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2017年中朝露国境旅行(3)

 この日は早起きしました。なぜかというと、早めにバスターミナルに行ってとっととバスの切符を買って気分的に楽になりたいからです。そんなわけでなかなかゆっくりと体を休めることができません。苦難の行軍は続きます。
 チェックアウトしにレセプションに出向きましたが、そこは無人でした。どうしたものかとしばらく悩みましたが、意を決してレセプションの奥にあるドアに向かってどえらいお上品な口調で「喂(ウェイ)!」と声をかけると、お姉さんが眠そうな顔をして登場。普通の日本人だとこの瞬間もうこのホテルには二度と泊まらないと固い決心をするものですが、ここは労働者の国、革命中国、すなわち中華人民共和国、舌打ちをされないだけ全然マシというものです。
 チェックアウトしてホテルを出たらすぐにお姉さんが私を追いかけてきて、スマホで「お釣りを間違えました」と示されるという余興がおまけでついてきましたが、ここからバスターミナルまで歩いて向かいました。涼しくて気持ちがいいです。やはり夏季旅行は涼しいところに限ります。満洲とかシベリアのような。
 6時半頃にバスターミナルに着きました。しかしながらロシア行きの切符の窓口に係員はいません。時々誰かが隣の窓口の係員に「まだか」みたいな感じで声をかけますが、まだみたいです。本当に今日はバスはあるのだろうかと不安になりはじめた頃、ようやく係員がやってきました。しかしながら私の前にはすでに大勢とはいわないもの、それなりの人数が窓口の前に並んでいました。売り切れということはないだろうなと思いつつ、私の番になりましたので、パスポートと中国元と「斯拉夫杨卡(スラビヤンカ)、1个」というメモを渡したら、何も言わずに(何か言われても困りますが)切符を発行してくれました。どうです、国際バスの切符を買うなんてこんな程度のものです。全然難しくありません。これでロシア入国のための第一関門クリアです。

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 ぼちぼち出発時刻に近づいたのでバスに乗り込みます。切符売り場に並んできたときは、結構乗客がいるんだなと思いましたが、実際にバスに乗り込んだら、そんなにいませんでした。20人くらいでしょうか。ロシア人と中国人の比率は半々です。1年前の満洲里発ザバイカリスク行きバスは、バスの車内にも荷物があふれかえっていましたが、こちらはそんな雰囲気はありません。
 それではウラジオストクへ向かって出発。

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 バスはロシアとの国境である琿春口岸に向かいます。琿春市街地を抜け、やがて周りが森林となると、昨日も見た国境事務所が見えてきました。
 バスは事務所の手前に停まりました。乗客はバスを降りて建物の中に入ります。ここで出国手続きを行うわけですが、ここでは北京空港での手続きと同じくらい何もなくあっさりと終わりました。そして再びバスに乗り込みます。
 バスが出発すると、すぐ右手に中露両国の国旗が掲揚されているのが見えました。あとで調べたらここが国境とのことで、写真を撮りそこないました。こんな中国寄りのところがそれだと思わなかったので。http://nama.boo.jp/dalu/jilin/huichun/
 しばらくするとバスがまた停まります。ここでロシア側によるパスポートチェックがあります。そしてしばらくの間待機となります。理由はわかりません。そしてようやくバスが動き出し、今度はロシア側の事務所の前に停車しました。
 1年前の満洲里ーザバイカリスク国境もそうでしたが、中国側の事務所がでかでかぴかぴかなのに対し、ロシア側はこじんまりぼろぼろです。そして1年前のロシア入国手続きでは、私一人に20分くらい時間をかけられました(但し質問の類はありませんでした。といってもロシア語でされても困りますが)。さて今回はどうか。
 やあ同志!元気かい?プーチンによろしく、などと言えれば少しはマシになったのか、それとも余計にアヤしい奴と思われたかは定かではありませんが、測ったわけではありませんが今回は5分少々くらいで釈放されました。係官の様子を見ていると、やはり思いもよらぬ日本人パルチザンの進出に対し相当困惑しているのが見て取れましたが、じゃあいいです、入国は止めます、というわけにもいかないので、黙って様子を見ていました。これで第二関門クリアです。

