思い付き 幼い頃の無垢さは生きることへの絶望さと情熱の根源である 2024年11月13日
幼い頃の思い出の感情の中核になっているのは無垢さだと思う。
「仮説 なぜ子供の頃の思い出は無垢さに彩られているのか」
https://note.com/hiroto1962/n/neb5376f32917
「再説 子供の幼い時の写真を見ると、なぜ胸が痛くなるのか」
https://note.com/hiroto1962/n/nc3eafe29329d
人は幼い頃の無垢な自分への回帰を求める。夕焼けを見て幼い頃を思い出して、物悲しい気持になるのはこれが原因だと思う。なぜ物悲しいかと言えば、その無垢さは二度と取り戻せないからである。その絶望的な気持ちがフロイトの言うタナトスを呼び起こす。つまりタナトスとは、無垢さへの絶望的回帰欲求のことだと思う。
自転車旅行をしている10月末の未明、寒風の中、コーヒーを片手に茨城県の五浦海岸を散歩していた。手袋をはめた指先は寒さで痛いし、海からの強風で寒くて不快だった。
その時、「一体、何が私を突き動かしているのだろう」と思った。この気力、情熱はどこから湧いてくるのだろう。何が私の生きようとする力を支えているのだろう。
今日ふと思ったのだが、私の生きようとするこの情熱も結局は幼い頃の無垢さではないのか。無垢だった幼い頃の私が今の私の生きる力の支えになっている。幼い頃の無垢さが心のホームベースになっていて、楽しくもあるが、危険でも、不快でもある世界に踏み出そうという支えになっているのではないか。
つまり無垢さとは、生きることの絶望さの根源でもあり、生きようとする情熱の根源でもある。
以上のことを思い付いた。