都内から週末に行けるアートの旅にカメラとともに出かけてみた話。
こんにちは、あなたのココロのスキマ♡ライカでお埋めします、hirotographerです。
非常事態宣言も延長され、コロナ自粛で息が詰まりそうな日々に疲れていた私はふと前から興味があったこの場所に足を運んでみました。新宿から電車で2時間、根府川(ねぶかわ)という海沿いの断崖に立つ小さな駅。 2時間と言うのは移動距離としてはちょっと長い気もするけれど日頃のリフレッシュを兼ねた小旅行と考えると、ちょうどよい距離感。車窓から見える景色も停車駅もどことなく新鮮味を感じられます。
今回の目的地、江之浦測候所(エノウラソッコウジョ)は根府川駅からアクセスする小田原のアートサイト。なぜアートなのに「測候所」なんて名前がついているのか?この施設のファウンダーである杉本博司氏は施設の概説でこう説きます。
今、時代は成長の臨界点に至り、アートはその表現すべき対象を見失ってしまった(中略
悠久の昔、古代人が意識を持ってまずした事は、天空のうちにある自身の場を確認する作業であった。そしてそれこそがアートの起源であった。
新たなる命が再生される冬至、重要な折り返し地点の夏至、通過点である春分と秋分。天空を測候する事にもう一度立ち戻ってみる、そこにこそかすかな未来へと通ずる糸口が開いているように私は思う。
人間の意識の表現がアートであるならば、その意識の立ち位置を不変の天空の営みの中に再配置することによって自身の在り方の確認と向かう先を見直すことができる、そしてそれを目的とした場所である、と定義しているように思います。簡単に言うと
「てめぇ、忙しいのを言い訳に近頃立ち位置ブレブレじゃねぇか?暇をやるからちょっと空気でも吸って海を山でも見ながら自分を見直してきやがれ!」ってことです。知らんけど。
現代の早すぎる変化のスピードとネットワークの発達により、私たちは過去関わりもしなかった規模の人間たちと四六時中触れ合い、大小の摩擦を起こしながら折り合いをつけて暮らすことになり、自身の立ち位置もそれに揺さぶられ、常に所在なさがつきまとってきます。さらに会社、プライベート、オンラインで多様なソーシャルと交わることでその定まらなさに一層の拍車をかけていく・・・私自身コロナ禍で在宅勤務となってから早くも1年が経過していますが、社会における自らの立ち位置をゆるゆると見失いつつあることもあり、まさにこの江之浦測候所が今自分の訪れるべき場所じゃないのか?とさえ思えてきました。幸いポジションは失ってません。お仕事感謝です(社畜の鑑
私の趣味の写真でいえば、この世で撮られていない場所、撮られていない瞬間はもはや存在しないのではないか?というところまで世の中の写真データが飽和しつつあります。自分だけの視点、自分だけの写真だったはずが、似たような他者を目にすることで一体表現とはなんなのか戸惑い、やがて自らの立ち位置を見失ってSNSなどからひっそりと去っていく人たちもいるようです。昨日まで独自だったものが次の日には誰かによって上書きされてしまうような感覚。相対的に揺らぎがちな自らの立ち位置を撮影行為から把握するというやり方ではなく、立ち位置を定めたうえで撮影に臨むというプロセスが斯様にも求められる時代なのかもしれません。
さてこの江之浦測候所の立ち位置は?というと背には雄大な箱根外輪山、眼下にはどこまでも青く広がる相模湾を望む最高のロケーションに作られています。小田原近隣で採掘された石材に加え、数十年で蒐集された古墳時代から近世までの遺物・古材が使用されているのですが、古代人が祭礼や信仰の対象としていたモニュメントをアートとして再構築し、再体験させるというこの施設の機能に寄与しています。祭碑や祭祀場のような場所がそこかしこに点在し、散策すると信仰の断片を感じるような事物に遭遇するのが面白いところです。例を挙げると日時計のような実用と太陽信仰を兼ね備えた場所に加え、割とダイレクトに「神社」「鳥居」といった神域の表現、ローマの円形劇場を模した場所、はたまた作業小屋のような一見謎の場所などなど・・・
ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』では、神や貨幣、平等や自由についての「集団的神話(=虚構)」を信じるというユニークな能力こそが人類を人類たらしめたという記述がありますがこの江之浦測候所はその根元・原初に触れる体験を提供してくれる、といってもいいでしょう。
これはまさにその値段の半分くらいが虚構である「ライカ」※で撮るべき場所です!なぜあんなに高いのか?の説明をあーだこーだしようとするのはそう思わないと納得できないからであり、上述の集団的神話を拠り所とすることでなんとかバランス(正気)を保つからです。気づけば手持ちのライカですら、この場所においてはある種の舞台装置として機能し出す・・・なんという巡りあわせでしょうか。まさに神の御手のお導き!?
※ライカ:ひゃくまんえんのどいつ製カメラ。掲載している写真は全てライカ M10-Pで撮影したものです。
・・・少々取り乱してしまいましたがブランドという虚構を信じられるのも人が人である由縁ですね。間違いありません。
さて、この場所での体験についてどう伝えようかいろいろ考えましたが一言で表現するならば「リノベされた遺跡の探検」が一番適切な気がします。各建築の間には道が築かれ、時にはそれが枝分かれし、片や竹林へ、片やミカン畑へとつながり、やがて海を一望する場所へたどり着く・・・往き帰りで見える景色も違う中、どちらの道を歩むべきか迷いながら進むのも一興。何度か同じところを違う方向からアプローチしてみるのもワクワクが加速します。人が居ないとき、居るときで撮れる写真の印象も大きく変わります。
ワクワク探検したい男子、悠久(有給)の時の流れを感じながら過ごしたい女子、老若男女問わずにおススメできる場所でした。実際客層も一人〜夫婦・カップル〜数人の女性グループなど様々。ほとんど外のロケーションですし、各種対策も取られていますのでコロナ禍下においても安心して鑑賞できます。
半日ほどで一通り回れるサイズ感ですが、撮影の楽しさとともに十分にリフレッシュできた気がするのでやはり旅はよいものだなと思います。
このときはちょうど菜の花が満開でしたたが季節ごとに異なる樹々や花々がこの庭園を彩り、春には桜が綺麗な様子。ぜひ再訪してみたい!と思わせてくれます。
以下のサイトから2日前までに予約して発券(セブンイレブン)することで訪問できますので気になった方、コロナ禍で悶々とされている方は是非訪れてみてください。眺望が開けた場所にベンチがあったりするのでピクニック気分で行ってみるのもおすすめですよ。
旅についての初めてのnoteとなりましたが、読んでいただきありがとうございました。興味を持っていただけたり、少しでもココロのスキマ♡埋まったな♡→❤️、と思ったら、フォロー、いいね、頂けると嬉しいです。
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