2008年延辺+長春+大連旅行(1)
半年前の丹東での北朝鮮ウォッチングの影響で「地上の楽園」ウォッチングにハマってしまったようで、もっとディープな所から北朝鮮を除く企画を立ててしまった。
今回の行先は、吉林省延辺朝鮮族自治州にある、中国、北朝鮮、ロシア三国の国境が交わるポイントを目指す。そしてその帰路に吉林省の省都長春に17年ぶりに寄る。航空会社はアシアナ航空。アシアナはソウルから延吉までの直行便を飛ばしているが、ソウルで同日乗り換えはできないのでソウルで1泊したのちに延吉へ行く。
この年の夏は、もともとは新疆のウルムチ行きを考えていたのだが、北京オリンピックの影響からか日本の外務省の注意喚起レベルが2に達していた。たぶん2でも1でも35億でも実態はあまりかわらない(若干誇張あり)が、これでも私は一応役所勤めであり、現地で何かあったら党から批判を受けること間違いなし、違った、上司からお叱りを受けること間違いなしなので、行先を延辺に変えたのであった。
にも関わらず、ソウルでの延吉行きのチェックインから波乱があった。私のパスポートに中国の入国ビザがないのを見つけ、ノービザで日本人が中国に入国できるかを結構時間をかけて調べられた。何をいまさら。アシアナで北京へ行く日本人などなんぼでもいるだろうに。しばらくしてようやく「入国できます」とのこと。んなこと初めから知ってるわい。
ソウルを飛び立ったアシアナ機は北朝鮮を迂回して飛んでいく。機内でなぜか中年女性の発する日本語が響き渡る。電話しているように聞こえるがよくわからない。やがて延吉に着陸、そして入国審査。ここで別室送りになった。北京上海大連では質問さえされたことがないのに。延吉という辺境から入る外国人は検査の対象なのだろうか。しばらくしたらあの日本語使いの女性も別室送りとなり、私と同じくしつこい、いや厳重な荷物検査となった。この女性は中国語や朝鮮語も話すことができ、係官の質問にも普通に答えていく。そして私への取り調べの通訳もしてくれたが、キリを見て去っていった。結局何人だったのだろう。こうして中国語オンリーの係官とブロークン英語の私との対決となったが、よく入国できたものだ。こんな目にあうのなら行先をウルムチにしておけばよかった。
わずかに1台だけ残っていたタクシーを捕まえて、予約を入れていた延吉賓館へ。そして明日のガイドを依頼していた旅行会社と連絡を取る。三国国境のある琿春市の防川へは公共交通機関がほぼないことから車をチャーターしていた。そしてその会社の社長がホテルの部屋にやってくることになった。
三国国境へのアクセスについて、いろいろ日本で調べていた中で、車の手配をしてくれる会社が2件確認できた。どちらにするか甲乙つけがたかったが、ガイドの写真に美人女子大生を掲載している方を選択した。そしてしばらくしたら社長がやってきた。社長は愛知県の大学に留学したことがあるということで、地元の話で盛り上がった。代金を支払い、明日の出発時刻を確認したあと、私のもっとも大きな関心事である美人ガイドについて訊いてみたかったのだが、あからさまに尋ねるのはちょっとアレだったので「明日は社長さん自ら運転してガイドしてくれるのですか」と訊くとそうだとのこと。この会社のHPをJAROへ訴えようか。
大事な話を終えた後は、市内をうろうろ。
あくる朝。ホテルは未明から騒がしい。なぜならここのほとんどの泊り客の目的地は「長白山(朝鮮名:白頭山)」で、団体グループで行くからだ。そんな中一人残った私はまたもや不審者扱い(気のせい)。やがて社長が自ら運転してやってきた。やはり助手席には誰もいなかった。それでは出発。車は中朝国境の河川である図們江(朝鮮名:豆満江)沿いに進んでいく。
三国国境は最果て感満点だった。このイメージを詳しく説明すると「火曜サスペンス劇場の最後のシーンで、竹内まりやの曲が流れる中、崖っぷちに追い詰められた犯人に対し、刑事に連れられた犯人の彼女が「もうおしまいなのよ!」と絶叫する場面」が適当か。なんのこっちゃ。
右が北朝鮮、左がロシア。足元が中国だが、鉄橋の手前で中国領は行き止まり。川はあと数キロで日本海に出る。「もうおしまいなのよ!」
左の男は決して立ちションをしているのではない、はずだ。
北朝鮮側、だったかな。
ロシア側。
ヒュノアイ。ん?
中朝露国境の街、琿春。中国語、朝鮮語、ロシア語表記の看板。
帰路、もう一つの中朝国境スポットである図們へ。
お約束
人が対岸まで渡りきるのを見たことがない橋。無駄な公共事業の例として永くその存在は語り継がれるだろうなんてことは全くなく、橋の向こう側は北朝鮮というインタナショナルブリッジ。どう見てもごくふつうの川にかかっているただの橋にしか見えない。
ここで北朝鮮のタバコを1カートン買った。社長の説明によるとなんでも表向き大ぴらに販売できないブツ(密輸品?)ということで真っ黒なビニール袋に入れられて渡された。良い買い物ができたとその時は喜んでいたが、後日大連で全く同じタバコが何分の一の価格で売られているのを発見。シャチョオオオー!
延吉に戻ったあと、市内にある北朝鮮レストラン「海棠花」を教えてもらった。営業時間にはまだ早かったので、社長とのツアーは解散してしばらくどこかで待機。北朝鮮レストランは、一部愛好者から「北レス」とも呼ばれている。北朝鮮関係機関が国外で経営するレストランの類のことだが、特に遼寧省や吉林省には多くの北レスがあった。朝鮮語など話せないのに、よく一人でのりこんだものだ。このサイトもどうぞ。ただし最近は残念ながらほとんど更新がない。
夜行列車で長春へ移動。向かいのベッドには日本語が流暢なシャチョーさんが。消灯となったので、まだまだ話したりない様子ではあったが会話を打ち切る。翌朝、シャチョーさんの表情がよそよそしい、というか冷たい。会話を打ち切ったことを根に持っているのか、そうでなければ私のいびきのせいか。