政策の矛盾と学会
先週、今週と、2週連続の学会発表が終わりました。8月の反省を踏まえ、時間がオーバーしないよう相当集中しました。説明のロジックが甘いと長くなるので、前日夜も投影資料の修正やキーメッセージの確認を結構やりました。まあなんとか8月の失敗は繰り返さずに済んだかなという感じです。
今年は、夏から秋を目標に、8月、懸賞論文を1本と学会発表1本、10月に発表を2本と、全て違うネタ、データでのアウトプットとなりました。特にデータを使っての統計実証は、GISデータの扱い、統計的因果推論の基礎から応用、すべての基礎のデータの取得とクリーニングのプログラムなど、半年くらい前から色々とやってました。まだまだアラが目立つんですが、自分の中ではまあここまで来たかな、という感じはあります。
矛盾を扱う難しさ
今回の交通学会を終えて、どうも、自分が取り組んでいるのは経済の現象の中での「矛盾」の部分というのが本質なのかなと感じるようになりました。というのも、社会経済の中での、鉄道産業や交通をテーマにした研究にしていますが、なぜこれが独立した学会、あるいは研究分野になっているかというと、「政策」や「制度」が大きく影響しているからです。
例えばJR、特に上場JR4社は「民間企業」ですが、その出自は国鉄の分割民営化という政治問題、社会問題です。また、三大都市圏の私鉄も含め、鉄道運賃は総括原価主義による認可制ですし、安全も含めて参入や事業継続上の許認可もあって、国土交通省が監督権を持っています。会計規則も独自のものが定められています。
普通に市場で競争して、その結果が社会効用の最大化と最適配分であれば、上記のようなものは不要で、また「交通経済学」というような研究分野も不要なのでしょうが、現実はそうではないというのが産業革命以降の歴史です。
ただ、日本が特殊なのは、今でも三大都市圏においては、民営での鉄道やバス事業が成り立ってきたという点で、日本の伝統的な交通経済学の立場や政策もこれを前提にしています。これは世界の中でも超がつくくらい特殊です。
JR、国に見る矛盾の実態
近年のJR問題はこの矛盾が至る所に現れます。例えば地方部の閑散路線については維持困難として、民間企業の立場を強調します。しかし、国の鉄道運賃に関する審議会では、総括原価の制度の維持やその計算方法について、社会的責任を強調するとともに、電気料金をはじめとする物価上昇の反映だけでなく、事業報酬や株主配分についての要望も行うなど、社会的責任を強調して、同時に株主責任への配慮を国に求めています。
国もまた非常に矛盾した行動をとらざるを得なくなっています。例えばJR北海道や四国は株式公開されていないため、今も国が実質的な100%株主です。なので株主として経営合理化を監督命令として出すようになりましたが、これは閑散路線にとっては廃止やサービス低下へのプレッシャーとなります。事実、一方の鉄道問題の当事者の自治体は、ことJR地方路線問題に関しては「国の制度設計の責任」という立場を取るようになりました。また度が過ぎると安全性の低下に直結します。なので、経営改善の監督命令と同時に支援予算も持つというダブルスタンダードな行動を取るようになってます。
アメリカ、ヨーロッパの旅客鉄道
ちなみに、市場主義の総本山、アメリカでも基本的に旅客鉄道、軌道はすべて公共経営です(貨物のみが民間企業)。最初はすべて民営だったのが、旅客鉄道、都市のコミューターバスは1970年代までに1社残らず潰れたからです。
ヨーロッパも規制緩和を進め、いわゆる上下分離を促進しましたが、それは競争できる環境を国が用意するためのものです。地方部など新規参入がないところは、地方自治体が運行サービスを「発注」するというのが本来の上下分離政策です。
今、日本の交通の状況はアメリカを50年遅れくらいで追ってるような気がしています。経済学のごく初歩の理論ですが、外部性と規模の経済で「市場の失敗」が避けられないのに、普通の競争市場にあるような民間企業が存在できるのが、そもそも矛盾です。日本では政策も学会も、その根本矛盾はあまり触れずに、市場競争を前提とした個別の産業(輸送モード)と企業の「効率性」の問題を今もメインに扱っている感じがしています。
日本の現実
地方部の交通は、このような矛盾の中でも実質的な社会理解と負担のもと、青息吐息の中、人口減少、コロナなどの社会問題への対応も求められています。ある意味解決不可能な矛盾かもしれないけれども、それに取り組んでいることで、社会的な存在意義、配分を受けているのかもしれません。ただ、交通の持続可能性は50年前のアメリカのように、急速に地方部だけでなく都市部も含めての問題となってます。他の公益サービスも今後問題となってくるんじゃないでしょうか。
そのような現状は、最適化計算できるようなものではないですが、学問としても市場均衡だけでなく、ゲーム均衡や協力問題、社会を含んだマクロ経済の課題として解明する必要性があるんじゃないかと思います。一般均衡の理想だけでは現実は扱えないというのは、現代の経済学の基本的スタンスだとも思います。そういう理想と現実のギャップや矛盾に取り組むのが学術というものの存在意義なのかと思いながら、学会会場を後にしました。
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