仕事をお休みしてから2ヶ月ちょいが経ちました。なんの予定もないのに、驚くほどあっという間に毎日が過ぎていきます。おもくるしい話になってしまいますが、お休み生活の様子をお伝えします。 お休みをする前のぼくは、生活をするのがとても下手くそでした。ご飯を食べて、寝るという基本中の基本ができなくなってしまいました。仕事も自分のキャパを超えるほど抱えてしまったり、知らず知らずのうちにいろんなストレスを溜め込んでいました。だんだんと眠れない日が続き、食欲もなくなり、コーヒーとお酒が主食
これは10年前のお話です。 あの日のことは忘れるどころか、時が経つにつれてどんどん自分の中でぶくぶくと膨らんでいます。 僕は元々、名古屋吉本でコンビを組んで芸人をしていました。 マニッシュガーリーというかっこいいコンビ名で、105㎏で中卒で手癖の悪い相方と一緒に、漫才をしていました。 相方は基本的にはどうしようもない人でしたが、10年経った今でもめちゃくちゃ面白い人だったと思っています。 コンビとしてはたったの4年ぐらいしか活動していないのですが、僕にとっての人生の青春は間
はじめに これは、俺から見た安田についての記録である。俺はこの数年間、誰よりも安田と時間を共に過ごし、誰よりも安田を見ていた。他人が見たことのない、誰も知らない安田を俺は知っている。安田が見てきた景色を、同じように俺も見てきた。俺の半分は安田で、安田の半分は俺なのだ。 安田を語るのであれば、俺ほどの適任はいないだろう。誰に頼まれた訳でもない。誰かに伝えたい訳でもない。俺が知っている安田について、ただ淡々と書き記す。もちろんだが、安田のことを大袈裟にも語るつもりも、控えめにも
漫才が好きで吉本に入った僕が、なぜか絵本を出版しました。 ありがたい事に現在6万部を突破。 韓国と中国でも翻訳され発売されています。 なぜ絵本を出版できたのでしょうか。 それは、失敗をしまくったからです。 1.相方が突然の行方不明 愛知県出身の僕は、名古屋よしもとに入り芸人になりました。 吉本に入ってすぐに1年先輩とコンビを組み、コンビで4年ほど活動をしていました。 こんな感じの相方です。 順調に仕事も増えていき、少しずつ名古屋のテレビにも出れるようになって