“かっこいい農家”を増やすため~「薬局DE野菜」の共闘
その名の通り薬局で野菜を販売するという「薬局DE野菜」プロジェクト。健康に関心の高い薬局利用者は鮮度の高い地元野菜が購入でき、生産者にとっては新たな販売ルートが開拓できるという両者Win-Winの試みはすでに上々の評判を呼んでいる。今回取材した現場では未来に向けた「新時代の農家=シン農家」の息吹が感じられた。
安芸高田の水菜農家へ
取引先の見学にやって来た
のどかな空気を揺らすように、赤いディーゼルの芸備線が時折ゴトゴト走り抜ける。そんな安芸高田市向原のゆるやかな丘陵に「ジェスン農園」のビニールハウスは建っている。
農園の主はフィリピンから来たカタクタン・ジェスン・ノラスコさんと矢野智美(やの・ともみ)さんご夫婦。2人は2018年に広島市から移住。まったく農業を知らないところから農業をはじめた新米農家だ。地域の農家が高齢となり後継ぎが不足する中、知り合った方の農地を譲り受ける形で2年前に就農した。今は水菜を中心に手掛けている。
やがて一台の車がやって来た。運転しているのは「一般社団法人 農LAB.よつば」理事の竹内正智(たけうち・まさとも)さん。竹内さんは薬局で野菜を販売する「薬局DE野菜」プロジェクトの商品企画を担当。多くの農家さんとつながりを持ち、収穫物を買い取って薬局に送り届けるという役割だ。「ジェスン農園」の水菜も「薬局DE野菜」で扱っている商品のひとつである。
両者が出会ったのは、ほんの数週間前。薬局DE野菜が採択された「Hiroshima FOOD BATON」の相談会に矢野さんが参加。そこで知り合い、先週はじめて水菜の買い取りを行った。今日は農場の様子を見学するためやって来た。
「水菜は一日置いた方が美味しいんです。冷やすと甘くなって長持ちするんですよ」。明るく人懐っこいジェスンさんの説明を受け、矢野さんにハウスを案内してもらう。今は繁忙期のため、同じ安芸高田でピーナッツ畑を耕作しているレオさんが手伝いに来ている。東ティモール出身のレオさんが自然農法で作った「エルメラ」のピーナッツも「薬局DE野菜」で取り扱っている商品のひとつ。知り合いのところに行くと、別の知り合いにばったり出会う――どうやらこの界隈の農業関係者は非常に密なネットワークで結ばれているようだ。
視察が終わると矢野さんが倉庫から椅子を持ち出してくれた。春の日の当たるぽかぽかした屋外で、お2人の活動の背後にあるものを聞いた。
農業は野菜じゃなくて人
もっと生産者にスポットを!
薬局DE野菜はHiroshima FOOD BATONの第一期採択者。三次でネギ農家を営む「Agre Lore Lab.」代表の藤谷祐司さん、薬局に薬を卸す「株式会社リンクメディカルダイレクト」を経営する石井佑弥さん、そして竹内さんの3人が起案者で、プロジェクト運営のため昨年「一般社団法人 農LAB.よつば」を立ち上げた。
薬局の専門家、実際の営農者という、まさに「薬局」と「野菜」のプロの間で、各農家とのネットワーク機能を果たすのが竹内さんの役割だ。
そもそもどうしてそんな活動をはじめたのか。きっかけについて尋ねると竹内さんの口調に熱がこもった。
言葉のはしばしに今の農業に対する危機感がのぞくが、竹内さんはむしろ「農業に可能性しか感じてない」と言う。
竹内さんが目指しているのは、農家の人々のマインドセットの変革なのだろう。これまで畑や農作物だけに向けてきたマインドを、消費者や経営の面にも向けてもらうこと。その変革の手段としての薬局DE野菜だが、事業は好調に推移している。
生産者の意識が変わらないと
農業の現状は変わらない
薬局で販売したことによって新たな発見もあった。
今回の成功を受けて、4月以降は扱う店舗を増やしていく。今年度Hiroshima FOOD BATONで掲げた「5店舗展開」という目標をクリアーしたことで、来年度は20店舗まで拡大を予定している。
そんな協力農家を探している中で知り合ったのが、ジェスンさん夫婦だったというわけだ。パートナーを選ぶ際の条件について、竹内さんは語る。
再びここで登場する「農家のマインドセットの変革」というミッション。竹内さんが理想とする、自発的で稼げる「シン農家」像には取材に同席した矢野さんも共感する。
広島の農業の盛り上がりを
アピールできる媒体になれれば
実は矢野さんも水菜農家という枠を越えた活動を展開している人だ。地元の女性農家仲間とJR芸備線向原駅の構内にKuruKuruというシェアキッチンを設立。これまで廃棄されてきた規格外米=くず米を使った加工食品の開発は、ひろしまサンドボックス「RING HIROSHIMA」に採択されるなど、地域と農業の活性化に取り組んでいる。
近い感性の人たちが集まり、刺激し合い、つながることでさらに広がる「シン農家」の輪。そう考えると、食や農のイノベーションを推進する「Hiroshima FOOD BATON」という看板自体がニューファーマーの旗印のような気がしてきた。
何事もひとつひとつの積み重ねから。こうしたひとつの出会い、なにげない会話の一言一言が、やがて大きなイノベーションを生み出す一歩になるのかもしれない。
●EDITOR’S VOICE
このHiroshima FOOD BATONを含め、新規事業にチャレンジしている人の取材をしていると、「また会いましたね!」という偶然がちょくちょく起こります。今回の矢野智美さんもそのひとり。以前ひろしまサンドボックスで取材させていただいたことがあり、今回の現場に出向いたら「あれ? 矢野さん?」って。やっぱりチャレンジングな人ほどあちこちにアンテナを張っていて、ネットワークも広いもの。人と人がつながっていくのは面白いことだと改めて痛感します。
おまけに今回の取材はジェスン農場の空地に椅子を出して敢行。桜が咲き、たまに芸備線が走り抜ける中でインタビュー……これ、絶対忘れられない経験ですよ!
(Text by 清水浩司)