ひろと

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

ひろと

科学的エビデンスを最重視はしません。 エビデンスがなくとも論理的に適当であればそれを正しいと仮定して進む。私の目的は、得た結論を人生に適用して人生をより良くすること。エビデンスがないからと言って止まってられない。 目的は、皆の不安を無くすこと。

最近の記事

思い付き 幼い頃の無垢さは生きることへの絶望さと情熱の根源である 2024年11月13日

幼い頃の思い出の感情の中核になっているのは無垢さだと思う。 「仮説 なぜ子供の頃の思い出は無垢さに彩られているのか」 https://note.com/hiroto1962/n/neb5376f32917 「再説 子供の幼い時の写真を見ると、なぜ胸が痛くなるのか」 https://note.com/hiroto1962/n/nc3eafe29329d 人は幼い頃の無垢な自分への回帰を求める。夕焼けを見て幼い頃を思い出して、物悲しい気持になるのはこれが原因だと思う。なぜ物

    • 再説 子供の幼い時の写真を見ると、なぜ胸が痛くなるのか ブログ 2024年11月13日

      自分の息子や娘の幼い頃の写真を見て胸が痛くなった経験は、多くの人が持っていると思う。 私は長らくその原因が、ちゃんと子育てが出来なかった、という後悔から来ているものだと思っていた。 きちんと子育てできた人はこのような後悔を持つことがないのだろう、と思っていた。  ある時、子育てをきちんとできていた、と仮定したら、どういう気分になるか思考実験をしてみた。が、やはり胸が痛くなった。その時に分かったことは、どうしたって胸が痛くなるようだ、ということだった。 その原因を考えると、

      • エッセイ 東北自転車旅行 2024年11月12日

        9月4日から11月7日まで自転車で東北地方を旅行してきた。経路は東京から利根川水系に出て、鬼怒川を北上、分水嶺を超えて阿武隈川上流の白河に出て、そのまま阿武隈川を下って仙台に出る。そこから北上川を北上し、分水嶺を越えて八戸に出た。その後下北半島を回って八戸に戻り、太平洋側に沿って東京に戻った。 ◎ 高校生の夏休みに友達と二人で大阪から能登半島を一週間かけて回ったことがあるが、それ以外にテントを持って自転車で連泊した記憶はない。なので行った先々のキャンプ場で、先輩自転車キャン

        • 続、縄文土器の装飾文様 2024年10月4日

          では植物繊維の文様はどこから来たのか。それはもちろん日常に目にする自然の中からだろう。 縄文人にとって大切な物、価値のある物とは、太陽。食料であるクリ、オニグルミ、トチ、それを育てる山や林。サケなどの魚とそれを育む川。 これら価値のある物の形を文様として写し取ったのだ。 川に生じる渦巻き、魚のウロコとその並び方、クリやオニグルミの堅果や葉。日が昇る方角にある特徴のある山や岩。 つまり私たちにとっての縄文土器の抽象的な文様は、当時の人達には抽象でも何でもなく、その由来・

        • 思い付き 幼い頃の無垢さは生きることへの絶望さと情熱の根源である 2024年11月13日

        • 再説 子供の幼い時の写真を見ると、なぜ胸が痛くなるのか ブログ 2024年11月13日

        • エッセイ 東北自転車旅行 2024年11月12日

        • 続、縄文土器の装飾文様 2024年10月4日

          縄文人と人生の意味 2024年10月4日

          先日、御所野縄文博物館に行ったときに、復元された竪穴式住居を見た。儀式用ではなく、家族が利用した住居は、狭くて、暗くて、湿気ていた。 こんなところに住み続けて人生を終えた人達が何十世代もいたのか、と思った。 失礼ながら、この人たちの人生に何か意味があったのだろうか、と思ってしまったのである。ただ生きただけではないのか、と。 具体的に言うと、この人たち一人ひとりが生きたことが社会や世界にどんな影響を与えたのだろう。 またこの人たち一人ひとりは何を思って、何を目標にして生

          縄文人と人生の意味 2024年10月4日

          縄文土器の装飾文様 2024年10月3日

          先日御所野縄文博物館で蒔前遺跡を含む縄文時代中期の土器を見てきた。土器の口や 首、胴の周囲に飾り付けがしてあった。 これらの飾りを見ていて思ったのだが、縄文人が土器を作るに際して、思いつきで作ったのではなく、もともとあった文様を土器で再表現したのではないかと思う。 もともとあったけど今残っていないものとはつまり植物繊維で編んだもののことだ。 植物繊維をマクラメ のように複雑に編み込んで時間をかけて祝祭用に作ったものがあったと思う。 植物繊維で作った糸や縄は柔らかいので

          縄文土器の装飾文様 2024年10月3日

          無駄なこと 温泉を2往復 2024年10月3日

          今日六戸温泉にお湯を浴びに行った。浴場に行ってから 石鹸とシャンプーがないことに気づいた。 番台に断って、キャンプサイトまで5分の距離を自転車で往復した。 テントに戻ってから、必要なものと 不必要なものを 選り分けて カバンを軽くして温泉に行った。 30分 近く かかってバンダイに戻ると男の受付が笑顔で、いらっしゃいませ、 対応してくれた。 私はこの時30分 時間 無駄にしてしまったと思った。 しかし よく考えると人生とは こんなことの連続ではないのか。ただ自分では

