瀧泉寺(りゅうせんじ)大仏
世間的には目黒不動尊であるが、実は瀧泉寺というお寺である。なお瀧の音読みはロウだが、それをリュウと読ませている。江戸期の伽藍はすでにないが、天和3年1683年鋳造の銅造大日如来坐像が本堂の後ろに健在である。私は目黒不動尊は十数年ぶりの再訪だったが、緑の中のお姿は大変美しく感じた(大仏像として諸像と比較するとスリムで若々しく、若い青年のようにも感じる。手の形が法界定印あるいは禅定印とよばれるものであり、大日如来である。)。高さ385cm、座高281.5cmとのこと。
参道の途中に、寛政8年1796年鋳造の銅造役行者倚像があった。なかなかリアルな造形なので近代のものかと思ったが、江戸期のものと知り驚いた。江戸期の建物の多くは戦災などで失われているが、二つの銅像以外にも灯篭や狛犬など歴史を感じるものは意外に多く、貴重な緑も多い。
目黒不動尊は円仁による開基の伝承もある古刹。江戸時代に入り、家光が庇護、寛永11年1634年に江戸守護のため伽藍を整備したとされる。その後、江戸市中の行楽地として賑わうようになった。谷中の感応寺、湯島天神喜美院とともに、富くじの場所としても有名。
→ 天王寺(感応寺)大仏について
その後、明治に入ってから以降、度々句会の場所になったことは、色々な記録から伺える。
高浜虚子(明治7年1874年-昭和34年1959)の昭和11年1936年1月5日武蔵野探勝会の句は以下のとおり。
物売りも佇(たたず)む人も神の春(五百五十句より 『虚子五句集』岩波文庫1996年p.108)
山口青邨(明治25年1892年―昭和63年1988年)の以下の昭和11年の句も同じ時のものと思える。
たわたわと降りくる鳩や初不動
アクセス 東急目蒲線不動前駅より徒歩8分。
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