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城願寺の柏槙(ビャクシン)といってすぐ理解されないかもしれない。城願寺というのは神奈川県湯河原にある現在は曹洞宗のお寺。ここは平安末期から鎌倉、地元の豪族土肥氏の氏寺があったところ。そこに樹齢850年ほどとされる柏槙の木があり、1939年に国指定の天然記念物になっている。 木そのものは樹勢がなお強く、生命力を感じさせる。 柏槙というと鎌倉の建長寺にあるもの(三門と仏殿の間の両脇に植えられている)を思い出すが、比べるとこちらは大変樹勢が強く大木化していることに驚かされる。 ここ
このカヤ(榧)は後一条天皇(在位1016-1036)の長元年間(1028-1037)に植えられたものとされる。その後、鎌倉時代にカヤの木のそばに禅宗建長寺派の寺が建てられ、カヤの木も神木として大事にされ金比羅天も祀られていた。応永15年1408年の春、時の寺僧周如禅師が法華経を信ずるようになっていたところ、鈴谷郷の金毘羅天による、明日、高僧がくるからその教えに従うようにとのお告げがあった。時を同じくして下総中山の日英上人に鈴谷郷の金毘羅天による、鈴谷で布教するようにとのお告
練馬白山神社は、イザナミノミコトを祀り平安時代に建てられた古社とされる。伝承によると、永保3年1083年に、源義家(1039-1106)が奥州征伐に下る時に、この社に戦勝を祈願し奉納した苗の一部がこの大ケヤキとされる。樹齢は800年以上とも推定され、この伝承に対応する。かつては階段上にもう1本あったが、それは平成27年2015年10月の台風で折れて無くなってしまったという。現在存在するのは、階段下の1本で、幹の周囲8m、樹高19mとされる。国の指定天然記念物である。 府中
樹齢1200年と伝えられるイチョウ(公孫樹)の古木である。なんといっても多くの幹が合わさったような根本の部分に特徴がある。落雷により落ちた枝が成長したことによるものというが、境内には同様に根本に多数の幹をもつイチョウがあり、この特徴には別の説明が必要かもしれない。根回り10.2m、目通り(人間の目の高さ)10.8m、樹高20m。昭和6年1931年に国の天然記念物の指定をうけている。幸い境内が広いので、このイチョウは様々な角度でとえることができる。 葛飾八幡宮は寛平年
善養寺は、江戸川区東小岩にある真言宗豊山派の寺院。そこに「影向の松」と呼ばれる天然記念物がある。これは幹回り4.85m、高さ7m、樹齢600年以上とされる松だが、枝が四方に広がって繁茂する面積が、日本で最大だとして有名である。東西28M、南北31M、繁茂面積800㎡となるのは日本一だということで平成23年2011年に国の天然記念物に指定された。新日本名木百選にも選ばれている。 寺伝によれば善養寺は大永7年1527年に始まる。しかし永正六年1509年に書かれた書物の中に名前
源頼義(988-1075)、源義家(1039-1106)親子が奥州征伐(1051-1062)の途次、大国魂神社に戦勝祈願に訪れ、凱旋時、康平5年1062年にケヤキ(欅)の苗木1000本を奉納したのが発端とされている。現在残されているケヤキはもっとも古いものでも、樹齢は600年程度と推定されている。そうではあるけれども、1000年余りの歴史を受け継ぐ並木であることは間違いがない。国指定天然記念物である。 アクセス 京王線府中駅下車すぐ。
元麻布にある善福寺の大イチョウである。善福寺は米国の初代公使タウンゼント・ハリス(1804-1878)が安政6年1859年に公使館を置いた場所として知られる。境内には、その記念碑が置かれている。今一つ知られるのは福澤諭吉(1835-1901)の墓所である点だが、福澤の墓は元は上大崎の常光寺にあったものを昭和52年1977年にこちらに移したとされる(墓を移すに際し掘り起こしたところ、福澤がほぼそのままの姿であらわれたという。鵜飼秀徳「福澤諭吉は地下4mの地底で着物を着て寝てい