酒店のカウンターに朝日が昇った
特急列車で移動中に、事故が起こった。
JR四国の窪川駅から高知駅に向かっている最中の出来事で、私が乗る1本前に先発していた列車が、踏切で立ち往生していた車と接触したのだ。
列車の客室の窓ガラスが割れる規模の事故だったそうだが、幸い死者は出なかったことを後のニュースで知った。
しかし単線区間での事故だったので、当然事故現場の対応が終わらなければ後続の列車は1本も動けない。
私が乗車していた特急あしずりは須崎という駅で停車したまま動かなくなった。
乗務員さんいわく、「この先の運転状況は不明で、動くとしても1、2時間先になるから、それまでは列車の外に出といてもらっても大丈夫ですよ」とのこと。
ならお言葉に甘えて、とホームへ。
別のホームでは観光列車が立ち往生していた。
せっかくの旅なのに残念だろうな……と思っていたら、ホームで地元の人たちが郷土の踊りを披露していた。
楽しそうだったので、私も端っこで手拍子を打ちながら楽しませてもらった。
リズムに体が揺られ、心も踊る。
「ちょっと、駅の外に出てみるか」
それで気持ちが高ぶったせいだろうか。
私の切符が途中下車可であったこともあり、大胆にもそう考えた。
今の列車が予定を変えて発車してしまっても、まぁ何とかなるだろう。
予定が一つ狂っただけでヒステリー気味になるほどの計画魔だった昔に比べたら、ずいぶん気楽になったというか。なりすぎたというか。
とにかく私は駅の外に出た。
出たものの、この須崎という街の前知識は一切ない。
どうやらここは港街らしく、名物は鍋焼きラーメン。
というのは後日知った。
目の前に山が見えたから、山あいの街かなと勝手に思っていた。
とにかく考えていても仕方ない。
駅からまっすぐのびる道を歩きはじめる。
ちなみにこの時の私の足に迷いはなかった。
駅前にはちょっとした商店街のような区域があり、そこになら酒店の一つでもあるだろうと踏んでいたのだ。
お酒を飲むのも列車旅も好きな私。
実は多少危険を冒しても駅から出たのは、旅のお供に高知の地酒がほしかったからである。
駅前の直線を抜け、曲がり角を左へ。
……
どうやら私の勘は当たったらしい。
「土地の酒、ぎょうさん扱ってまっせ」といわんばかりの面構えの酒屋さんがそこにはあった。
入口をくぐると、中は広々としていて、品揃えも豊富。これなら自分好みの酒に出会えるだろうと胸がわきたつ。
店主のおじさんがやってきて、おすすめの地酒についてあれこれ説明してくれる。
滑らかに旦那さんの口から流れ出る土佐弁に、「すごい、坂本龍馬の世界だ」とよくわからない方向に感動する私。
悩み抜いた末、一本の地酒を選ぶと、旦那さんと奥さんに礼を言って駅へ。
急ぎ足である。いつ列車が出るか気が気でない。
気楽になろうと、怖いものは怖いのだ。
幸いにも特急列車は私を置いてけぼりにすることなく同じホームに留まってくれていた。
座席に着き、ついでにほっと一息もつき、早速購入した地酒を開ける。
素晴らしくおいしかった。
ちゃんとした感想を書けなくて申し訳ない。
味のレビューをちゃんと書こうとこの時の日記をめくったが、「四国旅 別途記載」とあるだけで、その「別途」がどこにも見当たらない。
今度しっかり探しときます。
どっしりとした米の旨みがキンキンに冷やされ、あざやかな飲み口で喉を通っていく味だった、かもしれない。とにかくおいしかった。
あいかわらず動く気配のない列車の中でちびちびと味わいながら、旦那さんや奥さんの気さくな笑顔を思い出す。
(感想、伝えたかったなぁ)
いい酒を教えてもらったお礼も言いたかったが仕方ない。
とにかくいいお供が手に入ったし、この先1、2時間、気長に待とう。
と思った矢先だった。
『こちらの特急列車は当駅において運転取り止めとします』
突然のアナウンスに、冷や酒を浴びたように凍りつく私。
見知らぬ土地の、見知らぬ駅での立ち往生。
夕方に起こった事故だったので、もしかしたら今日中に高知駅までたどり着けないかもしれない。
様々な不安が去来する中、さらに私以上に不安そうにしていたのが家族連れの外国人観光客。
