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黒のタートルネックが着られない(5)

 仕事を辞めたい、辞めたい、と言う人に限ってなかなか辞めたりしないように、死にたい死にたいと言っている人は実際死んだりなんかしないのよ。そう言って彼女は笑っていた。そんな彼女の心にゆらりゆらりとさざ波が立つのは、季節の変わり目や、どんよりした曇空の日だった。それが病のせいとわかっていたが、度重なるうちに「またか…」という気になったのは確かなのだ。

いつだったか、彼女が言った。

「鬱になってから離れていった友だちは多いよ。仕方ないけど」

 そのときはなんて友だち甲斐のない人たちかと、どこかの誰かを責めたものだが、私もその人たちと大して違わなかった。彼女の病を理解しているつもりでいながら、これ以上は受け入れられないと感じると、私は彼女の前で扉を閉ざしていた。そして、心の中でつぶやいていた。あなただけ来月の家賃の心配をしなくていいなんて。あなただけ老後の心配をしなくていいなんて不公平。いまちょっと不幸だからといって、それがどうだというの。いいこともあればよくないことだってある、住みたかった街で暮らせて、欲しいものも買えて、大切な人がそばにいるんだからいいじゃない。これは私の心のダークネス。今さら悔やんでも過ぎた時間は取り返せない。人はみな自分本位だ。

 何度か入退院を繰り返し、ボロボロだった彼女に尋ねたことがある。

「旦那のどこに惹かれているの? 悪いけどあなたは結婚してからしんどくなったように見える」

 すると彼女は、恋人と暮らしながらも家庭におさまろうとしない私に、「私ら夫婦を見てたら、あなたは結婚したくなくなるよね…」と寂しそうに笑った。

「そんなことないよ…」という言葉はむなしく空を漂った。

一緒にデパートをブラブラした時などに、ボルドーカラーの服に目がとまると私は彼女によく言った。

「これあなたに似合う。まさにあなたのイメージ!」

それはかつて彼女が好んで身につけていた色で、彼女もちょっと嬉しそうにして、鏡の前で服をあててみるのだが、少し考えてやっぱりダメだという。黒以外は夫が嫌がるからと…。黒い服は、彼女が自らに課した、手枷足枷。黒い服に締め付けられて必死にもがいているようで、私はいつもなんとかして彼女の黒い服を脱がせたかったのだ。(続く)


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