黒のタートルネックが着られない(6)
彼女が逝ってひと月半後、夫君に頼まれて遺品整理を手伝った。彼女の部屋で、彼女を包んでいた膨大な量の物を目のあたりにして、背筋に冷たいものが走った。
彼女の病は私の想像を遥かに超えていた。
たとえどん底の時でも、彼女が私に見せていたのはよそいきの姿だったのだ。彼女があの白い錠剤と一緒に飲み込んでいたのは、心の内なる叫びや嘆き。私には想像もできない深い悲しみは彼女の体内に巣食い、内側から肉や臓や血をむさぼり続け、じわじわと蝕んでいった。そして部屋の中にはさまざまな物が堆積していった。未開封の食品、雑貨、大量の衣類。値札の付いたまま、梱包されたままのそれらが、空き箱と一緒くたになって部屋中いたるところに堆く積み上げられていた。
私は本質的に衝撃に強い。人は心が打ちのめされそうな事態に直面すると、無意識のうちに防衛本能が働き、心の扉を閉じるのだそうだ。これまでの人生で幾度か直面してきたピンチを、私はそうして凌いできた。
物が積み上げられた彼女の部屋で、私は心の扉を静かに閉じた。手当たり次第に空き箱を解体し、緩衝剤のエアパックを破り、ゴミ袋に詰め込んでいく。未開封の靴下の袋を破り、プラスチックのフックを外し、紙ゴミと分ける。持ち主を失ったそれらの品々を廃棄する作業は、彼女の気持ちを踏み潰しているようで、申し訳ない気持ちが涙と一緒に溢れ出てしまいそうになるのを避けるために、黙々と作業をしながら何度も心の扉を閉じ直した。
購入品ばかりではなく、彼女の趣味だったラッピングの資材がテイストや目的別に仕分けされている幾つかの箱もあった。彼女は家族・友人・知人にマメに贈り物をする人だった。そして品物を美しく梱包することにとてもこだわった。包装紙と、リボンと、シールのコーディネートに妥協のないこだわりを持っていた彼女から届く贈り物はいつも完璧な姿をしていて、その状態を崩すのが躊躇われ、なかなか中身を見ることができなかったものだ。そう苦情を伝えると、「長く楽しめていいでしょう」と言って笑っていた。
3年前の夏、「部屋を片付けるのを手伝って欲しい」と請われて彼女の部屋を訪れたことがあった。いま目にしているラッピング資材の入った箱は、そのとき彼女と一緒に分類して片付けをしたものだ。
「箱にしまっちゃったら、使うときに探しづらくない?」と意見した私に、
「いいの、とりあえずこれで」
と言いきったへの字口を思い出す。大量のシールの束を見て(あれからまた随分と溜め込んだものだなぁ)という思いが過った。
あの完璧な姿をした贈り物は、もう二度と届かない。お母様のもとへも、妹さんたちのもとへも、私のところへも。自分の誕生日はとても悲しい。彼女の永遠の不在を痛切に感じてしまうから。(完)
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