中村弘志ってどんな奴か知りたい方へ自己紹介
「妹さんは、一生車イスの生活になります。覚悟をされてください」
24歳の時、妹が脊髄を損傷し、お医者様にそう言われました。
当時私は、ジュエリーの企画デザインをしていました。
まったく分野が違いましたが、医者が治せないなら、
僕が必ず治すと誓いました。
その誓いから、僕の人生は大きく変わっていきました。
〜7才の時、父が他界〜
私の家族は、母と妹だけでした。
7才で父が他界し、父の実家から出ることになり、引っ越ししてきたアパートは、風呂がなく、アパートの住人全員が使う、共同トイレがあるようなところでした。
母は、私と妹を育てるため、女手一つで、朝から晩まで身を粉にして働いていました。
だから、子供の頃は家に帰っても、誰もいない鍵っ子で、経済的にもけして、恵まれていない家庭で育ちました。
そして、勉強は得意でもない、どこにでもいる子供でした。
子供の時の夢は、世界一強い男になること、スーパーマンみたいになることでした。
もう1つの夢は素敵なパートナーを見つけて、最高の結婚をすること、映画の中のヒーロー、ヒロインのようになることでした。
そして、子供なりに悩みが1つありました。
エジソンの伝記を読んだときから、悩んだのです。
エジソンは亡くなった後も、後世まで良い影響を与えて、語り継がれている。
自分が今死んだら、誰も私のことなんて知らないまま。
世界はとてつもなく広い。
そんな広い世界の中で、私はとても小さな人間だということが、私の子供の時の悩みでした。
また、私は、祖父から戦争の恐ろしさ、殺し合いの空しさ、軍隊での武道の話をよく聞かされていたので、その影響も受けていたと思います。
〜妹が医者から一生車イスと宣告される〜
最初にお話しさせていただいたように、妹が脊髄損傷し、一生車イスと宣告されたとき、子供の頃から武道の修行をして、整体や気功をみにつけていたので「医者が治せないなら兄の私が治す」と決意してから人生が変わりました。
脊椎損傷をしたことを知って、すぐに私は、妹の元に駆けつけました。そして、泊まり込みで24時間、トイレに行く以外は、常に妹の脚を、体を、治療し続けました。
そんな入院生活が続いて、一週間たった時、医者に呼ばれて説明されました。医師に言われた説明はこうでした。
「妹さんは、これから先、どんなに努力をしてリハビリして、どんなに良くなっても、ここまでにしかならないことを自覚して下さい。」そういいながら、ジェスチャーと共に、説明したのです。
両手は、肘まで包み込んだ装具をはめこみ、両脚は、ヒザよりかなり上、股関節近くまで、包み込んだ装具をはめ込んだ状態を説明しました。そして、立ってジェスチャーをしました。
両手と両脚を、真っすぐに伸ばした状態で動かし、ズルズルと前に、ほんの数センチずつすすむのです。そして、最後にこういいました。
「どんなに努力しても、絶対にここまでにも、ならないでしょう。一生車イス生活です」と、
その時、まだ若かった私は、こう思いました。
ふざけるな、いろいろなことをいいやがって、俺は、絶対に妹を歩けるようにすると。
その後すぐに、生まれて初めて神様にお願いして、誓ったことがあります。
『神様、私は、一生結婚できなくても良い。
神様、どうか、妹を歩ける体にして、幸せにして下さい。』
妹は、もしかすると一生、結婚できないかもしれない。
でも、私は、中村家の長男として、妹と、母には絶対に惨めな思いはさせないと、硬く誓いました。
妹が、このような体になってしまった現実。
7才で父が他界して、ドン底な状態から、愛情たっぷりに育ててくれた、とても大切で、心から尊敬している母。
もし、私まで、体が動かなくなったら、母はどんなに悲しむか、もし、そうなったら、こんなに頑張ってきた母の人生は、いったいなんだったのかと、思ってしまう。
それだけは、絶対にさせない。
お金にもならず、ただ自分が強くなることだけを求める。
自分の夢であった、武道の道はあきらめることにしました。
妹を絶対に歩けるようにすること。
そして、妹と母に惨めな思いをさせない。
裕福な生活をさせたい。
誇らしい人生を、歩んでもらいたい。
そのためには、治療家として成功し、経済的にも、幸せにできるようになる。というのが人生の目標、夢の1つになりました。
当時は、サラリーマン生活をしながら、武道をしていましたが、本当の強さというのは、人を、けったり、投げたりすることではない。