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 ロシア入国手続きを終えた乗客が乗ったバスの中に再び警備隊員が乗り込み、パスポートをチェックしていきます。正確には入国手続きを終えているかを確認していました。なかなか念入りです。
 ロシア側の道路の舗装は、中国と比べてやや良くないのか、よくバスが振動します。しばらくして小ぶりな町、というよりは集落に到着しました。こんなところにも乗客が降りていきます。そして森の中の一本道を走っていくと、やがて海が見えてきます。なかなかきれいな光景です。あとで写真を撮ればよかったと後悔しましたが、そんな景色が続きますので、ずっと見とれていたというのが実情です。ときどき単線の線路も見えました。おそらく国境のハサン駅から北朝鮮へと繋がっているのでしょう。ソ連時代はこんなところに外国人はおろか、ソ連人でさえ近づくことなど到底できなかったことでしょう。もっともここは今でも本当は外国人には近寄ってほしくないエリアなのでしょうが。
 やがてバスは街道をはずれ、ちょっとした規模の街で停まりました。どうやらここが終点のスラビヤンカのようです。バスを降ります。ここでバスを乗り換るため、しばらくの間周りをふらふら歩いてみますが、ウラジオストク行きを示すものは一切目に入りません。ローマ字表記か、せめて中国語があればなにかわかったのかもしれませんが、ここはロシア。無慈悲にもロシア語オンリーです。同じバスに乗っていた若い中国人男女二人組がなにやら私に話しかけてきましたが、中国語はわかりませんので英語で返すとどこかへ行ってしまいました。それでも旅行に行く前にネットでいろいろ調べて、どうやら市場らしきところにバスの切符売り場があるという情報は得ていましたのであらためて周りを見渡します。最初はそのようなものは目に入りませんでしたが、それでもよくよく見てみると、もしかしたらあれが?というものがありましたので、行ってみることにしました。
 そこはほんとうにこんなところにあるのかと思わせるような入口でしたが、果たして中に進んでいくとありました。確かにバスチケット売り場という看板があり、その建物にはウラジオストクがどうのこうのという紙が貼られていました。中に女性がいて、その人がバスの切符を売ってくれました。15時ここを出発とのことです。これでウラジオストクに行けます。さっきまでエラいところに来てしまったと思っていましたが、やっぱりなんとかなるものです。

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 バスの出発時刻まで時間がありましたので、公園らしきところベンチに座り込み人間ウォッチングです。
 なにやら馬鹿でかいモニュメントがあります。おそらく第二次世界大戦(ソ連では大祖国戦争というそうですが)関連のものでしょう。無名戦士の墓とその護衛の兵隊はいませんでした。そこまでの規模の街ではないということでしょう。
 時間が近づいてきましたので、先ほどの市場の中の切符売り場に向かいました。そこは鍵がかかっていて誰もいませんでした。その時点ではそのことをなんとも思いませんでした。しかしながら15時に近づいても誰もそこにやってきません。結局そのまま15時を過ぎてしまいました。今となっては本当にニブいとしか言えないのですが、その頃になってやっとこさもしかしたら集合場所はここではなく、中国からのバスを降りたところではなかったのかと思うようになりました。だいぶたってから先ほどバスチケットを売ってくれた女性がやってきて「アンタなんでこんなところにいるのよ!」みたいな口調で何か言われました。やってしまいました。やはり行くべきところはここではなかったのです。しかしながらバスは行ってしまいました。本来ならさあどうしようというところですが、幸い1時間後にもバスがあるので、それで行くことになりました。そして今度はこの哀れなヤポンスキーが間違いをおこして厄介をおこさないように、バス乗り場まで連れて行ってくれました。
 そこはまさしく中国からのバスを降りたところでした。その前にある建物の中に入るとそこは待合室でした。そこは中国からのバスを降りた際にちらっと中を覗いてみたところでしたが、「ここはただの商店だな」と早合点してしまいすぐに出て行ってしまいました。ここにはこの地区のローカルバスの時刻表も貼ってありました。それによると16時のバスがウラジオストク行き最終のようです。危なかった。
 16時過ぎにバスがやってきました。このバスは先ほど通ってきた中露国境近くの街ザルビノ発で、ここからウラジオストクまでは3時間半とのことです。バスは韓国のお古のようです。しかしながら中は特に混雑もしておらず、エアコンもしっかりかかっていますので極めて快適です。
 それでは、当初より1時間遅れですが、あらためてウラジオストクへ向けて出発です。これで予定どおり日本に帰れそうです。

