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文京区の善光寺坂にある、幹回り5m、樹高13m、推定年齢約400年の古木である。昭和20年1945年5月25日の空襲で樹木頭部を焼く前は、樹高23mを誇った。戦災で頭部を失ったほか、現在は、幹に空洞なども目立つが、樹勢が盛んであることは喜ばしい。なおかつてここは傳通院の境内であった。現在このムクノキ(椋木)は澤蔵司(たくぞうす)稲荷の御神木となり、小石川の町を見守っている。文京区の指定天然記念物である。 アクセス 地下鉄春日より傳通院を目指して徒歩5分ほどで善光寺坂。坂の
靖国神社に日本庭園があることは聞いていたが、今回初めて訪問できた。場所は拝殿の右後ろ。神池(しんち)庭園といい、池を囲む日本庭園になっており、茶室が設けられている。この場所を知って利用しているのは近くの勤め人で、ここを息抜き場所としている人。しかし参拝客でここに足を伸ばす人は、ここに庭園があることをあらかじめ知り、かつ、庭園を見る時間を作っていた人に限られよう。ここは自然が豊富で良い庭園だと感じる。小さな庭園だが、都会のオアシスという言い方がふさわしい。池には、鯉が悠然と泳
靖国神社は、幕末の嘉永6年1853年以降、国家のために一命をささげられた人の霊を慰めるために、明治天皇が明治2年1869年に創建された「招魂社」を明治12年1879年に「靖国神社」と改称して現在にいたっているもの。 九段下方面から靖国神社を訪れると、最初に目にするのが大鳥居(第一鳥居)である。高さ25M。日本最大の鳥居である。 この鳥居から青銅製の第二鳥居に向けては、灯篭とイチョウ並木が続く。二つの鳥居のちょうど中間に大村益次郎の銅像がそびえている。 第二鳥居は明治2
善養寺は、江戸川区東小岩にある真言宗豊山派の寺院。そこに「影向の松」と呼ばれる天然記念物がある。これは幹回り4.85m、高さ7m、樹齢600年以上とされる松だが、枝が四方に広がって繁茂する面積が、日本で最大だとして有名である。東西28M、南北31M、繁茂面積800㎡となるのは日本一だということで平成23年2011年に国の天然記念物に指定された。新日本名木百選にも選ばれている。 寺伝によれば善養寺は大永7年1527年に始まる。しかし永正六年1509年に書かれた書物の中に名前
この神社の創立は景行天皇四十一年(西暦111年)とされる。武蔵国の護(まも)り神として大国魂大神(おおくにたまのおおかみ)をまつっている。この大神は出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ 大国主命(おおくにぬしのみこと)の別称)と御同神だとのこと。いずれにせよ、古代にまで遡るいわれをもっている。大化の改新により、この地に武蔵国府がおかれ、武蔵国内の六つの神社の祭神を合わせ祀ったことから「武蔵総社」「六社宮」ともいわれてきた。 ただ現在残る古いものとしては、平安時代末期の藤原仏
源頼義(988-1075)、源義家(1039-1106)親子が奥州征伐(1051-1062)の途次、大国魂神社に戦勝祈願に訪れ、凱旋時、康平5年1062年にケヤキ(欅)の苗木1000本を奉納したのが発端とされている。現在残されているケヤキはもっとも古いものでも、樹齢は600年程度と推定されている。そうではあるけれども、1000年余りの歴史を受け継ぐ並木であることは間違いがない。国指定天然記念物である。 アクセス 京王線府中駅下車すぐ。
白山通り(都道301号線)の壱岐坂下から、本郷通り(国道17号線)の壱岐坂上を結ぶのが「壱岐坂通り」(特別区道890号線)。なお、壱岐坂を降りてドームの脇を走るのは都道434号線。後楽園駅から右折して千川通り(都道436号線)に入ることができる。 現在、壱岐坂通りは区道になっているが、とても美しいイチョウ並木になっている。美しく感じる理由は、おそらく並木の密度がそろっているから。坂の途中には東洋学園大学の校舎があり、良い目印になっている。ただ坂の途中に休めるような、これと
