研究が上手くいかなくても聞いてみなきゃわからないこともある.
時々自分はダメなんじゃないかと考えることがある.
こんなことを聞いたらダメじゃないかとか, 嫌われてチャンスを失ったりすると思ったりする. 研究は多くの場合孤独で, 自分のやっていることに自信が持てなくなることがある. 競争相手がいて自分よりも先に論文を出してしまうのじゃないかと思う.
僕の場合, 一台しかない精密機械で実験していたのだけれど, プロトタイプだったので何度も故障してしまい一年以上実験がストップしてしまった. この間の不安でなんども泣いたし, 眠れなかったのを今でも思い出す.
卒業した今はあまりそんなことはないけれど, これは僕だけでなく多くの博士学生が経験していることのように思う.
研究の文化
自分は研究者になれるだろうかとか, 自分のやっていることは本当に価値があるのかとか. 指導教員と上手くやれているかどうかとか. 研究しかやってこなかったけれど, 大して研究の成果もない時にはこういう不安が夜やってくる.
結局解決策は, 成果を出したり, 今の自分の弱さを認めて前に進めることだけれど.
特に, 何が成果になるかまだ実感がない学生には指導者のサポートなり, 研究ノートの付け方だったり, 研究のやり方を指導すること大切だと思うんだけど, そこを1から探索することになるのは大変と思う.
ソーク研究所にいた時に, 研究室のメンバーと一緒にジョギングしたり, 夕方に一杯飲みに行ったことが何度かある. 僕のもとには一人, 話し相手の研究者がいて研究の考え方やらマナーみたいなものも未熟だった僕に優しく教えてくれた. 普段研究に集中しているけれど, 普段どんなことを考えているとか, 何が不安だとか話す機会があって, 良い文化だと思った.
アカデミアのトップスクールになると, もともとできる人が指導者になっている場合が多いので, ここら辺は異常なぐらい無頓着のことが多いと思う. 一方でそういう指導者は, 後継者がいなくなるので晩年苦しんでいるように見える. 一部, もともとできる人が指導者のもとにきて輝かしい業績を上げていくが, 再現性はあるわけじゃないと思う.
カウンセラーの常駐
幸い, 僕が卒業した大学院にはカウンセラーの方が常駐していて, メールをして予約をすれば話をすることができる. 何度もカウンセラーと話したことがある.
誰かが側にいてくれるだけでここまで安心できるのだと思わなかった.
カールロジャースの考えに”プレゼンス”(存在感)というものがある. 誰かが側にいてあるがままの自分と向き合ってくれる受容や共感の感覚らしい.
自分で自分がしないといけないと思っていることに気づく. 気づいているけど受け止めるようになる. きっと他の人でもそういう風に考えると自信が持てるようになる.
家族だったり, 大学時代の友人だったり, 大学の後輩だったり, もっと大切にしたいという気持ちが湧いてくる.
これはサイドストーリーなのだけれど, 同じ研究分野の方(ポルトガル人だったか)が, うつ病で離脱していたことがあるらしい. 同じような研究テーマだったので, きっと機械が壊れたり実験が上手くいくか不安だったのだろうと思う.
彼女もまた同じ人間なのだと思う.
そこから僕は, 似たような研究をする人が多い分野では研究しないと決めた. ちょっとキワモノでも, 競争はしない[1].
The answer is automatically No unless you ask.
"The answer is automatically No unless you ask." というような言葉をtwitterで見た時には素敵な言葉だと思った.
大学院卒業前になると, 多くの学生が自分に何ができるのか改めて考えることになる. アイディアがあっても自分にできるのか不安になるし, 断られることだった普通に怖い.
もちろんうまい戦略とか独自性とか考える必要があると思う. だけど, 結局聞かなきゃ他人の気持ちはわからないし, やってみなきゃわからない.
研究者だって, 会社できるどうかなんてわからなかったし, 今の社長に聞いてみるまで研究者を続けられるとは思わなかった.
自分なりに人に尋ねて, 人は優しいしきちんと話してくれると思うことが多くなった. 人の話を聞いてくれる人はこんなにも素敵なのかと思った.
目の前で苦しんでいる人が助けてと言ったら, 返事をしてくれる人もいる.
人生だって, やってみなきゃわからないこともある.
[1] ピーター・ティールの言葉に, 「競争は敗者のもの」という言葉ある.
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