人は学ばなければ道を知らない 人不學,不知道(礼記学記第十八)
少し前のことだが、道徳に属することは、小さな子供のときに教えるしかないのだといわれたことがある。人を殺してはいけない、人のものを盗んではいけない、などの道徳。『礼記(らいき)学記第十八』にまさにそれを書いた文章がある(写真は湯島聖堂)。
「玉は磨かなければ器にならない。人は学ばなければ、道を知らない」(玉不琢,不成器;人不學,不知道。)
ここで道というのは、もっと高い次元での道徳をいっているのかもしれない。しかし人を殺してはいけない、といった基礎的な道徳律を含んでいるといってよいだろう。この文章はつぎのように続く。
「それゆえに古の王様は国の君王と民を成り立たせるにあたり、まずは教え学ぶことをした。」(是故古之王者建國君民,教學為先。)
では道とは何か。『中庸』はそれを誠として説く。人に誠を尽くすこと。ただそれが為し難いことも続けて述べ、それが自然にできる人は聖人だとしている。であるからこそ、道を学ばねばならない、ということであろう。
「誠は天の道なり、誠は人の道なり。勉めずして、考えることもなく、道の中にいる者は聖人である。」(誠者,天之道也。誠之者,人之道也。誠者,不勉而中,不思而得,從容中道,聖人也。)
見出し写真は湯島聖堂。以下の写真はその屋根飾りに見られる神獣。
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