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「火を運ぶ」ために働く 生産性の本当の意味

唐突ですが、あなたなら次の2つの仕事、どちらを選びますか?

A 月収40万円:月前半に深い穴を掘る。月後半にそれを埋め戻す
B 月収30万円:月前半は溜池を掘る。月後半は村道や農地の邪魔な穴を埋める

「無駄な仕事」は精神的苦痛

私なら迷わずBを選びます。
綺麗ごとではなく、たとえ報酬が2倍の80万円でも、Aは心を病みそうです。
何のためにやるのか、誰の役に立つかわからない仕事ほど辛く、やる気の出ないものはありません。
8時間労働として「人生の3分の1が無駄になっている」と思いながら過ごすのは、とても耐えられない。

国内総生産(GDP)をはじくうえでは、Aの方が寄与は大きくなります。
モノ好きが無駄な仕事に40万円払ってくれれば、その分GDPは増えます。Bは直接には30万円分しか付加価値を生みません。

一方、この2つには別の側面で大きな差があります。

Aは無意味な作業ですが、Bは村全体の富の算出、付加価値の創造を底上げする効果、生産性の向上が見込めます。

人口減少時代の日本。一人一人の生産性向上が不可欠とよく耳にします。
この「生産性」、字面で何となく意味が分かった気になってしまう曲者でもあります。
きちんと理解しておくと、経済を見る目や自分が働く意味を考える姿勢が変わります。「あなたは世界にどう貢献するか」という視点にもつながります。

生産性=工夫の積み重ね

少々話が飛躍しました。順に追っておきましょう。

GDPの計算上、生産性は「『量』で説明がつかない成長」を指します。
経済は「モノ=資本」と「ヒト=労働力」を追加投入すれば、その分だけ規模が拡大します。
そして現実の経済は「モノ+ヒト」以上の、プラスアルファの伸びをみせます。
この「プラスアルファ」が生産性です。
言い換えると、経済成長は「投入量」と「生産性(全要素生産性とも言います)」の2つのファクターに分解できるわけです。

整理すると、生産性の向上とは、「同じ量」を投入しても、前よりたくさん富を生めるようになる、のを意味します。
つまり、普通の言葉でいえば、生産性とは「工夫」のことです。
人々が工夫して、前より上手に世の中を豊かにできるようになる。
これが生産性の向上です。

「工夫」には、「スマートフォンの生産ラインが効率化される」「ストリーミング配信で音楽を楽しむ人が増える」といったイノベーションから、「手順を変えたら前よりたくさんパンを焼けるようになった」といったちょっとしたカイゼンまで、あらゆる要素が含まれます。
「世界を効率的で豊かで住みやすい場所にする」工夫はすべて生産性向上です。

世界は良くなっている 「FACTFULLNESS」

この工夫の積み重ねがどれほど世界を変え得るのか。
それを知る素晴らしい好著が『FACTFULLNESS』です。

アジアやアフリカを中心とした後進国がこの20年で目覚ましい経済成長をみせ、公衆衛生や人々の暮らしぶりが劇的に改善した。それを徹底的にデータで示した労作です。

後進国は、投資を裏付ける国内のお金の蓄積が足りない、政情が不安定である、といったハンディキャップを抱えているケースが多い。
でも、一定のハードルをクリアすると「キャッチアップ効果」という高成長のスイッチが入ります。先進国などの先輩たちの「工夫」を真似すれば、成長を加速できる。

そうした効果に「豊かになりたい」という人々の飢えが加わって、世界は劇的に良い場所になった。
悲惨なテロや紛争のニュースに目が向かいがちだけど、データを冷静に見れば人類はより良い方向に向かっている。この流れは途絶えないようにできるはずだ。
これが『FACTFULLNESS』のメッセージです。ぜひ、若い人に手に取ってもらいたい本です。

そうした国々に比べると、日本がここから生産性を伸ばすのは大変です。スタート地点が高く、参考にできる良い先輩もあまり多くありません。
日本だけではなく、経済協力開発機構(OECD)の調査による国際比較でも、先進国の生産性の伸びはここ5年ほど、軒並み10年前、15年前と比べて停滞が目立っています。

