お墓まいりの代わりに
お墓参りをするたびに寂しい気持ちになるので、最近はちょっと足が遠のいている。
お墓参りは亡くなった人のためというよりも、残された人が心の拠り所を得るためにするのだと私は思う。幼い頃から親に連れられて来ている、自分の親族の墓所なら懐かしくもあり、亡くなった人を偲ぶ場所にもなろう。がしかし。友人の墓は彼女自身の信仰とは関係なく、彼女の嫁ぎ先のもので、そこに眠る彼女以外の方々を、私は知らない。お寺も彼女の葬儀で初めて訪れたところで、私に縁はなく、あるのは悲しい記憶ばかり。お寺ではあの日、祭壇に飾られていた遺影や、柩の中で眠る彼女の唇が少し開いていたことを思い出してしまう。鼻の頭に触れたらとても冷たかった。
生前、「戒名不要!墓参不要!なぜなら私はそこにいないからね!」と言っていたから、お墓へ行くたび「また来てくれたの?悪いわねぇ。もぉいいのよぉ」と声がするようだ。
お彼岸の初日、ふと思い立ち、お墓ではなく彼女と一緒に訪れたことのある場所へ行ってみることにした。その方がずっと彼女を感じられる気がしたのだ。
等々力渓谷は東京の秘境とか、都会のオアシスとか、世田谷の癒しスポットなんて言われているところだが、お不動さんがあって、湧き水が流れていて、古墳なんぞがあるために宅地開発から免れ、緑がたっぷり残された場所だ。かつて私はそのすぐ近くに住んでいて、彼女が遊びに来てくれた時、一緒に散歩した。彼女のご主人の生家が、たまたまごく近くだった。
「明日、ヒロさんちに行って、等々力渓谷に行くよ!」と彼女が夫君に言うと、「なんでまたわざわざ、あんな生活排水の流れるクサいとこがいいのかね」と言われたと苦笑していたっけ。
20年前の、そろそろ秋へ向かおうかという日の午後、彼女は「すんごい、すんごい」を連発しながら森林浴を楽しんでいた。そしてチャームポイントのぺたんこな鼻の穴をふくらませながら、「やっぱりちょっと下水くさい!」と笑った。私たちは足もとの水たまりを避けながら、下水くさい水辺をひとしきり歩き、公園脇にあるイタリアン・レストランへ入った。その店は40年くらい前、私が幼児だった頃からあって、くすんだ漆喰塗りの白壁に、赤と緑のチロチロ光る蛍光管で店名ロゴが飾られたシックな店構えは当時のまま、緑が生い茂る渓谷の後ろにひっそりと佇んでいた。あのときどんなことを話したのか何も覚えていないけど、彼女が持ってきてくれた花束には、ワレモコウが揺れていた。
2021年の彼岸の入りの午後、ひとり等々力渓谷を歩いた。空は青く風は乾き、マスク越しのほっぺたに日差しが暖かかった。
水辺はあの頃のように臭っておらず、散歩道は舗装されて歩きよかった。関節の痛む足を慎重に運びながら斜面の石階段を登り、水辺を見下ろすベンチに座った。頭上に聳える樹々の合間から、木漏れ日がゆらゆら降り注ぐ。マスクをしていたのを思い出し、辺りに誰もいないことを確認して顎までずらし、深呼吸した。長引くマスク生活で嗅覚がおかしくなっているのか、それとも気温と湿度のせいなのか、やっぱり下水臭など感じなく、蒼みはじめた草木の若芽が微かに匂った。
ぶらぶら歩いて駐車場まで戻り、ふと見上げると、白モクレンが満開だった。手の届くところに咲いた一輪を覗き込むと、その香りのなんと濃密なこと。見た目はロリータ、中身は妖艶・ギャップ200%だった彼女のよう。やっぱり今日は、ここに呼ばれたようだ。
注:モクレンは蕾の先が必ず北を向くことから「コンパスフラワー」と呼ばれているそうです。