本当の自分で生きる
私の修めているSATでは、自分が心の底から望む生き方に気づき、そのように生きられる自分になることをめざします。
前に、「あるがままの自己」を表現しようの中で、私の恩師・宗像恒次の言葉を紹介しました。
言い換えれば、
いつも人目を気にし、自分を押し殺して他人に合わせて生きる、そのような生き方がストレスを生み、やがて疲弊し、病気になる。
だから「本当の自分」で生きることが必要なのだと。
しかし、いまの社会で、そのような考え方がそのまま受け入れられるかというと、必ずしもそうではないと私は思うのです。
それは、「私の思いが、まわりの人にちゃんと伝わっていないからだ。」、
そう言われる方も中にはみえます。
確かに、思いが伝われば、軋轢はなくなるかもしれません。
しかし、大半の人が他人と異なることを恐れ、他者報酬で生きている人たちがあふれているいま、その考え方自体が、なかなか受け入れられません。
そういわれてもね…
頭では理解できるけれども、実際にそんな生き方なんてありえない…
結果、「変わり者」ということになってしまいます。
それでも私は屈しません。
けれど、そういう「浮いた」状況に自分があることに気づいていないSATカウンセラーも、私はいるように感じています。
結局それは、私がまだ、まわりを気にしていることに他ならないのかもしれません。
気にしなければ「浮く」という感覚はなくなり、あるがままで生きられるのでしょう。
ただ、その態度は、よほど強烈でない限り、つまりは、素早くまわりを感化するパワーがなければ、傲慢になってしまうかもしれないから。
一緒にいて心地よさを感じられない人たちは、いつしか離れていってしまいます。
それでいいといえば、いいのかもしれませんが、己の道を貫き通すことは、それくらい大変だと、私は思うんです。
でも、いまの私はあきらめません。
なぜ?
現にソーシャルメディアで出会う方々の多くは、本当の自分で生きている人が多いから。
私は私のやり方で、少しずつ、まわりに理解者を増やしながら、本当の自分で生きることの楽しさ、素晴らしさを広めていけたらなと思っています。
そのまわりとともに、自分の人生を愉しむのです。
そんな社会を、ぜひイメージしてみてください。
あなたはどんな気持ちになりますか?
今年2011年は、東日本大震災が起こり、みなが人との「絆」を見つめ直す機会を得ました。
経済崩壊、最悪のシナリオ、…
いろんな言葉が、世の中を飛び交っています。
いま一度、この状況をいい機会ととらえて、本当の自分で生きてはみませんか?
明るい「いま」を、ともに創りましょう!
このブログ記事を書いてから、干支が一周しました。
この時は大震災、直近は流行病騒動。一時は自粛警察などが現れたりして、さらに社会は分断されてしまいました。いまだにマスクをしている人の方が少なくないことに対し、私は日本人どうした!?と叫びたくなります。9月からは「秋接種」などという恐ろしい企みも始まっています。どうか惑わされないでください。
この騒動から4年近くを経、薄々おかしいのではないかと気づいている人も増えてきました。今年は年末にかけて、喪中欠礼のハガキが山のように届いています。心血管系の疾患ばかりか、元気だったのに突然がんがみつかりあっという間に逝ってしまった。そんな話がすごく多く聞かれるようになりました。芸能人も若くしてお亡くなりになっていますね。
私は打ってしまったけれども大丈夫だろうか。どうしたらいい…。そんな相談も飛び込んでくるようになりました。
どうかみなさん、おかしな情報に惑わされることなく、自分を信じ、自分の人生を愉しんでください。