日本には人口減少という逆風もあります。
経済全体のパイが小さくなって工夫を生かすフィールドが狭く、インパクトを大きくするのも難しくなる。イノベーションの担い手となる若者の数が減っているのも大きなハンディです。

それでも私はあまり日本の将来を悲観していません。
なぜなら、この日本のハンディは、あるファクターと組み合わせると、アドバンテージに変わりうると考えているからです。
それは人工知能(AI)の急激な発展です。

AIは人類の味方だ 『誤解だらけの人工知能』

「多くの人がAIに職を奪われる」といった脅威論から、ビジネスパーソンや若者には「AIにとって代わられない仕事を見極める」を目指す傾向もあるようです。
私はこれはやや近視眼的な考え方ではないかと思っています。確かにAIの発展はめざましい。しかし、AIは万能でも何でもありません。人間に勝てる、完全に代替できる部分は限られています。

AI研究と実用化の「現在地」を把握するうえで参考になるのが、『誤解だらけの人工知能』です。

「ディープラーニングの限界と可能性」という副題が示す通り、AIにできること、できないこと、21世紀半ばまでに予想される社会への影響など幅広い分野が、対談形式で読みやすくまとめられています。

私がAIが発展すれば「人間が苦手な分野、面倒な仕事をアシストしてくれる」と前向きに考えています。画像分析やデータ処理、簡単な文書やグラフの作成などの「知的単純作業」、実務翻訳などがすぐに浮かぶ分野です。

一方、「人間にしかできない仕事」は脅威論者が語るよりも大量かつ広範囲に残るでしょう。
理由を一言に集約すると、「AIには常識がない」からです。
社会の仕組みや人間の心の機微を総合的に読み取る、良い意味での「空気を読む」力がAIには欠如しています。それを備えた汎用AIを生み出すためのブレイクスルーの方向性もまだ見えません。

面倒な仕事はAIがやってくれるなら、人間は空いた時間と労力を工夫=生産性の向上に割けます。

新しい価値を生むクリエイティブな仕事。
顧客満足度を高める対人ビジネス。
介護を含むホスピタリティ。
人々の人生を豊かにする芸術やエンターテイメント。
「一点物」の工芸品を生む職人芸。
ビッグデータ分析ではすくい取れない地域の特色を活かした仕事。
私の目には、どれもこれもやりがいのある仕事に映ります。

AIは電卓や洗濯機と同じようなものです。
そろばんや手計算、洗濯板から解放されたように、AIに単純作業を任せ、得意分野では人間より頼りになる助っ人になる。AIは人類の味方に違いありません。

人口減少先進国の日本には、AIを使った省力化や人間の協業を追求する強い動機があります。単純労働の従事者とAIの「職の奪い合い」という摩擦も、働き手が減るなかでは、他の国より相対的に小さくなるでしょう。
景気の良し悪しで振れはあっても、人手不足で「ネコの手でもAIでも借りたい」という状態は解消しないと考えます。

詳細は割愛しますが、AIで要注意なのは短期では人間による恣意的運用、長期では次のブレイクスルーで「AIが意思を持ったとき」でしょう。
前者はすでに一部で問題が顕在化しています。後者はまだ心配するような段階ではありません。今はAIをいかに使って生産性を上げるかに集中した方が良い。

我々は「火を運んでいる」 『ザ・ロード』

さて、またまた話は飛びます。
現代米国を代表する作家コーマック・マッカシーの代表作『ザ・ロード』をご存じでしょうか。ピュリッツァー賞を受けた傑作で、『血と暴力の国』(邦題『ノーカントリー』)と同様、映画化されています。

核戦争か自然災害か、何らかの理由で文明が崩壊して荒廃した世界を小さな息子と父親が彷徨う、スリリングな、それでいて詩的な作品です。未読でしたら、ぜひ。

この作品には繰り返し、
「火を運ぶ(carry the fire)」
というフレーズが出てきます。

絶望に覆われた世界で、少年が何度も父親に「ぼくたちは火を運んでる」と問いかけるシーンが強く印象に残ります。

”carry the fire”は、英語圏ではある文脈を持った特別なフレーズです。
人類の文明はプロメテウスが天界の火を盗んで人類に与えたところから始まったとされます。
「火を運ぶ」には、松明をリレーするように、人類の発展のフロンティアを受け継いでいくという意味合いがあります。
同時にそこには、文明が「火=軍事」と不可分え、その諸刃の剣をも引き受けねばならないという含意もあるのでしょう。

