シェア
本日、この後、再審請求を行います。 2020年12月27日に執行猶予満了。 公民権は既に復活し、選挙権、被選挙権を取り戻しました。 執行猶予が満期となった翌日、美濃加茂市内のスターバックスに立ち寄ると、10代か20代前半の店員さんから、 「良かったです。おめでとうございます。私も嬉しいです。これからも応援しています」 そんな言葉をかけてもらいました。 スタバの定員さんは、どんなお客が相手でも、的確な声かけをしてくれますが、流石にこの時は驚きました。当然、嬉しかった。
刑事裁判に続く、民事裁判。 一度判決が出ている刑事裁判。真実を勝ち取るための入り口は、固く閉ざされていました。 しかし、民事裁判を経て多くの証拠を得ることができました。 長かった執行猶予も終わり、新たな一歩へ。 >>>>>>>>>> 2020年8月6日。 新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期となった判決日。 傍聴席には人数制限があるようでした。 判決は、"請求棄却"。 "本件での贈賄供述者の証言(供述)が虚偽であることが明白であるといえない" 中森氏に対する損害
民事裁判は、場所を移して東京。 岐阜や名古屋では、この事件のことを知っている人はそれなりにいましたが、東京では全くと言っていいほど内容は知られていせんでした。知っていても"全国最年少市長が逮捕"、"よく分からないけど無罪が出た"その程度です。 このような事件を二度と起こさせないためにも、民事訴訟で事実を明らかにする。それと同時に、 「一人でも多くの人に、こんな現実があることを知ってもらいたい」 そう思うようになりました。 >>>>>>>>>> 民事訴訟は、原則として、
私が被告人として闘った裁判は終わりました。 しかし、真実を証明する道が閉ざされたわけではありません。 数多くのことが、刑事裁判では明らかになっていませんでした。 悪あがきと言われようが構いません。 今度は民事裁判において、私から訴訟を提起しました。 >>>>>>>>>> 最高裁の上告棄却への異議申立棄却。 一般の刑事事件であれば、これで終わり。 しかし、私は上告棄却の記者会見で、 贈賄供述者に対して、虚偽供述の不法行為の責任を問う民事訴訟を提起する方針を明らかにしまし
「市長をしながら裁判と向き合うことに何か意味はあったのか?」 意味があったのかは分かりません。 意味があったと信じたい。 理不尽がまかり通る世の中に、 私は一石を投じることができたのか。 >>>>>>>>>> 市長を辞職。判決が確定。 2014年6月24日から2017年12月26日にわたる"1,282 日"。 多くの人たちに支えられ、戦い続けました。 辞職の際、ある記者から、 「逮捕から3年半近く、市長をしながら裁判と向き合うことに何か意味はありましたか?」 そんな
上告棄却。 司法を信じたかった私の想い。 そして、真実は高い壁に跳ね返されてしまいました。 しかし、ここで終わるわけにはいきません。 最後の手続き、そして、その先の戦いへと進みます。 >>>>>>>>>> 市長を辞職し、私はただの被告人になりました。 職無し無一文。 だからといって、裁判を諦めたわけではありません。 可能性は極めて低くとも、最後の異議申し立てが残されていました。 2014年6月から、弁護団の先生にはお世話になりっぱなし。逮捕、勾留への異議申請、保釈請
残された望みは最高裁。 憲法によって設置された我が国における、唯一かつ最高の裁判所。 判断を待つ間も、私は市長。 全力で市政運営に取り組みました。 しかし、いつも不安から解き放たれることはありません。 生きた心地がしないまま、ある日、結末を迎えました。 >>>>>>>>>> 2017年5月14日、無投票で3度目の当選。 その2日後、5月16日。 東京の最高裁判所第三小法廷に上告趣意書を提出しました。上告にあたって、元東京高等裁判所裁判長の原田國男弁護士、民事・刑事裁
