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「いじめっ子」への処方箋

タイトル画像は、私がいつも財布に忍ばせている小さな紙きれだ。
裏に「はっぽへ ちっちより」とある。「はっぽ」は次女、「ちっち」は長女のこと。
これは一時期、妹をいじめる癖がついてしまった長女が次女に贈った手紙だ。15年以上、私はこの小さな手紙を大切にしてきた。

「いじめられっ子」だった私

さて、ここで話はさらに40年ほど前に飛ぶ。
私は小学校の低学年まで「家庭内いじめられっ子」だった。5歳上の長兄と4歳上の次兄に毎日のように泣かされていた。
三人兄弟なんてのはサルの群れのようなものだ。チビは格好の餌食だった。

幼稚園児のうちは2人がかりでやられ、長男が「足抜け」した後も次兄による執拗ないじめが続いた。4歳の年齢差があると、反撃しても勝ち目はない。
まるで私の号泣がノルマのように、いじめはほぼ毎日続いた。泣きすぎて喉がつぶれてしまい、私は変声期が来るまで「だみ声」だった。

「コイツは殺すに値しない」

あれは小学校2年生の夏頃だったろうか。
いつものよう次兄のいじめで私が大泣きした。ウンザリした母が「どうして毎日、毎日、いじめるの!」と次兄を叱った。
その時の返事は今でも忘れられない。

「おもしろいから」

私はその言葉を聞いて、「次にやられたら、コイツを殺そう」と決意した。

その日はすぐにやってきた。
親の不在を狙って、いつもの次兄のいじめが始まった。
私は台所に走った。楽しそうに追いかけてくる次兄。
だが、私が振り返ると、形勢は逆転した。
私の手には包丁が握られていた。
その時、私は本気で次兄を刺すつもりだった。
何年もの恨みが積もりに積もり、殺意にまで膨らんでいた。
私の表情を見て「殺られる」と思ったのだろう、次兄が命乞いを始めた。
ヘラヘラ笑いながら「やめろやめろ、ごめんごめん」と何とかやり過ごそうと謝罪を繰り返す次兄を見ているうち、スーッと冷静になったのをよく覚えている。

こいつは、殺すに値しない。
こんなやつを殺して自分の人生を棒に振るのは、馬鹿げている。

私は次兄に、
「次にやったら、本当に刺すぞ」
と通告して、包丁を台所に戻した。
その日を境に、次兄のいじめはピタリと止んだ。
小学2年生にしてはなかなかの快挙だと自分をほめてやりたいが、ヒルビリー感、ひどいな。

「いじめっ子」になった私

いじめられっ子を脱却した私は、学校でいじめっ子になった。自分が家でやられたことを「外」に向けたのだ。最悪の連鎖である。
5年生で一緒のクラスになった男子、X君が私の「いじめっ子体質」を刺激した。

私は体格も良く、運動も勉強も遊びも得意で、一目置かれる存在だった。そして、それを鼻にかけ、「できない子」に苛立ったり、馬鹿にしたりする、鼻持ちならないガキだった。
X君は、私のようなクソガキの標的になりやすい少年だった。口下手で、勉強も運動も得意ではない。友達も少なかった。
卑怯なクソガキは、やり返されるリスクが小さい相手を選ぶのだ。

X君に対するいじめは初夏のころからエスカレートしていった。
仲間外れにしたり、X君が何かミスをすると大げさにそれをネタにして笑いものにしたりした。
昔から無駄に口が達者だった私は、辛辣な悪口や「いじり」を放って、クラスで大ウケし、それでまた調子に乗っていじめをエスカレートさせるスパイラルが起きていた。

「お前、それ、本当に面白いか?」

X君へのいじめがピークを迎えたのは夏のキャンプだった。そのキャンプ中に彼はあるミスをした。クソガキが見逃すはずもない「おいしいネタ」だった。
私は、誰もが知っている曲にのせて、それをあげつらう替え歌を作った。
思いだすだけで胃が痛くなるような酷い歌詞だった。そしてそれは、キャンプの間、ちょっとした流行歌になった。

数日間のキャンプが終わり、私たちはバスで帰路に就いた。クソガキだった私は、クラスメートを促して、車中で例の替え歌を大合唱した。
最悪だ。今書いていても気分が悪くなる。

歌い終わると、運転手のすぐ後ろの席に座っていた男性教師(担任とは別人)が呼びつけ、隣の席に座らせた。
(ビンタの1つぐらいは食らいそうだ)と覚悟していた私を待っていたのは、意外な反応だった。
その教師はしばらく軽蔑した目で私をみつめた後、嘲笑まじりにこう言った。

