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顧准「 資本主義がなお生命力を有する原因はどこにあるのか」1973/05/09
顧准《從理想主義到經驗主義》光明日報出版社2013年pp.107-108 顧准(グウ・ジュン 1915-1974)について驚くのは、1973年―世界から孤立していた中国で、ここまで幅広い知識で、資本主義の生命力を見ていた人物がいたということだ。顧准は資本主義の生命力の源を批判の自由にもとめている。また批判を受けての改良を通じて、資本主義は少なくとも昔の資本主義とは異なったものになっている。それを顧准は資本主義の滅亡だとさえ言っている。(写真は文京シビックセンター)
p.107 十五、補論 資本主義がなお生命力をもつ原因はどこにあるか?
率直に言えば、私は資本主義がなお生命力を持つ原因は、彼らが、(批判を)制限しないどころか批判を発展させるところにあると考える。もしも1929年の恐慌のとき、あのケインズ以前の経済学説を堅持する政党が、全ての異端的思想を禁止していたら、資本主義はとっくに死んでいた(早就完蛋了)。(しかし)資本主義はそのようにせず、
p.108 そのなかには各種各様の批判が存在するーベトナム戦争、麻薬問題、青少年犯罪、人種差別(種族歧視)、ウオーターゲイト事件(水門丑聞)、自由放任が恐慌の原因である、年収2000米ドル~3000米ドル以下の人が貧困線以下の人である、などなど。このように資本主義が一大罪悪の根源であるかのような、一種奇妙な風景が現れる。この積みげられた一大罪悪は不断に暴かれ(揭發)不断に注意されていて、いつも大小の改良がおこなわれている。それゆえに資本主義は気息奄々ではあるが、けれどもいつも混然一体となり(混下去了)、時にすこぶる元気にみえる。マルクス『資本論』における資本主義体系(中において)でさえ、一種の暴露批判となり、改良作用を促している。現在、英国及び世界各国の歴史家はナポレオン戦争時代の英国の児童労働について(『資本論』はこれを痛烈に暴露した)、語るときなお感情は高まり、風刺の言葉を吐かざるを得ない。現在、西欧の経済学者の間では『資本論』は一種重要な古典である。しかし重視されているのは、常にその批判部分である。
十六、批判はやがて資本主義の滅亡を促す
しかし批判は、結局は資本主義の滅亡を促す。しかし1970年の資本主義は、すでに1920年の資本主義と大きく異なっている(大大不同)。継続する暴露、批判、改良は結局は資本主義を批判により終焉に至らせる。
私が見るところ、資本主義は暴力革命により滅亡するのではない。批判改良により(滅亡するのである 訳者挿入)。しかし批判において、改良のなかで一つまた一つと滅亡するのである。
たしかに武断という言い方もある。一挙に変化させる、暴力革命もありるだろう。しかしそれは瓜が熟して落ちるときの暴力革命である。
1973年5月9日
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