元麻布にある善福寺の大イチョウである。善福寺は米国の初代公使タウンゼント・ハリス(1804-1878)が安政6年1859年に公使館を置いた場所として知られる。境内には、その記念碑が置かれている。今一つ知られるのは福澤諭吉(1835-1901)の墓所である点だが、福澤の墓は元は上大崎の常光寺にあったものを昭和52年1977年にこちらに移したとされる(墓を移すに際し掘り起こしたところ、福澤がほぼそのままの姿であらわれたという。鵜飼秀徳「福澤諭吉は地下4mの地底で着物を着て寝てい
通勤・通学で多くの人が毎日見ている風景である。JR阿佐ヶ谷駅南口のメタセコイア。別称曙杉(あけぼのすぎ)。最近の計測で高さは32Mだという。そして駅の出入り口から南北に延びる中杉通りのケヤキ並木である。 メタセコイアは、都内でも新宿御苑など多くの箇所で見られるが、その中でも、阿佐ヶ谷駅前のものは大きく立派なものの一つである。また中杉通り(都道427号線)のケヤキ(欅)並木も有名だが、こちらも1本1本の木の大きさにまず驚かされる。とても見事である。ただひょっとしてだが、そろ
クスノキ(楠)は、場所によっては街路樹として多用されている。ただ文京区では用例は少なくここ後楽で見つけた。この場所を小石川運動場前通りと文京区の資料(『土木現況』)は書いているが、小石川運動場を知っている人は少ないので、住友不動産の飯田橋ファーストビル、飯田橋ファーストタワーの近くと言った方がまだしも認知しやすいかもしれない。 クスノキは大木になるが、高層ビルの傍なら、問題は起きないかもしれない。樹皮が特徴的なので分かりやすい。「土木現況」によれば、本数は22本。2000
春日通り(国道254号線 第一次緊急輸送道路)は、春日交差点から茗荷谷方面へと続く区間ではハナミズキが多く植栽されている。ハナミズキは、花の時期には白い花で気が付くが、そうでないときも、樹形がいやに左右に広がっていることや、特徴のある葉で、見分けがつく。なお、樹高は10Mほどになるとされるのに比して、ここでは高さをいずれも抑えられている印象。小ぶりである。ハナミズキは、樹形が一本ずつ違う。ところでこのように1本ずつ個性的なものを並木と呼んでいいのかどうか。建物を背景にしたそ
外堀通り(都道405号線 第二次緊急輸送道路)のお茶の水坂から飯田橋にかけて。ここは両側にトウカエデが植栽されている。厳密には一部トウカエデとは異なる植栽のところがあるが、それでも有数のトウカエデ並木ではないだろうか。 トウカエデ並木の範囲については、「文京区みどりの基本計画」令和2年2020年3月中の「みどりの現状分析」図7-1による。 トウカエデは唐楓と書く。台湾から揚子江流域に分布していたもので日本には18世紀に渡来。江戸時代以来であるから、すでに日本
本郷通り(国道17号線と重なる湯島聖堂から東大農学部正門前まで。第一次緊急輸送道路。)のイチョウ並木はすばらしい。ただし東京大学近くの鬱蒼と茂った緑は大学構内の緑と街路樹の緑が重なったことによる風景である。通り沿いのイチョウ自身はなお10数メートルの高さ。これに対して構内の緑は場所によってはその倍の威容である。そのため、本郷通りの東大側の緑は圧倒的で見ごたえがある。 イチョウ並木の範囲については、「文京区みどりの基本計画」令和2年2020年3月中の「みどりの現状分析」
清水橋というのは文京区屈指のお屋敷町である旧西片町(現在の西片一丁目と二丁目)と旧森川町(現在の本郷六丁目)とを結ぶ橋である。江戸時代には橋の下は清水が流れていたというが、明治に入るころには水は道の端に残るだけとなっていたとのこと。最初に橋が設けられたのは、水が枯れた明治13年1883年のこと。清水橋は水が枯れた川にかかる橋なので「から橋」の別称がある。現在この谷は、菊坂下から弥生交差点に向かう坂道(区道892号線の一部)となっている。この坂道には、とくに名称がない(文京区