それは、相手を傷つけること、嫌がることをすることでもある。
本当の強さというのは、そういうものではなく、
家族を助け、人の役に立つこと、優しさを持つこと、相手が喜ぶことをすることだと、思うようになりました。
そのため、サラリーマンも武道も、どちらもやめました。
そして、柔道整復師という国家資格を取得することにしたのです。
〜決してあきらめずに努力をし続ける〜
そして、様々な治療を開発した結果。
妹は歩けるようになりました。
それだけではなく、妹は、男らしくて健康な、素敵な男性と結婚しました。そのうえ、2男2女、4人の子供の母に、なったのです。
私は、妹の動かなくなった脚を動かすために、あらゆる治療をしました。
思い返すと、それまで、肌が荒れ気味で、色気もないように感じた妹。
体を動かせないため、病室のベッドに、横たわったままなのに、なぜか顔色が良くなり、肌もきれいになって、以前より美人になっていったのを思い出します。
実際には、一生車イスで歩けないと宣言され、それを内緒にしている状態にもかかわらずです。
医者の言うことを信じず。
俺が絶対に治すと決めていたから、妹には、そんなことは言わなかったですが、本来なら、病院でふさぎ込み、落ち込んで、暗く、肌もボロボロになっていっても、おかしくない状態にもかかわらずです。
それらの経験から、あるツボを刺激し、脊椎、体幹力、関節力をアップして正しい位置にみちびくこと。それが、気力を高めることになり、根本的に、どれだけ心と体によいか、健康に役立つのかを、発見したといって間違いありません。
この時の経験は、その後の経験と共に、私の発明と効果に、大きな影響を与えています。
〜男の私が女性の美に関することになった理由〜
心と体。人との関係性においても、人に選ばれ、好かれることはとても大切なことです。人は一人では、生きていても空しいです。
仕事も、プライベートもすべて、人との関係性から、幸せが成り立っているといっても、過言ではないからです。
たとえば、結婚するためには、女性は男性に、男性は女性に、選ばれなくてはいけません。愛を継続し、ベストパートナーであり続けるためにも、美しさと健康を高めるのは、幸せになるための一番の近道だと考えています。
妹にも、かつてそんな時期があったように。
今、人生のどん底になっている人であっても、私達と関わることで、そこから、這い上がり、人生が幸せにかわる。そういう人が、沢山いる世の中にしたいと思っています。
人は見かけが9割、ということもあります。けして、もの凄く美人だとか、イケメンだとかって言う必要はありませんが、身だしなみは大切だと思います。身だしなみを整えていると、生涯年収は4000万円かわるとも言われています。
今でこそ私も、小顔といっておりますが、以前の私は、男が顔をきれいにするなんて、私は治療家だよ。だから、できるけど、でもする必要はない。そう思っていた時もありました。
ところが、患者様から、先生、自分の彼女の顔が歪んでいて、悩んでいるから、なんとかできないですか。知り合いで、顔の歪みで悩んでいる人がいるけど、先生は治せませんか。私の顔のゆがみを治して欲しい。大きな顔がコンプレックスで自分に自信が持てないのですが、なんとかできないですか。など、という患者様の声が多くなっていったのです。
実際に小顔になる治療をすると、みんな生き生きして、もの凄く喜んでくれる。顔は毎日、見ているから、変化に気付くものだし、わかりやすいもの。
いままでの私は、男が顔なんてどうだっていいでしょう。
それに、男が、女性の顔をきれいにする仕事をするなんて、おかまみたいだと、思っていましたが、考えが変わっていったのです。
そして、私が、以前、生業としていたジュエリー関係の仕事も、女性の美に関することだったと思い出すようになりました。
元々、子供の頃から勉強ができたわけでもなく、得意だったのは、美術と体育だけでした。だから、仕事を選ぶ時も、美術の能力をいかして、想像力をはっきし、ないものを生み出す、デザイナーの道に進んだことも、思い出すようになっていったのです。
かつては、女性を美しくする仕事をしていたのだと。
〜武道で学んだ・本当の強さとは〜
美術と共にもう1つだけ、得意であった、体育を生かした武道は、女性を守るために、発揮されるものだということも、思い出すようになりました。
余談ですが、三歩下がって歩く。ということを、女性が、男性を立てる意味で、横に並ぶのではなく、男性の後を歩くことを意味すると、認識している人は多いと思います。
