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第八話:愛を得るために採る間違った行動

「第三話:親の愛」愛着についてお話しした。

愛着理論では、幼児の愛着行動は、ストレスのある状況で、対象への親密さを求めるために行っていると考えられている。

この「ストレスのある状況」というところに注目してほしい。
そして、

養育者への愛着障害(甘えられなかったこと)が「慢性ストレス性格→慢性ストレス→慢性炎症→慢性病」の原因となります。

ということだった。

人は心の本質的欲求を満たすために生きる

ヘルスカウンセリング学の教科書「SAT法を学ぶ」の中で、宗像が「心の発達と発達阻害因」として述べていることを引用、加筆して示す。

乳児期・学童期においてはまず重要他者から十分に愛され,認められるという無条件の愛の中で育つことで,「自分は愛される存在であること」と実感する。そのことにより,「道具的能力やコミュニケーション能力」の基礎を形成する。

思春期に入るころからは,自己決定を尊重され,自分の意思と力でさまざまなことにチャレンジし,成功体験を積むことで「自分を信じる力・自己判断能力」をつけていく。

成人期においては,家族関係,親子関係,職場の人間関係において重要他者を認め,愛し,守ることによって,「他者を信じる能力・自己責任能力」を身につける。

老年期には重要他者を許し,感謝することによって,自分の生きてきた人生の意味を見出せることが重要である。

これはすなわち、第七話でお話しした「愛の欲求」、人が成長していく過程における「心の本質的欲求」充足の話なのだ。

しかしいま、人生の各時期において、その愛が脅かされている可能性も否めない。日本の経済成長は止まり、都会では共働きのため、幼い時から保育園に預けられる。両親は果たして「無条件の愛」で子供に接することができているだろうか。日本の学校教育はどうだろう。上がコントロールしやすい人にするための洗脳(という過激発言はやめておくが)、一人ひとりの個性を伸ばそうといいながら、その実は変わったのか。就職して集団に属する。多くの職場は、いまだに安心して個性を発揮できるようにはなっていないように感じる。終身雇用制度は崩壊し、会社には将来を委ねられない。それどころか、これまで一生懸命働いて将来のためにと納めてきた年金さえ、ほぼ還元されなくなる世の中になる。そんな中で、いかに自分を信じ、まわりを信じ、認め、愛し、許し、感謝できるように成長できるのだろうか…。


宗像は、

人間は,本来自らの問題を自己決定によって自己解決し,自己成長する力を持っている。

という。
「第五話:自分の中のとっておききょうだい」では、

私たちは死を迎えるとき、いろいろとトラブルや問題があったが、振り返ってみると、いい人生だったな、楽しかったなと満足して死ねることを目的として生きている

という、宗像の唱える人生観も紹介した。

「あるがままの自己」を生きるために、人は無自覚に、メンタル不調、病気、争い、事故、失敗という問題を起こし、学ぼうとする。

人はこの世に、今生の課題を持って生まれてくる。多くの人は、年を経るに伴い、その課題を忘れてしまうのだが、それでも潜在意識にはしっかりと刻まれており、その自分を生きようとするのだ。しかし、いまの社会で、その「ありのままの自分」を表現しようとすると、いろいろな抵抗に遭う。それでも、その課題に果敢に挑戦し、乗り越えていくことによって学びが生じ、人生満足に近づいていくということなのだ。しかし、課題を乗り越えようとすると同時に、人は自己解決する力を失い、決断ができなくなるという側面も持っているという。それは、どうしてなのか…。

二重意思理論

1995年、宗像は「最新 行動科学から見た健康と病気」の中で、「二重意思理論」というものを提唱している。

私たちは,「理屈ではよくないとわかっていながら,自分の行動が変えられない」という状況に陥ると,「自分は意志が弱いから…」と自分自身に対してあきらめの言葉をつぶやく.この状況をより正しく表現するなら,「頭の理解や判断(前頭脳)に対して,気持ちや感情(辺縁脳や脳幹)がついていけてない」ということ。このような状態を生み出すのは,自分の意思(表の意思)ではコントロールできない,もうひとつの意思(裏の意思)が存在するためである。何とか解決したいという「表の意思」に対して,無自覚ながらその人の行動を実質的に操作している,もうひとつの意思「裏の意思」が存在し,解決の妨げになっている。
「表の意思」とは、理屈通りの合理的な目標達成行動を促す意欲。
「裏の意思」とは、過去と同じような鍵状況になると、愛着(ケア提供者の穏やか顔・笑顔)を獲得して生きる残るために反射的におこなう「特定の生き方パターン」を促す意欲であり、自分の理屈通りの意思ではコントロールしがたい。