私は生産性の向上、世界をより良い場所にする工夫の積み重ねは、この松明のリレー、「火を運ぶ」という行為なのだと信じます。
『FACTFULLNESS』が示した乳幼児死亡率や後進国の生活水準の向上は分かりやすい例です。もっと細かい変化、例えばSUICAなどでキャッシュレス決裁ができる店が増えた、国内外の色んなクラフトビールが楽しめるお店が増えたといった変化も、広い意味で「火を運ぶ」ための人類のチームワークの一部です。

「働くこと」の意味 『おカネの教室』

私は2018年に『おカネの教室 僕らがおかしなクラブで学んだ秘密』という経済青春小説を上梓しました。
その中で私は、世の中の仕事は「かせぐ」「もらう」「ぬすむ」の3つに分類できる、そして「かせぐ=人並み以上に付加価値を高める」という行為には、世界をより良い場所にする役割があると書きました。
「かせぐ」は生産性向上をひっぱる「工夫」の最前線とも言えます。

冒頭の問いに戻れば、世の中にはこんな仕事もあります。

C 月収100万円:「役に立つ穴」を埋めて回って隣の村の邪魔をする

こうした仕事を、私は作中で「ぬすむ」、もっとキツい言葉では「ダニ」と呼びました。政府や中央銀行の支援をあてにして無謀なリスクを取る一部の金融ビジネスや、無知や不安に付け込んだ詐欺まがいのビジネスが「ぬすむ」に含まれます。

「持ち場を守る」人が報われる社会に

これから就活する人、ある程度キャリアを積んで転職適齢期に差しかかかっている人にとって、報酬の多寡は人生設計を左右する大事な要素でしょう。
あるいは「自分のやりたいことを見つけられない」という人や、「AI時代にどんな職業が生き残るのか」と悩んでいる方もいるかもしれません。

そんな人たちは、一度立ち止まって、今の社会のなかで企業や色んな製品・サービスが果たしている役割を、「火を運ぶ」という視点でとらえなおしてみてはどうでしょうか。

拙著『お金の教室』では、この辺りの考え方を「役に立つ」「持ち場を守る」といったキーワードのもと、身近な職業にひきつけて登場人物たちが議論します。
世界がどんなに変わっても「人々の役に立つ仕事」や「世界をよい良い場所にする仕事」が不要になることはありません。
それは「社会に貢献する」といった生真面目な職業だけでなく、「誰かを楽しませる仕事」「誰かを幸福にできる仕事」にも当てはまるはずです。

世界をもっと便利で面白い場所にする。それが生産性向上の本質であり、経済成長の原動力です。
どんな些細な変化、小さなコミュニティーへの貢献でも、「火を運んでいる」ことには違いありません。

思考実験で示したAからCの仕事を再掲します。

A 月収50万円:穴を掘ってそれを埋め戻す
B 月収40万円:溜池のための穴を掘り、村の中の邪魔な穴を埋める
C 月収100万円:「役に立つ」穴を埋めてヒトの邪魔をする

Bを選ぶ若者がいる限り、世界の未来は明るい。
私はそう思いますし、社会起業家の増加や意識調査に見える若者の「フェアネス」への志向などをみると、悲観的になる必要はないと信じます。
そういった「持ち場を守る」人々が報われる社会を築けるなら、人類も捨てたものではない。
だから、私の理想はこうなることです。

A 月収30万円:穴を掘ってそれを埋め戻す
B 月収80万円:溜池のための穴を掘り、村の中の邪魔な穴を埋める
C 罰金50万円:「役に立つ」穴を埋めてヒトの邪魔をする

私は50歳近いオジサンではありますが、これからも「火を運ぶ」という人類史的プロジェクトの一翼を、微力ながら担っていきたいと思っています。

人間、どうせいつかは死ぬのです。
それなら、「去る前」に世界に前向きな足跡を残したい。
それは3人の娘の未来を思う父親としての願いでもあります。
それに、それはただの苦行ではないでしょう。「誰かの役に立っている」という充実感は、自分自身の幸福にもつながります。
同じ掘るなら、墓穴ではなく、「役に立つ」穴を掘りたいものです。

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