ですが、本来の、三歩下がって歩く。とは、昔、いつ敵に襲われるかわからない時代、武士が女性を守るのに、一番適した距離であることを、意味しているのです。
矢面に立つ意味で、敵が前から来たのを守るために、女性の前を歩き、後ろから来た敵からも、女性を守るために、三歩下がった位置を、歩いてもらうのです。これが、5歩下がっていると、敵に襲われたとき、間に合わない距離なのです。女性、家族を守るのが、男性の役割ということです。
美術と共に、もう1つだけ得意であった、体育を生かした武道においても、わかることがあります。それは、相手の顔を攻撃するのは、さけるほうが良いということから学べます。
顔に傷が残ったとき、相手は、その傷を見るたびに、やられた痛み、心の傷を繰り返し思い出し、恨むものだからです。顔に傷を残すことは、関わった人の人生を不幸せにかえることになるのです。
顔はとても大切です。顔を良くするお手伝いをすることは、関わった人の人生を幸せにかえることでもあります。小顔にする仕事をするようになると、関わった多くの人が、心から嬉しそうな笑顔をみせてくれ、幸せになれたとか、知人からキレイになったといわれたとか、いままでより若く、見られるようになった。仕事の商談が上手くいくようになった。など、それ以外にも沢山の嬉しい声をきけるようになります。
小顔にすることで、幸せになれたと、多くの患者様から報告されるたびに、顔と体の歪みを治して、小顔にするのは、私に求められていることなのだと、確信するようになっていったのです。
〜人生で一番幸せだと思ったこと〜
私の人生の中で、一番嬉しかったこと、幸せだったことは妹の結婚式です。なんでこんなにも幸せなのだろう。幸せで、幸せで、幸せすぎて、信じられないくらいの幸福感に包まれる。そして、目からは、バケツ一杯ではないかと思える程の涙が、溢れ出てきて止まらない。そんな、経験をしました。
妹は、もっとも大切で、もっとも深い絆で結ばれた。もっとも関わりのある家族です。私は関わった人の人生を幸せにかえる。これほど、ドラマチックで素敵なことはないと、思うようになりました。
〜自分が幸せで、そこから溢れ出る幸せしか、人には、与えられない〜
私は今まで、他の色々な病院、治療院にいって、それでも治らない。そんな患者様を治すのが仕事で、いままで、本当に数えきれない人数の患者様を治療してきました。
治しても、治しても、次から次へと患者様は来て下さります。だから、私は、いままで、できるだけ早く治して、治療に来なくても良くなる。理想は、一回の治療で治す。というのを、一番、念頭に治療してきました。
もちろん、全員の患者様が、一回の治療で治る訳ではありません。でも、ほとんどの患者様を、一回の治療で治せるようになりました。ただ、おなじ治療を、弟子に伝授するのは困難であることが、私の悩みになっていったのです。
弟子に、いくら教えても、できるようにならない。先生を何人も雇っても、患者様の数は増える一方。手をかけられず、治らない人もいて、その治らない困難な症状の患者様は、全員、私が治療しなくてはいけない。
来る日も来る日も、朝から晩まで、その繰り返し、武道で鍛えた体なので、何人も、何人も、朝から晩まで、毎日、毎日、治療していました。開業してから15年以上、修業期間を入れればもっと長い年月です。
本当に困っている人がいると、どうしてもほっておけず、受けざるを得ないからです。でも、私の手は2つしかないですし、同時に何人もの患者様を治療することなんて、決してできないのです。
もっと多くの人の体を良くするために、何か行動しないでは、いられない私は、何か訳の分からないものに突き動かされるように、忙しい中でも、空いた時間は、健康に良い製品を開発して、もっと多くの人に幸せになってもらうことを目指して、多くの特許を取得してきました。
そんな生活なので、自分自身のトレーニングをする時間は、ほとんどありませんでした。自分の体なんて、全く気にしないで、全力で治療し、努力し続けていたのです。
それは、自分の体を犠牲にして、患者様の治療を続けてきたということに、あるとき、気がつきました。ついに体は悲鳴を上げはじめたのです。少しずつ、少しずつ首肩回りが痛くなっていったのです。
痛みは、日に日に増していき、強い痛みが、常にあるようになってしまいました。24時間、いつも誰かにマッサージしてもらいたいと思うほどです。そして、腕と手に、力があまり入らない状態にまで症状は悪化していったのです。
