見出し画像

2017年中朝露国境旅行(1)

 今回の旅の主目的は、今話題の北朝鮮を中国側のさまざまなポイントからウォッチングすること、現地の国際ローカルバスでロシアへ抜けることです。中朝国境については大部分が以前行ったことのあるところではありますが、今の中国はちょっと間をおいたら随分違った景色になっていることが多いので、再度行ってみることにしました。それから「涼しいところ」にもこだわったので、こういう選択となりました。
 セントレア出発は朝の9時なので常滑で前泊し、すがすがしい気分でセントレアに乗り込みました。今回は日本航空(ただし予約自体は中国東方航空。コードシェア便です)。前々日に台風が東海地方を通過しましたが、これが中国ナントカ航空なら機材が中国から日本にやってこれなくて欠航となっていたかもしれませんが、日本航空ならそんなことはないので大丈夫でしょう。ところが…。
 国際線搭乗案内を見て目を疑いました。欧米人なら両腕を広げて「ホワーイ!」と絶叫していたところでしょう。出発時刻が機材やりくりがつかずということで夜の8時に変更となっているではありませんか。上海での悪天候が原因らしいです。今日のスケジュールは、上海浦東到着後その日のうちに中国東方航空国内線の延吉行きに乗り換えることになっています。これでは当然乗り換えできません。
 こういう場合、日本航空へ行けばいいのか、それとも中国東方航空へ行けばいいのかわかりませんが、日本航空の機材ということで日本航空のカウンターへ向かい、そこで自分の状況を伝えました。日本航空としては上海側と確認をとるがすぐにはできないので昼の12時にまたきてくださいということになりました。仕方がありません。とりあえず今晩のホテルを手配したところに「今日はアクシデントでチェックインできませんが明日きますのでキャンセルしないでください」とメールで伝えました。
 さて12時になりました。どうなっていることやら。カウンターに出向くと、上海と連絡がとれないということで状況は何も変わっていませんでした。で、このような状況は上海側に伝えておきますということなので、では上海に着いたらどうすればいいですかと確認すると、飛行機を降りたところで係員が待機しているかもしれませんし、そうでなかったら日本航空カウンターへ出向いてくださいとのこと。じゃあ立ち往生しないようくれぐれもよろしくお願いします、一番怖いのは上海で立ち往生してしまうことなのでと強調しておきました。そして日本航空から一時金として1万5千円の現金とセントレアで使える食券を受け取りました。上海でまともなところに泊まろうものなら1万5千円なんて使い切ってしまう額ですが、後日領収書で清算よりはいいだろうと思い受け取りました。
 時間が空いてしまいましたので、ここで忘れ物を取りに一旦家に帰りました。それはなくても多分支障はないものですが、あればいいだろうというものなので、時間が十分に有り余っているので豊川へ引き返しました。名鉄の国府駅に到着するとさすがに「一体何のために前泊したのだろう」と思いました。汗まみれになって家に着き、小休止して再度セントレアに向かいます。理不尽だ。
 セントレアの値段のばか高い回転すしで軽く食事をし、ぼちぼち行くかという感じで出国ゲートを通過。ボーディング前に機長が乗客を前に今回の大幅遅延についてのお詫びの挨拶。こちらとしてはそんな何の役にも立たないものより、上海での手配を確実にしてもらいたい。大丈夫か?