「お前、それ、本当に面白いのか?」

言われた瞬間に、自分の愚劣さ、品性の無さに思い至り、「俺はなんてカッコ悪い男なんだろう」といたたまれない気持ちになった。
だが、私は、自分の愚行に気づく程度のアタマと自尊心はあっても、それを認める勇気はないクソガキだった。
動揺を隠しながら「うん!」とぎこちない笑顔で答えた。顔は引きつっていたと思う。
男性教師は「……ふーん」と、汚いモノでも見るような目で私を見て、「勝手にしろ。席に戻れ」と、ビンタどころか説教のひとつも食らわせず、私を釈放した。

この後、私はX君へのいじめから手を引いていった。
完璧にいじめが止まるにはしばらく時間がかかった。クソガキがリードしなくても、何かあるとX君を「いじる」のはクラスの定番になっていた。

私が改心してX君に謝罪し、いじめを止める側に回った、なんて後日譚をご紹介できたたなら、どんなに良いだろうと思う。

でも、私は、「かっこ悪い」からいじめをやめる程度の自尊心はあっても、同級生に頭を下げて許しを請うほど、賢明でも勇敢でもなかった。
X君との接触を極力避けて、時間が解決するのを待つという卑劣な方法を選んだ。

X君とは高校から進路が分かれた。再会することは今に至るまでなく、彼に謝罪したこともない。
機会があったとしても、彼はそんなことを望まないだろう。
後出しの謝罪は、加害者側の罪悪感を軽くすることはできても、被害者の心の傷は癒やせない。時間を巻き戻して、子ども時代の痛みを軽くできるわけでもない。謝罪は、加害者の自己満足でしかない。

X君に対する所業は、自分の人間性の最悪の部分を露呈した汚点として、私が引き受けていくべきものだと思っている。

「今が分かれ目だよ」

時はすぎ、私は2人の娘を持つ親になった。
小学校に上がった長女は、まだ3歳になったばかりの次女に、軽いいじめのような行動をとるようになった。
いじめと言っても、「あそんで」と言われても無視したり、妹が大事にしている人形を取り上げてみたり、自分のおもちゃを貸してやらなかったり、そんな他愛のないレベルのものだ。
でも、それはとても大きな変化だった。

長女と次女は、とても仲の良い姉妹だ。
小さいころ、長女に何気なく「今までで一番嬉しかったことは?」と聞いたら「妹が生まれたこと」という意外な返事が返ってきて驚き、ちょっと感動したことがあった。
実際、赤ちゃんだった次女のお世話をしてあげたり、本を読んであげたり、一緒に絵を描いたり、長女はとても良いお姉ちゃんだった。
それが、明らかに妹の嫌がる様子を楽しむような表情で意地悪をするようになったのだ。

元いじめっ子の私には、長女の内面の変化がよく分かった。
ある日、ちょっとしたいじめで妹を泣かせている姿を見かけた私は、長女を外に連れ出して、こんな話をした。

「ちっち、最近、はっぽのことをいじめてるだろ。なんでそんなことするか分かるぞ。お腹の底の方から、いじめたい、いじめると楽しいって気持ちが湧いてくるんだろ?」
長女はうつむいて話を聞いていた。
「もし、ちっちが今のまま、はっぽをいじめるのが癖になると、その気持ちも癖になってどんどん強くなっちゃうぞ。それでいいのか?」
長女は、目をこすりながら、ブンブンと首を横に振った。
「今が分かれ目だよ。まだ、はっぽはちっちのことが好きだけど、もっといじめられたら、ちっちのことが嫌いになって、仲直りできないくらいになっちゃうぞ」

この話をしてすぐ、長女は次女に謝罪の手紙を書いた。
それがタイトル画像の紙きれだ。
自分の間違いを認めてすぐに謝ることができた我が子は、卑怯なままで終わった自分とは大違いの、勇気のある子だった。

「いじめっ子」を変えるもの

いじめという根深い問題に「こうすれば根絶できる」なんて解決策を示せるなどとは思わない。
だが、自分自身の経験から言えば、ただのアホだった小学生の私や、長女のような「初期症状」の段階なら、誰かが適切なタイミングで心に響く言葉をかければ、いじめの芽が野放図に伸びてしまうのを防げるケースもあるのではないだろうか。
鍵となるのは、「いじめっ子」を叱ったり、罰を与えるのではなく、自尊心と想像力に働きかけることなのだろうと私は思う。

それでもダメならどうすればいいかって?
再び個人的な経験に照らせば、それはもう、「包丁」の出番なのかもしれない。
本当に刺さなくたっていいのだ。
どうせ相手は臆病な卑怯者なのだから。

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高井宏章
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