2017年1月の出直し総選挙で再選できた私は、 半年後の市長選挙を無投票で当選することができました。 最高裁の上告審を待ちながら、市民と共に将来へのビジョンに向かって再び歩み始めました。 そんな中、無罪判決から鳴りを潜めていたマスコミが再び、批判報道を始めたのでした。 >>>>>>>>>> 出直し選挙を終え、約1ヶ月半ぶりに市長に復帰。 残された任期はわずか半年でしたが、先を見据えた政策を確認しました。 そんな中、しばらく沈黙を保っていた幾つかの新聞社が、再び私の批
市長は市民の代表。 市民の信頼が無ければ何もできません。 逮捕され、有罪視報道により大逆風にさらされながらも、多くの市民の皆さんの支えのもと市政を継続。そして無罪判決。 胸を張って市長職を続ける決断ができました。 しかし、一転した有罪判決。 私は深く悩みました。 >>>>>>>>>> 有罪判決の市長を市民はどう受け止めるのでしょうか。 市長は当選することで、"4年の任期"が与えられます。 自ら辞めたり、法的に剥奪されない限りは任期を全うできます。 ただし、想定を超
"逆転有罪判決" 私を信じて、ずっと支えてくださった市民の皆さんは、どのように受け止めているのだろうか。 無罪確定を祝う会は、判決説明会に変わりました。 冬が近づき、寒さが増してきた会場。そこには、多くの市民が待っていました。 >>>>>>>>>> 判決直後に、マスコミには配られた判決書の要旨が、当事者である私と弁護人には配られない。 市議会議長が裁判所を訪れても、数日経っても、反応がありませんでした。 ここで少し、捜査機関と報道機関の関係について感じることを記します
控訴審判決の日。 最悪の想定は原審差し戻し。しかし、これまでの裁判の内容を見ていて考えられないことでした。控訴審で無罪が確定すれば、ようやく普通の生活に戻れる。そう信じていました。 しかし現実は、時に予想をはるかに超えるもの。 裁判とはいったい何なのか... >>>>>>>>>> 2016年11月28日。 事件事実についての不安はありませんでした。 しかし、一審無罪の控訴審での有罪率は7割。いやでも不安がよぎります。 気持ちを落ち着かせ、裁判長の前へと進みました。
一審と比べ、控訴審は一つ一つの日程の感覚が大きく空いていました。 最初に決められた日程は終了。 このまま結審するのかと思いきや、検察側でも弁護側でもなく、裁判長が自ら中森氏を法廷に呼び、質問するという異例の方向へと進んでいきました。 この展開、私にとっては事件の真相に近づく絶好の機会となるはずでしたが... >>>>>>>>>> 予定されていた審理、X刑事の証人尋問も終わり。弁護人、検察官、裁判官の3者打ち合わせが行われました。検察、弁護人の双方の証拠は出揃い、控訴審
市政に邁進の毎日。 このまま何もなく終わることを願いましたが、検察は控訴。 法廷に引き戻され、私は引き続き"被告人"。 どんな新証拠を検察は用意しているのかと思いきや、事件の本質からは遠く離れた証人が請求されました。 途中、裁判長が交代しました。 これが一つの転換点になるとは... この時は思いもしませんでした。 >>>>>>>>>> 2015年8月25日。 市政運営に邁進している中、名古屋高等裁判所での控訴審。 第一回公判は無罪判決から半年近く経っていました。 公
無罪判決を勝ち取ることができました。 しかし、安心するのはまだ早い。 日本の制度では、検察官も控訴ができます。 こうした日本の司法制度は、国際基準と比較すると異常である部分が多くあると言われます。 なにも、世界と同じ制度が必要という気はありません。しかしながら、事件に巻き込まれた1人の当事者として、司法制度の異常性は多くの人に訴えかけていきたいと思います。 とにかく検察に有利でアンフェアな仕組み。知れば知るほどアンフェアなものでした。 >>>>>>>>>> 無罪判決翌