この経験は、施術者、セラピストの体に、負担のかからない治療法を、確立していく上で、とても役立ちました。この経験をするまでの私は、傲慢でした。今思い出しても、恥ずかしいくらいです。
自分の体が辛くなる前は、いかに自分が治療家としてすぐれているか、他の治療家が治せない患者様を、たった一回で治すことを追求し、証明することに生き甲斐を感じていたのです。ある面では、良いのかもしれませんが、自信満々で傲慢、だから、弟子が育たなかったのだと思います。自分の体が辛くなったのは、その傲慢さをなくすために、試練を与えられていたのだと思います。
自分の体が辛いのを、弟子に悟られることは、傲慢でプライドが高かった私には、耐えられないことでした。そのため、自分の体を、だましだまししながら、弟子に悟られないように、患者様の治療を続けていました。
しかし、自分が幸せで、そこから溢れ出る幸せしか、人には、あたえられないものです。そんなことも、当時の私には、わからないため、試練はさらに続きました。
体の辛さに追い討ちをかけるように、交通事故で後から追突されてしまったのです。もともと、辛かった上に、交通事故で、症状はよけい酷くなってしまいました。それでも無理して、1日も休まず治療をしていました。
そんなとき、親友が亡くなったのです。そして、親友は私に、遺言を残してくれました。その遺言は、私が、今の活動をおこなっていく原動力になっています。
親友の遺言は、この文章の最後のほう【成功しても頑張りすぎないで楽しくやっていくコミュニティー】のところで、後ほど、説明させていただきます。
〜自分の体で人体実験・研究する(ダイエット・骨盤矯正)〜
日本とアメリカにて、治療理論でリハビリ器・運動機械として、特許を取得した方法は、妹が歩けるようになる治療を、研究していたときに、発見、発明したものです。この治療を行なう事で、いままで、調べたどの治療法よりも、脚の長さがそろうという臨床結果を、得ることができました。
その治療の効果が高いことは、臨床結果として実証できましたが、多くの患者様から、何もしないのにウエストが5センチ細くなった。体重が落ちた。との報告をしていただけるようになったのです。
そのことを自分の体で実証するため、2年かけて体重を20キロ増加させて、半年以上その体重を定着させてからダイエット効果が実証されるか、自らの体で実験・検証したことがあります。
醜い体で太るため、全く運動をしないで太りました。
20キロ増加してから、半年かけて、25キロ増加するまで太った時、ついに具合が悪くなり、病院に行きました。
理由を聞かれたので、正直に話すと、「バカじゃないのか、血圧、血糖値などの数値が、こんなに悪くなっているのに、今すぐやめなさい」とドクターストップがかかりました。もっと太ってから実験したかったのですが、ドクターストップがかかったので、これ以上、太ることはやめて、特許製品の効果を試しました。
1日、10分以内。
誰でも簡単にできる、特許製品を使った方法と、無理のない食事療法でおこないました。効果は一ヶ月で25キロ落としました。
自分の体で試した研究・実験は成功し、効果を証明できたのです。
※これは研究のためにおこなったことです。わざと太る行為は、体に悪く、大変危険なので、絶対に真似しないで下さい。
これに関連して、このようなこともありました。ダイエット・骨盤矯正の実験・研究に成功し、やせた後のことですが、全く運動をしないで太ったため、体力が落ちていたのに、前のように動けると勘違いしていたのです。
〜自分の体で人体実験・研究する(ヒザ痛・気力UP・美と健康)〜
飛び蹴りをして、着地したとき、踏ん張ったヒザの前十字靭帯が断裂。
さらに内側半月板も断裂してしまったことがあります。
本来は、すぐに手術しないといけない症状でした。
ですが、自分の体で研究するのが好きな私は、保存療法での治療を、試すことにしたのです。
保存療法は、手術をしない方法のことです。
膝をほとんど真っすぐに伸ばした状態で、がっちりと一ヶ月以上固定するのです。固定期間は、最低でも一ヶ月以上必要でした。
でも、固定してから、10日目にこんなことがありました。
救急患者の往診に行ったときのことです。
救急患者は、骨折していました。骨折を治すためには、整復が必要です。
接骨院内であれば、患者様にはベッドにのっていただき、弟子に体をおさえさせて整復します。