          無駄なこと 温泉を2往復 2024年10月3日

          出来事と意味づけ 2024年9月28日

          個人にとっての出来事とは自分の経験を通して認識する出来事のことである。 人は 何かを経験したり出来事を伝え聞いた時そこに意味を見いだそうとする。 例えば誰かと出会ったことや、大切なものを壊したことや、雨が降って行きたいところに行けなかった時や。 意味を見出そうとするのは その経験や出来事を納得したいからだと思う。 個々の経験や出来事を意味付けしようとするのは、その集合体である自分の人生の意味を知りたいからだと思う。 人生の意味を知りたいのは、人生を納得したいからだと

          出来事と意味づけ 2024年9月28日

          エッセイ 西行千本桜 2024年9月26日

          私は知らなかったが、東大寺勧請のために西行が平泉を訪れた時こんな歌を詠んでいる 聞きもせず 束稲山のさくら花  吉野のほかに かかるべしとは 平泉の山腹に千本桜が花咲いてるのを見て詠んだ歌である。この地に桜が密生することは考えにくいので風流な領主が植えたのだと思う。 今この山の斜面をサクラとモミジだけにしようと大造成をしている。 その多くはスギの植林地を伐採しているのだけれど周辺の自然林も伐採されている。 今ある木を切って別の木を植えたらその木が育つだろうというほど

          エッセイ 西行千本桜 2024年9月26日

          お知らせ 東北サイクリング旅行 2024年9月26日

          時間とバッテリー充電する余裕がなくてなかなかブログが書けません。 写真日記 を x に書いているので、気が向いたら見てください。 https://x.com/hiroto1962

          お知らせ 東北サイクリング旅行 2024年9月26日

          キャンプをする権利 2024年9月22日

          仙台のキャンプ場で知り合ったスウェーデン人がこんなことを言っていた。 スウェーデンでは、迷惑にならない限りどこでもキャンプができる。そこが人の土地であっても問題がない。その権利は法律で守られている。 だけど日本は違うので、キャンプをするときにとても気を遣う。 人口密度も、歴史的経緯も全く違うが、そんな話を聞くと、とても羨ましく思う。 どう考えても誰の迷惑にもならないでしょ、という公園の隅や山際の空き地にテントを張っても、住民に出ていくように言われたり、通報されると、出

          キャンプをする権利 2024年9月22日

          エッセイ 旅行中に美味しいコーヒーを飲むために 2024年9月14日

          毎日自分でコーヒーを淹れているコーヒーの好きな人が旅行中も美味しいコーヒーを飲むためには何が一番大切か。 コーヒー豆はいつも使っている自前の豆を持ってきていることを前提とする。 さてコーヒーを淹れる時のパラメーターは 3つある。 豆の量とお湯の量の割合、お湯の温度、抽出時間である。 結論から言うと最も大切なのはお湯の温度である。 豆とお湯の割合は薄すぎるとどうしようもないので、少し濃いめで抽出するのをやめて、あとは味を見てお湯入れて調節すれば良い。 抽出時間はいつも

          エッセイ 旅行中に美味しいコーヒーを飲むために 2024年9月14日

          便利になった旅行と不安の関係 2024年9月14日

          高校生の夏休みに、能登半島を大阪から1週間かけて友達と2人で自転車で一周したことがある。持っていたのは5万分の1の道路地図帳で、天気はラジオの定時天気予報を頼りにした。宿泊場所は、Googleマップで確認することもできなかったので、夕暮れ時に適当な広場を見つけて野宿をした。テントは持っておらず、エアマットと寝袋だけで寝ていた。食事は全て外食か、雑貨屋でパンを買って済ませた。 楽しい思い出しか残っていないが、おそらく当時は様々な不安があったと思う。例えば、雨が降ったらどうしよ

          便利になった旅行と不安の関係 2024年9月14日

          認知症にならないための苦行としての散歩 2024年9月14日

          サイクリング旅行で公営のキャンプ場を泊まり歩いている。キャンプ場は大きな公園の中にあることが多い。朝日や夕日を見るために公園のベンチでぼんやりしていると、散歩する多くの市民を見かける。 その中のかなりの割合の人たちが黙々と歩いていて、まるで苦行僧のようである。歩く目的が多分、認知症や寝たきりにならないために歩いているからだろう。つまり、快を追求するのではなく、不快を逃避するために歩いているのである。つまり、義務として散歩をしているのだ。これでは楽しくなるはずがない。 楽し

          認知症にならないための苦行としての散歩 2024年9月14日

          思いつき 意識の起源 2024年9月13日

          考える余裕がないが思いついたので、とりあえず書いておこうと思う。 人は意識している全てのものに意味付けをするが、その理由は世界を納得したいからだと思う。なぜ世界を納得したいかと言うと、安心したいからだろう。つまり不安を減少させたいのである。不安を減少させるために意味づけを行う。  この動機も意識を生み出す原因の一つになると思う。

          思いつき 意識の起源 2024年9月13日

          エッセイ テントを持って旅行すること2024年9月12日

          いホテルに泊まると部屋が狭く、あまり居心地が良くない。もちろん、自然を感じる雰囲気ではない。ゲストハウスは旅行者との交流が楽しみだが、やはり自然との親和性は高くない。それに比べると、テント泊はそもそも街中から離れているし、部屋の中でじっとしているわけにもいかないので外に出ざるを得ない。おのずと自然に触れることになる。 しかし、テント泊の困ったところはどこにでもテントを張れるわけではないことだ。その点キャンプ場での宿泊はとても快適である。人目を気にせずテントを張れ、洗濯物も干

          エッセイ テントを持って旅行すること2024年9月12日