裏の意思

この「裏の意思」とは一体なにものなのか。「SAT法を学ぶ」の中で、宗像は以下のように説明している。

裏の意思は,過去の嫌悪系体験(心が傷ついた体験)によって形成されたものであり,隠れた感情をもつ.しかし,それは記憶の奥にしまいこまれ,自覚化しないようにして心の安定を保っているのである.そして,無自覚ながら潜在的な感情としてエネルギーをもち続け,過去の体験と似たような状況に出会うたびに自動的に防衛反応を繰り返す仕組みになっている.心が傷ついた体験と,その時につくられた感情(心傷感情)は,この裏の意思と隠れた感情を自覚化するまで自分の生き方全般にわたって影響し続けている.

これが、世間一般でよく言われる「自ら問題解決をしない限り、同じようなことで苦しみ続ける」ということの理由である。源は「過去の嫌悪系体験」であり、いわゆる「トラウマ」になっているということだ。

この「裏の意思」には、以下3つのレベルがあり、いずれも過去の嫌悪系体験による隠れた感情の仕業のため、ガイダンスやアドバイスで行動が変えられないのは当然のことだという。

①行動を変えようとすると「見捨てられる怖さ」や「抑えられない怒り」「寂しさ」など行動を妨げる感情が沸き起こって,それにとらわれてしまう。

②行動を変えることを自己決定,自己判断しようとすると,「無力感やあきらめ」,「強い不安」など,自分自身のイメージのなかに決断を鈍らせる感情が起こり,自己決定できない。

③行動変容を決意しようとすると,その決意を支える「アクセル感情」と,逆に決意を鈍らせる「ブレーキ感情」が同時に生じ,自分自身をめぐる矛盾した感情が拮抗して,エネルギーがぶつかり合うために,自己決定ができなくなってしまう。

さらに宗像は、この状態を「心のメリーゴーランド」と表現し、

ある決断に対するアクセル感情(自己成長心)とブレーキ感情(自己防御心)という2つの矛盾する感情は,これまで生きてきたなかで,自分を守るためにとり続けてきた「心理パターン(心のクセ)」に支配された行動様式の背後に隠れていたもの

とし、

「このままの自分では嫌だという自己嫌悪」や,「変わりたいという自分自身に対する強い希望や期待」があって,変わろうとしたのに,失敗して傷つき,「怖さ」や「悲しみ」などの心傷感情を感じ,「自分には無理だなあ」と無力感を感じた体験

が背景にあり、さらに、

無力なままの自分では情けないと自己嫌悪をもち,再度挑戦しようとするが,挑戦しようと思うと過去の感情がフラッシュバックして「二度とあんな怖い思い,悲しい思いはしたくない」という思いが生じ,また無力になってしまう

のだと、簡単に解決できない理由を説明してくれる。

悩み

愛着心理パターン

癒す型…思いを果たせず、傷ついた自分を置き換えたものや人で癒そうとする。

償う型…自覚、無自覚な罪意識や自責の念を、自分を罰したりするなど別のことで許してもらおうとする。

当たる型…自分の思いが果たされなかった悔しさや恨みや妬みを人やものにぶつけて、はらそうとする。

自己犠牲型…人に尽くして、自己を犠牲にすることによって愛されようとする。

孤高型…人の手を借りずに、一人で独立して生きていくことで愛されようとする。

共依存型…依存的な相手を救うことで愛されようとする。

依存型…自分の思いを果たすために助力を得ることで愛されようとする。

気を引く型
 自傷型…自分を責める、傷つけることで周りの関心や優しさや察しを引き出そうとする。
 救援型…病気になる、事故や問題を起こす、失敗するなどで、周りの関心や優しさや察しを引き出そうとする。
 攻撃型…人に不満や嫌なことを言ったり、恨むことで、周りの関心や優しさや察しを引き出そうとする。

