見出し画像

その努力に結果はついてくるのか

8月です。3年目の前期の授業も先月末で終わりました。学部と修士の皆様は夏休み前の試験期間です。博士後期は基本的にテストというものはないので、学期ごとのプレッシャーはありません。ただ楽かというとそうでもないな、ということにあらためて2年目あたりから気づくことになります。

長期的な締め切りの中で、結果を目指す、というのは仕事にも共通するなと感じています。しかも、努力に応じて結果が出るかというと、そういうものでもなく。楽した分は後でちゃんと返ってくるんですよね。。。


研究って。。。

まあ、地道なものです。授業もテキストも、ある意味「常識」と「手法」という基礎の部分なので、その上をどうするのか、というのは自分次第です。ただ、基礎といっても、先人の知の蓄積は膨大なもので、自分の領域を見つけるというのは難しいとつくづく感じます。しかも知れば知るほど。

そして、オリジナリティと新規性(要は学問の進展への貢献です)を求めて、考えるんですが、これがまた希望と失望、トライアンドエラーの繰り返しです。最初は知らないことを知る、わかるようになることの喜びが大きいんですが、アウトプットをするとなると、やはり怖いというか、自分の理解はそれでいいんだろうか、組み立てが間違ってはないか、という不安を感じずにはいられません。

努力と結果

しかも、努力したから必ず結果が出るものでもないという、不確実性があります。「こうすればこうなる」とわかってることばかりだったら、それは研究とは言わないので当たり前のことではあるのですが、データ取得とプログラム書いて整理するのにに2ヶ月、解析は1秒、見込みと違う結果だったら、やはり凹みます。

また、見込み通りの結果が出たとしても、どっか間違ってないか、「雨の日は湿度が高い」とか、単に当たり前のことを解析しただけじゃないのか、とか、それはそれで心配は尽きないですし、見直したらやっぱりダメだった、ということもあります。

その意味では、学部、修士、博士と進むにつれて、抽象度も上がるし、不確実性も上がっていきます。そして、結果は学期中、学期末という単位ではなくて、年単位でダメだった、ということもあり得るので、結構怖い世界です。

世間と仕事

考えてみれば、仕事をしていて頑張ったけど結果出なかった、というのは普通にある話ですし、世間一般、そんなものかなとも思います。ただ、一生懸命基礎固めをする、トライするというのは、十分条件ではないけど、必要条件だとは思うので、結果出るかわからないけど、やっぱりやらないといけなんだと思います。

違うのは、仕事はけっこう長期(それこそ3、40年の世界)ですが、学位取得は数年単位の話なので、キャリアというよりは「プロジェクト」に近い(しかもほぼ一人でやる)と感じます。

7月はなかなか大変で、先行き不安というか、なんとなく季節柄もあってメンタル的にザワザワしてたのと、結果出るかわからないけどとにかくプログラム書いてデータ整理してんですが、今日、北陸の梅雨明けと同時に、少しトンネルの先に明かりが見えた感じになりました。まだまだ論文化という仕事もあるんですが、少し主張ができそうになったので、締め切りが近いのはともかく、なんとかがんばれそうかな、という気になりました。

日記的な話になりましたが、ここに書くのももう少しまめにやっていきたいと思うnote1年目です。夏の終わりから秋にかけて学会シーズンで、いくつかの発表を予定しています。発表と論文投稿後、研究内容のことも少しづつ書いていきたいと思っています。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集