がやめられなくなっていた。バッグ、靴、ピアス、時計などをクレジットカードで次から次に買ってしまう。

「すごく素敵でさぁ、私のためにそこにあったっていう感じでねぇ。でも、これで最後って決めたの…もう買わない」

 デパートの装飾品売り場のことを、彼女は「魔境」と呼んでいた。目あてのものがあってそこへ足を運ぶわけじゃない、たまたま通りかかったショーウインドウの向こうから、あれやこれやが自分に向かって囁きかけてくるのだと。

 しかし、デパートの売り場で彼女を魅了した品々も、自宅のリビングでは輝きを失い、しばらくのあいだ包装紙に包まれたままのことさえあった。喉のつかえと胸のモヤモヤに喘ぎながら、それが視界に入らないよう、リビングの隅っこに遠ざける。日が暮れると側まで体を引きずっていき、それをクローゼットか押入れの中に仕舞い込む。帰宅した夫の目には決して触れない場所へ。数日が経ち、気分のよい日に彼女はようやくそれと対峙する。えいやっと包装紙を剥がし、革の鞄の艶やかな表面にそっと触れ、指先に感じる冷たさが、みぞおちあたりをぎゅっと締め付けた。

「どうしよう、また買っちゃった…ダンナに言えない。カードの限度額とっくに超えてる。返済できないリボ払いどうしよう…」

 私の手元には、彼女から譲り受けたバッグが今もいくつかある。それらはほとんど使用されることなく手放された、彼女の罪悪感のかたまりだ。自分でデパートへ返品しに行くこともあったようだが、使用してしまい返品できないものは、妹たちや私のところに送られてくることがしばしばだった。

 クレジットカードの利用額が7桁に突入して、ようやく旦那に涙の告白。自らカードにハサミを入れたと聞いて、彼女の病の深刻さを私はようやく認識した。既にその頃には心療内科や脳外科のお世話になっていたし、大量の薬も服用していたはずだ。電話や会った時の会話には「ノウゲの先生」が毎回登場し、心に抱えている辛さ、逃れられない家族、愛しくも憎くたらしい夫の話と並んで、病のことも度々口にするようになっていた。(続く)


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