いったい何が起こったのかと尋ねられたので、私はたどたどしい初歩的な英語でどうにか事情を説明する。
その後駅員さんから後発の特急列車なら動いている旨を聞き、彼らとともに窓口で切符を再発行。
私も彼らもどうにか事なきをえた。
さて、後続の特急が到着するまでまだ1時間以上ある。
こうなればやることは決まっている。
「よし、あの酒屋さんに感想を伝えに行くぞ」
再び駅舎を出て、さっきの酒屋さんへ。
レジの中にいる奥さんが「あら」と目を丸くしたので、「いやぁ、列車なくなっちゃいましたよ、ハッハー」と事情説明。
そしてお酒の感想と、このお酒をすすめてもらったお礼もきっちり伝える。
そうやって談笑する中で、奥さんが私がたすき掛けにしているモノに気づいたようだった。
「あなた、カメラお好きなの?」
私の肩からは速写ストラップをつけたニコンの一眼レフ(D5300)がぶらさがっていたのだ。
「実は主人も好きでねぇ。……あ、ちょうど配達から帰ってきた」
そこに配達を終えたさっきのご主人が店の中へ。
私がいる事情を奥さんが説明すると、「ああ」と納得された様子。
「それでね、この人カメラが好きなの。あんたのカメラ見せてあげたら」
思わぬ奥さんの言葉。いくらなんでも長居するのは申し訳ないし、あまりお仕事の邪魔をするわけにもいかない。
すると旦那さんが、
「こっち来てみ」
と店の裏へ手招き。
おずおずついていくと、
「これがわしのカメラ」
と、次々とカメラを丸テーブルに置いていくご主人。
「日の出の写真を撮るのが好きでな、その時に使うレンズがこれ」
私が知らない類のレンズも出てきた……。
いつの間にかさっきの地酒を紹介する時の、いやもしくはそれ以上に土佐弁がに熱がこもり、滑らかに言葉がご主人の口から躍り出してくる。
ご主人の話が止まらない。
行動も止まらない。
「これが今まで撮った写真」とさらに店の裏からパネルを持ってきて、レジのあるカウンターにどしんと置いた。
酒店のカウンターから昇った朝日に、私は息を呑んだ。
だるま朝日が昇った瞬間を捉えた写真たち。
その前に立つ人影によって、見る者はストーリーを否応なく想像させられる。
写真愛好家の酒店のご主人。
実は高知県内の市展や県展に出展するほどの実力者だったのだ。
それから私は奥さんをまじえ、どっぷりとご主人の話を聞いた。
「ちょっとあんた、そろそろ列車が出る時間よ!」
と奥さんが止めるまでご主人の話は終わらなかった。
私も聞き足りなかった。
こんな良い朝日を酒とカメラの話の肴にできるだなんて、思い返せばなんと楽しく、贅沢な時間だったろう。
寄り道をしてよかった。
カメラをぶら下げていてよかった。
私は長居をしたお詫びにとビールを追加で買い、「また来ます。今度は朝日を撮りに」と言って店を出た。本気で言った。
須崎駅に戻り、ホームに立つと、先ほどの外国人の家族連れが先に待っていた。列車が無事に来るとわかってホッとしたのか、賑やかな雰囲気だ。
私の姿を見つけた奥さんらしい人が、「さっきはありがとう」と英語で言った。話を聞くと台湾人のご一家。列車が到着するまでお互いたどたどしい英語で談笑した後、記念に一緒に写真を撮ることになった。
その後無事に後続の特急列車がやってきて、高知駅で家族とは別れた。
胸がじんわり温かくてしかたなかった。
唯一の後悔は、別の列車に乗り換えた家族に手を振って見送ろうと発車を待っていたら、私が立っている方向とは真逆に列車が走り去っていったことくらい。
カメラを肩からぶら下げていてよかった。
カメラを持っていてよかった。
一期一会の瞬間を一生残せる道具があってよかった。
出逢いのきっかけとなった事故を肯定的にとらえるつもりは毛頭ない。
ただ思わぬトラブルで立ち往生しても、足だけは止めず、ゴールが見えなくても前に歩き続けていれば、いつかはとてつもない風景と出会えることもある。
あのだるま朝日を見られたように。
高知県のとある酒店のカウンターに昇ったあの写真が、そのことをあらためて私に教えてくれた気がした。
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