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最後に会見を行ったのは、逮捕当日の市役所でした。 拘置所の外でのぶら下がり会見を除けば、久しぶりの会見でした。 有罪視報道を散々やってきているテレビや新聞が、私の発言の一言一言を切り取り、印象の悪い表情を狙ってくることは明らかでした。 100名近くの人が集まる記者会見は初めてでしたが、私は事実に基づいて、堂々と話をすることを心がけました。 >>>>>>>>>>> 午後3時からの記者会見。 会場には、100人近い人が集まっていました。 私の逮捕直後に、"兵庫県議の号泣
待ちに待った保釈。 ようやく市民の皆さんの前で、私の無実をお話しできる。 こんなに嬉しいことはないのに、大きな不安が襲ってきました。 そんな時に、いつも行うことがあります。 それは不安な時や迷った時、いつも自分自身の原点に立ち返ることです。 保釈前夜、走馬灯のように過去の思い出がよみがえるのでした。 >>>>>>>>>>> 保釈決定が伝えられた翌日。荷物をまとめ、資料などを整理しました。 生活リズムに変化はありませんでしたが、全く寝付けない夜になりました。 (ようやく
勾留から60日。 検察が主張している証拠すべてに同意しているにも関わらず、"罪証隠滅の恐れ"という理由で却下され続けていた保釈が、ようやく認められました。 しかし、会えない人やしてはいけないことなど、様々な条件がありました。 そして、そもそも保釈金が払えないと勝ち取った保釈請求も意味がありませんでした。 >>>>>>>>>> 8月23日の深夜、 保釈が認められたとの連絡がありました。 6月24日から始まった勾留は、60日目になっていました。 その日に保釈されることは手
依然として続く、"人質司法"との戦い。 起訴前、弁護団は勾留取消の何度も手続きを行いました。 起訴後には、保釈と接見禁止の解除をするために多くの書類を提出し、更には、裁判の準備段階である公判前整理手続において、検察側の主張に最大限応じました。 そして、ようやく私の勾留が解けることになりますが、これには13回にわたる弁護士の奮闘がありました。 >>>>>>>>>> 少し時を戻します。 拘留所へ移った時のこと。 拘置所に移ると、身体測定がありました。 定期的なものなの