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神楽坂Paulにて郷里や巴里を思う

もう半世紀近くも前の話になるが、大学進学で上京してから2年や3年は郷里の博多に帰らずにいた。お盆や正月の帰省ラッシュが苦手で……というか怖くて、東京にとどまり続けたということもあるが、正直、「物語を次の章に進めたい」と強く願った。高校までの18年で、「第1章 博多篇」は十分堪能したし、筋書きもだいぶ冗漫になっていた。

それが、ちょっとした出来心で博多に帰省してしまったのが運の尽き。天神を一人ほっつき歩いていたら、遠くから僕に向かって突進してくる一人の男がいる。男が十分に近づいて初めて彼が彼と分かったことに、高校の同級生のイケダであった。イケダは開口一番、

「タルミ! お前逮捕されたっちゃなかとや!?」

と叫ぶではないか。それは問い詰めるというよりは、旧友を心底おもんばかって……といった口調だった。

ま、誤解はすぐに解けたし、互いの近況にひとしきり花も咲いたので良かったが、これだこれだ、軽々に故郷に帰ってはいけない理由はこれなんだ、と改めて思った。

ほんの何年か同窓生コミュニティから遠去かっていただけで、囚人にされたり、詐欺師認定を受けたり……。音信不通なのは、あたかも東京で荒んだ生活をしているのが前提で、色々と想像逞しく酒のつまみにされてしまう。

もっとも、そんなこんなを面白おかしく脚色もし、吹聴もしているに違いない輩の一人や二人には心当たりがないでもない。ここで、それが誰かを推理するのは論点ではないが。

博多(福岡市)のような、それなりの都市の規模と魅力とを兼ね備えたまちが厄介なのは、主には次の2つからなる。

ひとつには、進学や就職で出ていったからといって、いずれ用事が済めばみんなまた戻りたがる……いや、必ず戻る! という共同幻想があること。

さらにひとつは、当の本人(例えば、僕)からしてそんな故郷が自慢は自慢で、なにかにつけ「故郷ラブ」をさらりとひけらかす匂わせ男子であること。

もっとも、これまで国内外7、8ヶ所に暮らしてきて思うのは、博多に限らず、ヒトは故郷に対して大なり小なり同じようなアンビバレントな感情を抱きがちなこと。それは、例えば、20年以上暮らした札幌とて同じ。道産子にとって「我が心の故郷=札幌」に寄せる抜き差しならない思いは、博多っ子の博多に対するそれと大差はない。上げては下げ、下げては上げ……その繰り返し。

もはや全国区の俳優の大泉洋さんが、少し前に「徹子の部屋」にゲスト出演した際、母校・北海学園大学——紛れもない、僕のこないだまでの勤務先——のことを「滑り止めの大学」、「滑り止めの大学」とばかり繰り返して、ついぞ正式名称を明かすことなしに番組終了。あの言動にも、故郷・札幌に寄せる実にナイーブな感情が入り乱れとるなあ、と思った。

いやいや、博多は文句なしに良かトコ。そして、札幌とて一度きりの人生に22年も住めたことはなまら奇跡!

ただ、世界に目を転じれば、次なる別天地として、ありとあらゆる選択肢に満ち満ちている。しかも、ヒトの寿命はあまりにも短い。伴侶を取っ替え引っ替えするのはあまり褒められたものではないが、所在地を頻繁に替える分には(その「伴侶」以外)誰に遠慮のいるものか。

かくして、福岡、東京、ニューヨーク、札幌……と転々とした挙句、いままた東京に舞い戻った僕は、神楽坂のPaulにてランチセットのガレットなどをいただきながら、次なる章立てにはたと考えあぐねている。

Paul神楽坂店


「滑り止めの大学」を早期定年退職した僕には、あり余る自由な時間はあれど、緑内障の視力と老後の財力はなんとも心許ない。とりわけ、「自由な時間」は「緑内障の視力」との見合い。いまはまだ、読み書き算盤……ならぬ、読み書き鍵盤(楽器)も肉眼でなんとかイケるが、それもあと10年? 20年? 

その点、「老後の財力」は,不安はあるけれど、いざとなれば東京のマンションでもなんでも売るなり貸すなりすれば良い。慎ましく生活する分にはさほど心配はない。

さすれば、一にも二にも、まだなんとか見えはするうちに、いま一度、日々の生活がぱっと一新されるような一世一代の転地に打って出たいもの。

例えば、Paul発祥の地であり、その「1号店」がいまもあるというフランスのリールはどうだ? パリからクルマで北に250キロ。シャルル・ド・ゴールの生家が遺されているらしいこと以外、手持ちの情報はほぼ皆無だが、憧れてやまないパリでアパルトマンを借りるよりは遥かに経済的? 1年やそこらならなんとかイケるかもしれない。

ただ、Paulからのリールでは、いかにも短絡的で、その……内から湧き起こるリビドーというか、移住の動機や必然性に難があるわな、と。

ならば、「1号店」は諦めて、いっそ「神楽坂店」のある、ここ神楽坂にしばらく移り住むのではどうだ。やはり同じ高校のニシムラがビジネスで成功を収め、ハイライズの高層階に広々としたユニットを所有すると漏れ聞く。同君のようにハイソな感じでなくとも、10万くらいでうらぶれ感のほど良いアパルトマン……あ、いや木造アパートの一室でも借りられないものかと思う。

もっとも、吉祥寺駅から神楽坂駅は地下鉄東西線直通で20分足らず。なにも自宅マンションを処分してまで15キロの距離を引っ越さなくとも良くはないか? 神楽坂のアパートの一室にふと我を認めてはほとほと後悔しそうではある。

さすれば、最後の最後に、いま一度、博多に戻ってみるというのも一興ではあるな、と。もはや実家は博多にはないので、住まいの手配は不可避だが、長く暮らした鳥飼や、それこそイケダやニシムラと通った高校も所在する西新辺りなら多少の土地勘も蘇ってこようかというもの。

もっとも、蘇ってくるのは思春期に悶々とした日々や街角の記憶ばかり。せっかく老人力(©︎赤瀬川原平)もそこはかとなく備わってきた(?)のに、盗撮事件でも起こして捕まったりしては、今度こそイケダが許してはくれまい。

「ふらんすへ行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠し

「せめては神楽坂ぽおるにてきままなるぱん食べ放題付きらんちなど喰らってみん」
(萩原朔太郎「旅上(純情小曲集)」より一部改変)






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