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 バスの乗り換えという第三の関門をなんとかクリアして、スラビヤンカを出発したバスは、ウラジオストクに向けて北上します。実はスラビヤンカが面している海、アムール湾の向こう側にウラジオストクの街があり、海路でいけばいわばショートカットで行くことができ、実際船便もあるのですが、今回は利用できなかったので、陸路で大きく迂回しながらウラジオストクへ向かいます。
 バスはひたすら森の中の一本道を進みます。ときどき進行方向右手に海が見えます。韓国のキア(起亜)製らしいこのバスは先のほどの国際バスより性能が良いのか、あまり揺れずより早く走ります。途中一か所で休憩がありました。そしてウラジオストクとハバロフスクを結ぶロシア連邦道路A370に合流すると、道路の車線が増え、いよいよウラジオストクに近づいてきたことを感じさせます。途中渋滞がありましたが、そこを抜けたすぐそばがウラジオストクのバスターミナルでした。ついにここまで来ました。
 ただし、ここはウラジオストクの中心地から若干離れたところにあり、まだまだ移動せねばなりません。市内バスでいくこともできますが、バスターミナルのすぐそばには鉄道駅フタラヤレーチカ駅があり、郊外電車に乗って中心地にいくこともできます。実はこの路線はシベリア鉄道の一部で、ウラジオストクの手前の部分です。シベリア鉄道でゴールインというのもなかなかヨいと思ったので、駅に入り、自動販売機で切符を買ってプラットホームに入ります。ホームからは海が見えます。海水浴場らしいのですが、すでに夕方なので人はいません。延吉に行くまでのゴタゴタを思い出し、よくここまでこれたものだという感慨にふけります。当初思っていた以上に楽しい旅でした。

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 フタラヤ・レーチカ駅に記載されている時刻表を覗くと、それほど待たずに電車が来るようです。しかしながら反対側の列車はやってきますが、ウラジオストク行きはなかなかやってきません。どうやら日本の鉄道と同じような感覚で列車を待っていてはいけないようです。
 ようやく列車がやってきた時は、もう日が暮れる寸前でした。電車に乗り込み、空いているボックス席に座りました。今日は土曜日だからでしょうか、どこかへ遊びに行って帰ってきたという雰囲気の人たちが多いです。なんだか日本のJRのローカル線に乗って夜景を眺めているような感覚です。
 ウラジオストク駅は2つ目か3つ目の駅で、電車の終点です。すっかり外が真っ暗になった頃、電車はウラジオストク駅に到着しました。ここがゴール地点です。日本を出てまだ四日目ですが、もっと長くここにいたような気がします。

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 無事ウラジオストクに到着し、中国から陸路でロシアへ抜けるミッションが終わりましたので、長征を終えたことに対するささやかな宴を行おうと夜の街へ出掛けます。
 極寒のイメージが強いシベリア・極東ロシアですが、それでも短いながら夏は存在します。そして海の街ウラジオストクは、ロシア人が夏の休暇にやってくるところなのでしょう、結構遅い時間にもかかわらず、ところどころの盛り場らしきところから音楽が漏れ聞こえてきます。
 どこで食べようかとキョロキョロしますが、ヨーロッパもそうでしょうが、ロシアのレストランは一人でふらりと入るには少々敷居が高いです。駅前ではファーストフードを売っていたりするのですが、今日のスラビヤンカとウラジオストクのバスターミナルで食べたサモサやハンバーガー系のようなものがメインで、もうこれを食べようとは思いません。
 道路を挟んで駅の反対側にスーパーがありました。出入口が二か所で窓がないので、これがスーパーだとはぱっと見わからないのですが、中に若干人相がよろしくない警備員が数名いること以外はごく普通のスーパーです。「ちょっと変わった旅行の」作家の下川裕治さんが著作『不思議列車がアジアを走る(双葉文庫)』で、ロシアの外食事情について触れていまして、曰く「部屋食の国」という表現をされていました。レストランは当てにせず、スーパーで意外と豊富な種類の総菜を買ってきて部屋で食べるのがロシア流ということです。それにならい私もいろいろ買い込みました。ロシアビール「ВАЛТИКА(バルチカ)」も買いました。ちなみに日本のビールも普通に売っています。なかなかの充実っぷりです。同じタイミングで二人組の日本女性が同じようなものを買い物に来ていました。ウラジオストクなんかに来るなんて相当変わっているなと、自分のことを差し置いて思いましたが、逆に変なおぢさん扱いされたくないので特に話しかけずスルー。結果お互いにスルーでした。それでいいのか日本人?

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