ですが、往診先で待っていた患者様は、床に布団を引いた状態で、うずくまっているのです。
その状態で、私、一人で、骨折を完璧に整復するためには、どうしても、自分でおこなったヒザの固定を、曲げなければできません。
患者様に、悟られないように無理矢理、自分の膝を曲げて、整復しました。
もの凄い激痛で、額からは大量の脂汗が流れ落ちましたが、患者様の整復は、完璧にできました。骨折の整復は、患者様も激痛をともなうので、私の膝のことは、患者様に悟られることなく、おこなう事ができました。
当然、自分の膝は、さらに悪化してしまいました。でも、良い方に考えました。ヒザを怪我して、痛くて仕方がない状態の体に、なれたのだ。だから、ヒザの痛みを、自分の体と共に、さらに深く、研究することにしたのです。
そのころ、中村接骨院では、変形性膝関節症や、膝の痛みが原因で、悩んでいる患者様、約80人〜150人が、当院で定期的な治療をしていました。
変形性膝関節症の症状が進んで、手術適応の患者様も、多く来院していました。この患者様たちは、私が、一回の治療で治せない患者様たちです。
毎日、痛みに苦しんでいるため、接骨院に通院されていました。
毎月、治療費として、一人あたり平均1万5千円程になる患者様が、約80人〜150人来院されていました。そのため、院経営で考えると、毎月200万円程の、安定的な収入になっていました。
治療内容は、私の院に勤務している先生が、毎日、痛む関節列隙部分と、その関節周囲を、5分から8分ほぐすのと、物理療法です。毎日、痛みに苦しんでいる患者様のために、私は、数年間、研究、実験を繰り返しました。
その努力が実り、患者様の痛みを、解消させる発明品を、完成させることに成功しました。
膝にある《曲泉(きょくせん)》のツボには、膝の痛みをとる効果が、かなり高いという院内エビデンスを得ることができたのです。そして、曲泉(きょくせん)は、気力を高め、美と健康によいこと、それ以外にも様々な効果があることを発見、確信するにいたったのです。
その発明品を使って、自分で手当できるように指導し、通院しないで良くした実績があります。毎月200万円程の治療費を失うことになったため、経営的には大変、困りましたが、特許の効果を証明しました。
そんな、物事を突き詰めていくのが、私の性格なようです。
もちろん、経営的に苦しくなるための行動を、皆様に推奨しているわけではありません。
今現在、日本だけでなく、海外でも、多くの特許を、取得することができております。これらの特許を活かして、もっと多くの方のお役に立ちたいと考えています。
武道においても、昔から『柔よく剛を制す』という言葉があるように、柔軟性が高いことは、大きくて強い相手を倒すことや、戦闘力を強くするために、とても大切なことです。私の物事を突き詰めてく性格は、武道にも発揮されたので、私は柔軟性が高いのです。
修行によって身につけた方法を『柔体法®』と呼び、治療にも生かしております。人体を柔らかくして、健康に導くのは、私の得意とするところです。健康になるだけでなく、小顔になったり、身体能力があがり、喜んでいる患者様を多く見てきました。
◆改善事例は下記リンクからどうぞ
〜より多くの人を幸せにしたい〜
私は、人の悪口を言うのが嫌いです。そして、他人のことは、否定しないで、受け入れ、できるだけ、ほめるように、心がけています。
しかし、現状を説明し、お伝えしなければ、いつまでも、世の中をかえることができません。
そのため、これから、少しだけ、今の世の中にたいする不満を、のべさせていただきます。不愉快に感じる方も、いるかもしれませんが、世の中を本気でかえたいと思っているので、説明させていただくことを、お許しください。
世の中的に、今、小顔ブームになっています。
小顔になるためには、色々な方法があるとされています。
ですが、今、施術するスキル、実力がないのに、広告・ブログやメルマガ、ステップメールなどの、宣伝が上手なだけで集客しているところが多くみられます。
私の回りには、ゴッドハンドといえる施術家が沢山おりますが、その先生達がおこなう施術と比べると、あまりにも、レベルの低すぎる施術家が世の中に多すぎることに、不満を持っているのです。
本当に効果のある施術を、しらない人達が、こういうものなのだと思い、喜んで高い金額を、払っているケースが、あまりにも多いのが、良くないと、私は思うのです。