諦める型…自分が諦めることで丸くおさまり、安心できるので、周りへの自己主張を抑え、評価を得ようとする。

頑張り逃避型…自分の恐怖感や罪悪感、無力感、自己嫌悪などを自覚させないために、本音の気持ちではない別のことで「これでもか、これでもか」と頑張り続け評価を得ようとする。

これを見て、あなたも思い当るところがあるのではないだろうか。

宗像は、これら「心理パターン」と、先の「裏の意思」の話を要約し、

「心理パターン」は、過去の自分やその相手を、①別の人、②別の事柄、③今の自分に置き換えて、過去に充足できなかった「心の本質的欲求」を充足し、過去を癒そうとする心の癖であり、その安全感の中にいると、心の欲求は常に代償的充足のままとなり、現在の自分の本当の欲求は満たされない。この「心理パターン」によって、自分をうまく守っているうちは自己成長しようとするエネルギーが弱い。しかし、その対応が破綻し、危機的状況に陥ると、心の中の自己成長心が目覚め、「何とかしたい」という思いが高まってくるのだが、過去に感じた怖さ、悲しみ、怒りなどの感情がフラッシュバックするため、なかなか問題を解決することはできない。

と教えてくれた。

大事なことは、これら心理パターンとして採る生き残り戦略は、あくまでも「代償的充足」であり、自分の真の欲求にはフタをして見ないようにしているため、満たされることはないということ。それで凌げるうちはいいが、その心の奥底に仕舞い込んだ欲求は、抑えきれず、いつしか顔を出すことになる。その時が自己成長のチャンスなのだが、ずっと避けて誤魔化してきたこともあり、克服しようとしてダメだった自分が思い出され、一人ではなかなか乗り越えることが難しいということなのだ。


宗像はさらに、これら心理パターンは、

本人自身が形成したものもあるが、多くは世代を越えて伝達されており、親など重要他者のもつパターンを、そのまま模倣して伝達されている。

とし、

裏の意思の心の声の源は本人ではなく、キメラの感情や記憶になるから、本人の理屈通りの意思ではコントロールできない。

とまで言い切る。
こうなると、もう自分がどう対処したらいいのか。元々が自分の取った行動のせいではなく、それより以前の祖先から代々受け継がれてきた「○○家の生き様」なのかもしれないのに…。


それでも宗像は「祖先療法」というものを用意し、それに対応してみせる。祖先を癒せない場合は、さらに戻って人になる前の時代まで遡る。それでもダメなら、宇宙の素粒子に戻るまで…。

私たちは、対象認知する前に、身体違和感を反映する扁桃体による思い込み(予期感情と予期イメージ)で判断し、行動するところがある。

その「扁桃体の思い込み」、ここに「裏の意思」が作用しているのである。

SATセラピーでは、解決しないまま記憶の奥に仕舞い込んだ「過去の感情」を手がかりに、現在の問題を解決していく。また、裏の意思の存在に気づくことを助ける。人は自らの心に潜む裏の意思の存在に気づくことによって、初めてその呪縛から解かれ、自分の自由な意思によって生きることができるようになる。「裏の意思」をコントロールして行動変容する。

ことが大事なのだと。
とても長くなったので、この話は次に譲ることにするが、

裏の意思の心の声を出すキメラの身体違和感(不安予期)を身体良好感(期待予期)にすると、前向きな心の声や行動意図が生まれる。

ということを利用し、裏の意思を鎮めるのだ。

おわりに

今回は、愛を得るために採る間違った行動として「愛着心理パターン」を紹介した。いまを含め、あなたが歩んできたこれまでの人生を振り返ってみて、採っていたパターンはなんだっただろう。多くの人は、このいくつかを、対象人物を変えて採ってきたのではないだろうか。これに気づいたなら、もう「代償的充足」は終わりにしよう。そして、あなたのあるがままを表現して生きていこう。
この変容は自分一人ではなかなか難しい。でも、私たちヘルスカウンセラーが、サポートできる手段を持っているということを覚えておいてほしい。

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