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近くて遠いまち・葉山

先の土曜日、神奈川県葉山町の葉山まちづくり協会さんに勉強会の講師を依頼され、喜び勇んで出掛けてきました。なんせ葉山は30代前半と50代の後半の、2度も家を持ちかけて……でもって、2度とも泣く泣く諦めた甘酸っぱい思い出のあるまちです。

ちょっと前なら東京からクルマで一っ飛びが常套の移動手段でしたが、目のこともあって、もはや運転免許を失効させたままの僕は、東京駅で横須賀線に乗り換えての電車でのアプローチ。謝金もちゃんと出るというので躊躇なく自由席グリーン車に乗りましたが、大船を過ぎ、北鎌倉を過ぎした辺りから心踊るのはクルマも電車も一緒。密やかに個人的な思い入れ、あ、いや、思い込みにすぎませんが、それは、鎌倉でもなく、逗子でもなく、秋谷でもなく……葉山ならではなのです。

開始2時間前の正午にJRの逗子駅で旧知のマツザワさんにワーゲンで拾ってもらって、その後、打ち合わせを兼ねた昼食に今回の会場そばのカフェに移動。葉山育ちのマツザワさんがさりげなく「ブレッド」と呼ぶその店の正式名称は「葉山ブレッドクラブ」と言うではないですか。

「わ、葉山らしいね。ステキ」

店に一歩足を踏み入れるなり迂闊にも口にしてしまった僕の独り言を、マツザワさん、聞き漏らすことをしません。カフェテリア形式で、パン、料理、飲み物、お会計と並んで進む僕のトレイに、マツザワさんが無造作に投げ込んだ1枚が、このショップカードです。



そもそも僕には30年も前に葉山町の町民になりかけた過去があります。事実、当時、物件を探しに足繁く東京からこの地にクルマを走らせていた僕は、ついには一軒の理想の住まいと出会います。銀行ローンが組める前提で(=組めないときはチャラにしてもらう条件で)それ相応の額の手付金も打ち、JR線か京急線で東京に通うことを決心した矢先、事件はおきました。

「君は私たちから逃げる気か」

東京都下・小金井市に住む家内の両親が——特に義父の方が——声を荒げて怒ったのでした。

「いえいえ、葉山と小金井はクルマでたった2時間の距離ですから」

もう少しかかるかな、と内心思いつつも、怯まず抗ってはみたものの、そのあまりもの剣幕に結局は降参して、遂には購入を途中断念することに。「手付金」も、銀行ローンがつかなかったわけじゃなし、両親から物言いがついただけのことですから、チャラとなり返却されるということにはなりませんでした。失った手付金の半額は義理の父が肩がわりしてくれましたが、その額にも増して、「葉山に住む」の夢に王手をかけていたのに、将棋盤そのものがひっくり返ったことに、フトコロ以上にココロが傷んだものでした。

ただ、バブルが弾けてから数年経っていたとはいうものの、まだまだ当時の不動産価格は高止まりしていましたし、それから数年して札幌の大学に教職を得て関東圏を離れることになったことを思うと、義父の物言いは時宜を得た教育的指導だったな、と今に思います(もっとも、その反動もあって、「教育的指導」の再発動を無視し、中古マンションほど値の張る高級車を買って再び義父の顰蹙を買いましたが)。

生前、三島由紀夫は、

「世の中にはインドに行けるカルマの人と行けないカルマの人がいる」

と口にしたとか。三島に倣えば、僕は葉山に住めないカルマの人、ということになるでしょうか(もはやカルマどころかクルマさえありませんし)。

件の勉強会で僕は、

「(営利追求型と違って)NPOといった非営利型なら、ずっと欲しかったもう一枚の別の名刺がたやすく手に入る」とし、例として、長く集めてきた画家・吉田キミコさんの美術館をつくりたい、とここでも敢えて公言したのでした。

すると勉強会の参加者から、ならば美術館の候補地探しはぜひ葉山で、との声。え、いまさら葉山? 三度目の正直はあるか? いかんいかん、あの世で、また父に叱られる。だんだんとその気になって来た自分がいたりで困りものです。

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