多くの芸能人に、受け入れられているという、イメージ戦略をとるため、色々な手段で、多くの芸能人が、満足して通っているかのように見せているところも、見受けられます。本当に値段に見合った効果があれば、いいのですが、もし、そうでなかったら‥‥。
また、エステサロンや、治療院も含めて、一部の経営者のなかには、こういう方針のところもあります。
●施術者のスキルが低いため
●お客様に施術する差が、でないようにするため
●スキルの統一、均一化するため
エステ機械だけに頼って、施術するところが、増えているのも、現実的に良くないと、思っています。本当は、ゴッドハンドが、全員の施術をできるのが、理想の世の中だと、私は思っているのです。
しかも、リーズナブルな金額で、施術できる世の中を、実現できれば、良いと思っているのです。本物のゴッドハンドが、いつでもどこでも、自分のところに来てくれて、技術に見合った以上の低価格で、施術してくれる世の中にしたいのです。
そうすることで、小顔になって、自分に自信が持てるようになり、前向きに生きることで、素敵な男性に選ばれたり、素敵な男性を、射止めたりできるでしょう。結婚している人は、ベストパートナーとなって、より愛し合えるようになる。生き生きと、人生を謳歌するようになるため、みんなから、魅力的にみられるようになる。
そういう人を増やすと、その回りの人達も幸せになれる。
そうやって、幸せの輪が広がり、より多くの人を、幸せにすることが、できるようになります。そんなことができたら、最高です。
次はあなたの番です。
そんな世界を実現するためには、多くの人に《小顔になれるゴッドハンドの技術》が必要だと思っています。
ゴッドハンドというのは、ちょっと‥‥施術者の色々な体調によるかもしれないし、スキルによるところなのだけれども‥‥道具を介することで、解剖学、物理学的に、アプローチできるようになり、施術のクオリティーとか、精度が上がります。だから、みんなゴッドハンドになれるのだよ。というのを、特許を取って作り出しました。
小顔だけでなく、痛みや不調を根本から改善する道具もあります。
〜成功しても頑張りすぎないで楽しくやっていくコミュニティー〜
私が、自分の体を傷つけながら、治療をしつづけ、痛みに耐えられない状態にまでなり、手に力が入りにくく、なりながらも、治療をし続けていたこと、交通事故により、さらに症状が悪化したことは、先に説明させていただきましたが
そんなとき、親友でもあった、人生の先輩の訃報を、親友の奥様から聞いたのです。
亡くなってから、一週間ほど経ってからです。
親友は、ガンになったと、私に話してくれていましたが、大丈夫、絶対に治るし、今から治療するところが、すごくいいから問題ないよ。定期的に電話で話をしていた時も、その度に、どんどん良くなっているから、会いにこなくて大丈夫だよ。安心してと、元気に話してくれていました。
私も、親友は、一流の治療家だし、同じ学校を首席で卒業した人ですから、その、親友が、元気に話しているのだから、大丈夫だろうと思っていたのですが
親友は亡くなってしまったのです。
奥様から、連絡をいただいて、親友から、私に遺言があったことを聞きました。親友は、闘病生活をしているとき、よく、私のことを話していたそうです。
親友は、ハワイの主要部に、広大な土地を持っていたので、いつか、私と、一緒にハワイに大きな総合医療治療施設、予防医療施設を作って、世界中の人を治療したい。予防したい。それが夢だと話していたそうです。
親友は、ガンでやせ細りながらも、気力を振り絞り、必ず治ると信じて、闘病生活を送っていました。奥様からすると、治って元気な姿で、私に会いたい。やせ細って、弱った自分の姿を、私にみられるのが嫌だったと、さっしていたそうです。
亡くなる3日前、親友は奥様に、必ず私に、伝えて欲しいことがあると、遺言を頼んだそうです。奥様から伝えていただいた、遺言の内容はこうでした。
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『親友の遺言』
俺の思いを、受け継いでくれるのは、中村君しかいない。
中村君は、がんばりすぎるから、俺のようになって欲しくない。仕事をしすぎるのはよくない。ストレスはためないで、必ず、楽しいことをして、ストレスを発散させてから、仕事をしないといけない。
もっと人生を楽しんで欲しい、そのほうが、もっと良いものを、発明することができるし、もっと、世の中の人のためになることができるから。
