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青春デンデケデケデケ:祝祭はつねに静謐である

青春デンデケデケデケ
1992年 日本映画

フー流独断的評価:☆☆☆

ベンチャーズのライブ映像と共に映画は始まる。ところが、その音量はきわめて謙虚だ。大林宣彦は外見に似ず、育ちの良い奥ゆかしい人だったのだと思う。

舞台となるのは、1965年春の四国・香川の観音寺市だ。明治維新と言い、ロックンロールと言い、革命の烽火は常に地方都市から上がる、というのが日本社会の特質なのだろうか。ベンチャーズが初来日したのが、1965年1月のこと。黒船来航の数ヵ月後には、四国の田舎町にまで天下の一大事(笑)が伝わるところも、尊王攘夷の大騒ぎの頃とあまり変わっていない。

主人公がベンチャーズ・サウンドという神の啓示を受け、入学したばかりの高校でバンドの仲間とめぐり合う過程は、まさにイエス・キリストが弟子たちを巻き込んでいく過程に重なってくる。そして、様々な「奇跡」を生み出しながら、5人の少年たち(4人のバンド・メンバーとマネージャー)は成長していく。

ちなみにステージの裏方に徹するマネージャー役の佐藤真一郎の人物造形がとても良い。単なる世話好きではない。手作りで真空管アンプを作り上げ、そのアンプを「上から目線」で主人公たちに使わせてやるところが何とも微笑ましい。革命は、実行部隊だけでは成立しない。パトロン、それも武器を提供してくれるパトロンの存在が必須なのだ。

ストーリーは、きわめてストイックだ。恋というほどの恋も、出てこない。昭和40年代の田舎町ということを差し引いても、思春期のビルドゥングスロマンに、ファースト・キスだけとは何とも物足りない。

これが大林宣彦の特徴であり流儀なのだろう。リアリズムなど、映画界には掃いて捨てるほど溢れている。しかし、気恥ずかしいほどのロマンチシズム、それもストイックなまでのロマンチシズムとなれば、大林宣彦の右に出る者はいないだろう。

ベンチャーズのヒット曲を練習する彼らの日常は、きわめて穏やかだ。練習の行き来、朝霧の中の町、夕陽の海辺、そこを自転車で走る主人公たち。とても静謐な情景だ。まるで、朝夕の礼拝に向かう修道僧のように。音楽もそうだ。ベンチャーズの裏で流れる久石譲の音楽、しかしそのさらに背後には、空耳のようにバッハのコラールが聞こえてくる。

祝祭が最高潮を迎えるのは、高校3年の秋の文化祭だ。そこで、4人は今までで最高の演奏を披露する。そして、祭りのあと。「祭りのあとの寂しさは、嫌でもやって来る」のである。主人公は、故郷を捨て、受験のために東京へと旅立つ。

主人公がローカル線に乗って旅立つシーンは、巡礼の始まりのようだ。車窓からは光があふれる。『アメリカン・グラフィティ』のラストシーンで、主人公が飛行機の窓から地上を疾駆する車を眺めるシーンを思い出させる。この二つの作品を、青春映画などというジャンルでは括りたくない。卒業とは、Graduation(区切り)ではなく、Commencement(新たな始まり)なのだ。それを象徴するような美しいラストシーンをこの両作品は持っている。

監督:大林宣彦
脚本:石森史郎
原作:芦原すなお
製作:川島國良、大林恭子、笹井英男
出演:林泰文、大森嘉之、浅野忠信、永堀剛敏
音楽:久石譲
撮影:萩原憲治、岩松茂
編集:大林宣彦

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