画像12

 セントレアから上海浦東へは2時間少々でした。しかしながら巨大な浦東空港は、着陸してからが結構時間がかかります。そして空港のどこかで飛行機は停まり、タラップを降りてバスに乗ってターミナルへ移動しました。
 そのターミナル入口ですが、名前のボードを持った係員が一人いたものの、私の名前ではありませんでした。うへーとは思いましたが正直なところ想定の範囲内。仕方がありません、はやく空港内の日本航空カウンターへ行くことにします。
 ところが上海空港の入国審査場はものすごく混雑します。よく見たら入国審査の係員は3人しか係員がいません。半年前も1年前もここを通ったのでこういう状況を知らないわけではありませんが、やはり腹が立ちます。
 やっとのことでゲートを通過し3階の出発フロアへ上がります。そして日本航空カウンターを探し当ててそこへ向かうと、現地人の係員が一人だけいました。この時間はすでに便はありませんのでこんなものでしょう。しかしながらセントレアの係員が申し伝えてくれている「はず」なので、この係員に私の状況を伝えてみましたが、何も伝わっていないようです。どうやら私はセントレアの日本航空係員から厄介者として適当な言葉であしらわれたようです、結果的にですが。これで私は想定された中でも最悪の状態に置かれていることを悟りました。
 それでも一縷の望みを持って中国東方航空のカウンターへ向かいました。そこそこに長い列となっていましたが頑張って並び続けました。そして同じように自分の状況を説明しましたが、この時期はどこも飛行機が混んでいるようで、同じ便なら12日なら空きがあるとのことです。そんなの問題外です。これで立ち往生決定です。だからあれほど立ち往生することがないようにと念押ししたのに。
 さてどうする。スマホで日本航空の電話番号を探し出して電話しましたが、この時間は営業時間外でした。こうなったら自分で次の飛行機を確保することも想定せねばなりません。スマホのアプリのスカイスカナーで調べてみました。直行便、北京、大連、瀋陽、ハルビン乗り換えルート、また出発を浦東のほかに虹橋のものも探してみました。すると中国南方航空で浦東を朝の6時50分出発で大連経由延吉行きというものがありました。値段もそれほど高くありませんし、延吉到着も午前中です。これならと思いつつ、他にもなにかないか検索をして再度先ほどの検索結果に戻るとこの便が出てきません。しかしながら私としてはこの便の利用をあきらめきれないので、今いるターミナル1から中国南方航空側のターミナル2へ眠気でふらふらになりながら歩いて移動しました。
 残念ながら南方航空のカウンターは閉まっていました。仕方ありません。今晩はここで野宿です。とてもではありませんがホテルで休息している場合ではありません。こんな時間でも空港内は多くの人たちが屯しています。ですので野宿といってもただ椅子に座っているだけなのですが、しんどいことに変わりはありません。
 まさか本当に立ち往生になるとは…。

画像13

 空港で野宿といっても、椅子に座っているだけのことだが、やはりつらい。つらいがそれでも数時間はうとうとしていたようです。
 やがて中国南方航空のチケッティング窓口が開き始めたようです。6時50分発延吉行き1枚というメモを見せたら、係員はチェックイン窓口へいけと言いました。変だと思いましたのでしばらくして今度は別の係員にメモを見せましたが、反応は同じです。仕方ないのでチェックインの列に並びました。そしてチェックインカウンターでパスポートとメモを渡すと「ノーネーム」と言われました。当たり前です、予約していないのだから。
 そこで当初のチケットの手配をしてもらったエクスペディアに電話しました。そして今までの事情を説明したら南方航空の方に電話を代わってくださいというので話をしてもらいました。その結果わかったのは、まず今日の便は空席なしであること、有料であるが(!)エクスペディアで手配できるのは今日の深夜出発で青島1泊で翌朝8時30分延吉到着という便、東方航空からキャンセル証明をもらうことができればその分の航空券代は払い戻せるということ。全然ダメです。泊りもしない延吉の予約済みホテル代2泊分を請求されてしまうことと、明日のガイドの費用も無駄になってしまうからです。
 スカイスカナーで調べに調べた結果、浦東から韓国の釜山へ行き、乗り換えで延吉へ行くルートで行くことにしました。あまりに奇想天外なルートですが、ソウル経由も含めてほかに利用できるルートはありませんでした。昨日セントレアからやってきた道のりを3分の1ほど引き返すようなものです。それでいてチケット代は合わせて約5万6千円。日本航空に補償してもらわねばなりません。ちなみに本来のルートである名古屋→浦東→延吉のチケット代は37,640円です。正気の沙汰とは思えませんが、旅行を遂行するのならこうするしか術がなかったのです。
 もし釜山でもアクシデントが発生したら、その時は下関行きのフェリーに乗って日本に帰ろう。

