東海道線車内ノマド化作戦
ワケあって年がら年中、最寄り駅の吉祥寺と熱海の間を往復している。その頻度は、平均で月に2回、年間にすると20往復は下らない。目を悪くして数年前に運転免許証を失効させたままの僕は、大概はJR利用である。
東京駅・熱海駅間は新幹線が最速であるが、コロナ最盛期に、いくらかでも密を避けんと試しに利用した東海道本線の自由席グリーン車がなんとも心地よくて、いまだやめられずにいる。
確かに、新幹線利用なら片道40分と少々。これが普通列車となるとその倍以上の1時間半はゆうにかかるのだが、駅弁を食べる、まどろむ、YouTubeで動画を観るなど、「1時間半」を何通りにも楽しめる上、楽しむことにもそろそろ飽きた頃合いで目的地に到着。なんとも贅沢な時間である。
もちろん、「グリーン」とはいえ、新幹線の自由席よりもさらに一段お安い経済性も魅力のひとつ。仮にその差額を片道千円とすると、年間20往復でなら40回分、4万円と馬鹿にならない節約額になる。もちろん、グリーンでなければ——すなわち、普通列車の普通車であれば——1回あたりさらに約千円の節約となるのだが、そこは「贅沢な時間」とのトレードオフとなる。
ところで、昨年の暮れ、JR東日本から他ならぬ東海道本線の普通列車グリーン車に関わる聞き捨てならない発表が。詳しくは同社のリリース(「首都圏の普通列車グリーン車の料金体系を見直します」)等に譲るが、要は、グリーン料金体系の見直しの名の下に、一部の利用者にとっては不利益変更が、先の3月16日のダイヤ改正に併せて実施されたのである。
僕に関わる切実な変更は、これまで自由席グリーン車の料金が、キロ(メートル)数に応じて「50キロまで」と「51キロ以上」の2種類だけだったのが、今回、「50キロまで」「100キロまで」「101キロ以上」の3種類に仕切り直されたこと。結果、104.6キロある東京・熱海間のグリーン料金は、これまでの「51キロ以上」の枠から、「101キロ以上」の新設の枠へと格上げ(格下げ?)されてしまったのである。細かな点を抜きにすれば、「100キロまで」の距離に収まる分は、今回の料金変更は誤差の範囲といっていえなくもないが、たった数キロのオーバーで「101キロ以上」の新カテゴリーに入れられてしまった僕のケースでは、500円超の値上げとなってしまった恰好だ。
より具体的には、東京から(熱海の一つ手前の)湯河原までなら99.1キロで、新グリーン料金だと「100キロまで」の1000円で、旧グリーン料金と大差なし。これが、しかし、東京・熱海間は「101キロ以上」の1550円となり、一駅違いだけでおよそ1.5倍にグリーン料金が跳ね上がることに(いずれもSuica利用の場合の「Suicaグリーン料金」)。JR東日本はつい先ごろ、早ければ今秋にも運賃の全面改訂を国に申請することを明らかにしているが、これに先んじた「ステルス値上げだよ、これはもう……」と僕が憤懣やる方なく、嘆き悲しんでいる背景にはこんな事情がある。
ただ、今回の「ステルス値上げ」、なにぶん痛みを感じる人々は一部に留まり、多くの共感はそう簡単には得られそうにもない。また、今回のグリーン料金体系の見直しで、一部ながらも若干の値下げとなった方々もおられ、広く共闘を呼びかけてもその連帯の輪はなかなか拡がりそうにない。
そこで、熟慮の末、ささやかながらも個人的な防衛策にて今回の「ステルス値上げ」を迎え撃つこととしたのである。名づけて「東海道線車内ノマド化作戦」。作戦の骨子はこうだ。
先にも書いたように、例えば、東京から熱海に東海道本線の普通列車で向かうとき、普通車に乗ろうがグリーン車に乗ろうが乗車券の1980円はマストでかかる。この上に、全15輌(または10輌)編成中、4輌目と5輌目だけに連結された2階建ての普通席グリーン車を利用する場合のみ、「グリーン料金」がエキストラで必要となるわけだ。
これが、今回の料金分類の見直しによって、東京・湯河原間なら1000円で済むものを、たった一駅先の熱海まで乗ってしまうとこれが1550円にジャンプアップ。ならば、湯河原まではグリーン車で優雅にまどろんでいようとも、湯河原到着と同時にシャキーンと飛び起きて、隣りの3号車、ないしは6号車に車輌をひとつ移動して、最後の数キロだけ「普通車の人」としてやり過ごす、というもの。セコい!とのそしりは甘んじて受けるが、合法は合法。料金の「見直し」の向こうを張った座席の[座り直し作戦」であり、遊牧民になぞらえて「車内ノマド」を気どりたい。
もっとも、3月の料金改定以降、事情あって移動には(妻が運転する)クルマを使ったり、あるいは、迂闊にも東京・熱海間のフルでグリーン料金を支払ってしまったりで、座り直し作戦をこれまで行使できたのはまだ2回ばかり。無謀ではあるが、僅かサンプル数2ながらにして、同作戦の効果をここで一応総括しておこうかと思う。
一番の効能は、なんといっても、ドア1枚——正確にはグリーン車のドアと、これに続く普通車のドアの「ドア2枚」——を隔てて車輌を横移動するだけで、「足るを知る」ことができこと。グリーン車であれ、普通車であれ、所詮、連結された一連の列車の一部分であることに変わりはなく、仮に遅延があっても事故が起きても運命共同体なのである。なのに、若干なりともプレミアムを払ってまで余分の快楽を享受したい、というのは人間の煩悩であり、弱さである。
逆にいえば、「グリーン車にする」はハレとケでいえば、ケから一線を画したハレの世界での出来事。ゆえに、そこの住民たちはミニマムなサービスの枠外扱いとなり、結果、鉄道事業法や国の許認可では守られず、ステルスな不利益変更にも諾々とつき従うしかないということか。
料金の見直しに座り直し作戦で対抗しようとも、少なくともプレミアム=千円は支払うことになるわけで、前提としての「今日も頑張った自分」が不可欠である気がしてならない。このところ頑張りがまったくもって足りていない僕は、ゆえに、湯河原までグリーンでも上等に過ぎるるのだ。
次は東京から「50キロまで」圏内の大船辺りで「座り直し」を決行しようかしらん。——いえいえ、それをやるくらいなら、いっそ初めから普通車でも五十歩百歩(五十キロ百キロ?)。駅弁は無理でも、少なくとも昼寝も、YouTubeも、どちらも咎める人などいないのは一緒なのだから。