李維漢 国民党の大漢族主義 1940
李維漢《關於回回民族問題的提綱》(1940年4月)載《統一戰綫問題與民族問題》中共黨史出版社(2014年7月 1982年版を大幅に増補したもの)pp.555-563, esp557-558 冒頭「五族共和」の説明がある。
p.557 二. 国民党政府の大漢族主義政策とその影響
ウイグル民族に対する大漢族主義のやりたい放(猖獗)は清代に始まる。清朝の統治者は、ウイグル族間の争い(闘争)をできるだけ利用(挑撥)して,自身の日増しに衰える統治を維持するのに利用(籍以)した。同時にまた大漢族主義の死刑執行人(劊子手)を利用して、ウイグル族に対して史上
空前無比の野蛮政策を実行した。造反するウイグルに対しては、大規模な虐殺(血洗)を行い、投降するウイグルは各地に分散させ、移り住む自由を奪った。これがウイグル民族の人口が減少し、住む土地が広がった主要な歴史原因である。それゆえ清朝の統治は、中国各民族の最も暗黒な牢獄である。
辛亥の蜂起後、五族共和の旗印が高く掲げられた(1911年の武昌蜂起後、湖北政府は五族共和に政体を変えることを提起した。孫中山はかつてこの種の思想を宣伝したことがあり、次のように主張した。漢、満、モンゴル、ウイグル、チベットは五族で一家であり、地位は平等である。五大民族は平等に国家政権に参加し、国家統一と民族統一を実現する。原注による)。しかし実際はなお各民族の平等は達せられていない。国民党の第1回代表大会は「対内民族平等」を宣言したものの、現在に至るまでカラ切符(空頭支票: 残額を超えて振り出された小切手 実行できない許諾)に過ぎない。
ウイグル族はすで漢民族と同化(漢化)した、ウイグル族とはイスラム教徒(回教徒)のことである。それゆえウイグル族は民族ではない、だからウイグル族が必要とするのは民族平等ではなく、教育である。教育によりウイグル族の宗教迷信を取り除き、ウイグル族の知識文化を高めるべきである。これは大漢族主義の理論と政策である。しかしこれは国民党のウイグル族政策の表面に過ぎず、その実質ではない。国民党政府はウイグル族に対して、政治上、経済上、文化教育上、民族平等の原則を実行することはなかったし、過去の北洋軍閥が政権を握っていたときの圧迫、搾取を軽減することもなかった、(ただ)同時にウイグル族内部のすべての遅れまた暗黒の勢力をできる限り維持し、ウイグル族の上層封建分子を全ウイグル族統治のために利用した。
同時に別の一面では、大漢族主義に伴い、ウイグル族内部においても狭隘なウイグル主義思想が生まれた。大漢族主義あるいはウイグル族主義かを問わず、主要なしかし(雖)はウイグル、漢両族の上層統治階級の利益の基礎上に形成されるものであるが、ウイグル、漢両族の広大な下層民衆の中においてもまたなお存在しているものである。
抗戦以来、国民党政府はウイグル族を抗日に団結させることを企図したのであるが、また表面上は宣伝勧誘を行っているが、しかし自身の一貫した大漢族主義政策は基本的に全く改めていない、
p.558 別の一面では「ウイグル族」の間で「防共」「反共」の挑発を全力で進め、防共を抗日より優先している。
それゆえ、抗戦以来、ウイグル民族の不信と民族的恨みは、消えないだけでなく減ることもない。ウイグル族上層は国民党を信認していないが、同時にまたなお共産党を恐れている。