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そう、伝えてもらいました。親友は、亡くなる2日前、自分は、もうダメで、死んでしまうことをうけいれたようで、私に合いたいと、何回も言うように、なったそうです。ただ、奥様は、死期が近いことをわかっていて、動揺しており、私の連絡先もわからないため、連絡できなかったと、詫びてくれました。
亡くなって1週間たち、悪いとは思いながらも、亡くなった親友の携帯電話から、私の名前を探して、連絡をいただき、遺言を伝えてもらいました。
人は、産まれてきた赤ちゃんでさえ、必ず死にます。
実は、中村家はガン系統です。祖父祖母、叔父叔母、従兄弟もガンで亡くなったり、ガンで苦しんだりしています。
だから、ガンの辛さは、身にしみてわかります。
親友の死、そして、遺言。
それからは、できるだけ、自分自身が人生を楽しんで、自分自身が充実した状態で、そこから溢れ出るエネルギーで、多くの人が幸せになる。
健康になる方法
を広める活動をすることにいたしました。
親友の思いを受け継ぎたい。
志半ばに亡くなった、親友の思いを、実現するために、私ができることは、ゴッドハンドの技術を、誰でも簡単に再現できる方法を広めることです。
ゴッドハンドというものは、施術者の色々な体調によるかもしれないですし、スキルによるところなのですが、道具を介することで、解剖学、物理学的に、簡単にアプローチすることが、可能となります。
そして、施術のクオリティーとか、精度を上げることができます。
そうすることで、みんなゴッドハンドになれます。
それを特許を取って作り出しました。
今度はその道具を介することで、健康になる方法を、世の中に広めていくことです。
〜偉大な人物の最後の言葉に影響を受ける〜
そのことを確信したのは、ある偉大な人物の死でした。その人物の名はスティーブジョブズ氏。偉大な功績を残した、スティーブジョブズ氏が、最後に残した言葉に、印象的な言葉があります。
健康になる方法
という本を読んでいなかった。
スティーブジョブズ氏は、経済力を追いかけるのは、終わりのないことを追いかけていることであり、空しさを感じる。死を現実に、うけいれるようになると、経済力、地位、名誉などは、死んだ後の世界に、持って行けるわけではない。
それよりも大切なことは、愛する家族。愛する人達。人との関係性である。そして、あらゆる本を読んだが、最後に1つだけ読んでいない本があった。
それは、
健康になる方法
という本だったと。
先にも、説明させていただいたことなので、繰り返しの説明になってしまうことをお許しください。
私ができることは、ゴッドハンドというのは、ちょっと‥‥施術者の色々な体調によるかもしれないし、スキルによるところなのだけれども‥‥道具を介することで、施術のクオリティーとか精度が上がります。
だから、みんなゴッドハンドになれるのだよ。というのを、特許を取って作り出すことです。そして、その道具を介することで
『健康になる方法』を世の中に広めていくことです。
美しさは、心を幸せにしてくれます。
心、体、そして、人との関係性をよくして、人の人生を幸せにする。健康になる方法、予防医療を、世の中の多くの人にお伝えし、広めて、世の中を変えたい。この志に、共感していただけることを、願っております。
成功すると、もっと成功したくて、頑張りすぎる人がいます。親友からの遺言のとおり、成功しても、ストレスをためず、頑張りすぎないようにするのが、協会の理念でもあります。
楽しくやっていくのが、一番大切というコミュニティーを、皆様と一緒につくりあげていきたいです。
〜皆様に感謝〜
最後に、
私にはできない、手術をしていただいた医師の方々、つぶれてしまった妹の背骨を、骨移植手術で、体を支えられるようにしていただいた、医師の方々には、心から、感謝しております。
そして、世の中のすべての健康、医療、美容にたずさわる方々を、尊敬しております。
私の体は1つしかないので、自分の接骨院にいることも、少なくなっています。いままで、信頼して治療させていただいていた、患者様には、ご理解していただき、世の中に広める活動を、させていただけることに、心から、感謝しております。ありがとうございます。
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