画像1

 上海浦東から釜山へは、大韓航空、アシアナ航空、中国東方航空、上海航空があって、値段はどれもほぼ同じで、中国系が9時頃に出発、韓国系が11時頃出発です。どれでもよかったのですが、釜山で乗り継ぎのために長時間待機するのもしんどかったので、大韓航空で行くことにしました。
 通常チェックインするときは、自宅などで予約確認書をプリントアウトしたものをパスポートに添えて出すのですが、今回はついさっきスマホで予約したのでそんなものは持っていません。それどころかちゃんと予約が入っているかどうかの方が気がかりです。結果的には、予約の際に入力したクレジットカードの提示を求められただけで何の問題もなくチェックインできました。
 大韓航空は、かつてはよくソウルや大連へ行くのに使っていましたが、最近はちょっと久しぶりです。大韓航空やアシアナ航空は日本路線でなくても日本語ができるCAがいるのがうれしいです。釜山までは約1時間、それでもちょっとだけうとうと、でなくて失神していました。
 釜山空港は13年ぶりです。その時はウラジオストクからの帰路に寄りました。飛行機は今はサハリン航空と統合されてしまったウラジオストク航空の、これもやはり今ではなかなか見られないツポレフ154。そして当時の釜山空港は田舎の雰囲気丸出しの鄙びた空港でした。
 これで昨晩通ったルートの約3分の1くらいの距離を、お金を払って引き返したことになります。やっぱり理不尽です!

画像2

 釜山に着きました。すぐさま出発ロビーに行き、延吉行きはちゃんとあるか確認しました。便はありました。あとはチェックインするだけです。これで日本行きの船に乗らずに済みそうです。
 今日はまだきちんとしたものを食べていません。釜山行きの飛行機の中で何か食べ物が出てきた記憶は薄っすらとありますが、大したものではなかったと思います。ただまた延吉行きの飛行機の中で食事が出るでしょうから軽めのものを、なおかつスマホの充電ができるところをということで、ロッテリアがあったのでそこで時間をつぶしました。ロッテリアに入るのは久しぶりです。
 しばらくして出発ロビーの方を見てみると延吉行きのチェックインカウンターに列ができています。延吉なんて中国からすると決して大きくない一地方都市に過ぎませんが、そこは朝鮮族つながりということでずいぶん多くの人が列をなしています。私もチェックインの列に並びました。無事にチェックインできました。これで延吉にいくことができます。一日遅れですがようやく当初の行程に戻ることができます。
 延吉行きは中国南方航空の便です。飛行機内のモニターにフライトマップはなかったので、黄海まわりで行ったのか、東海(トンヘ)じゃなくて日本海まわりで行ったのか定かではありませんが、一直線に北朝鮮のミサイル発射場の上空を通っていないことは確実です。2時間少々で到着です。
 延吉で再び中国入国です。延吉は9年ぶりです。この年は北京オリンピックが開催され、ちょうど前日あたりに聖火ランナーが通って行ったところでした。本当は新疆ウイグル自治区に行こうとしたのですが、オリンピックに関連してか外務省がレベル2の危険情報を発出していたので、行先を真反対のこちらに変えたのです。それなのに入国審査でなぜか怪しまれ、別室に連れていかれ荷物を全部開けられてひとつひとつ「これはなんだ」と尋問を受けました。向こうは中国語、こちらは日本語を交えた英語。よく会話が成立したものです。いや実のところは成立していなかったのかもしれませんが。こんな辺鄙なところから入国すること自体が間違っているのかもしれません。だから当初の予定では上海からの国内便で延吉に行くことになっていたのですが、結局国際便となってしまいました。

 ですので、今回もなにかしらイベントが起きるかもしれないと多少わくわく、ではなくロキロキしていました。そして私の入国審査の番となりました。はい、やっぱり別室送りです。今回は私のパスポートに貼ってあるイランビザに反応しました。あとカザフスタンもちょこっと。イラン訪問の目的は?一人か?何日間?と聞かれました。この程度で無罪放免となりました。この日の朝まで中国にいたのに、場所が変わると扱いも大きく変わります。やはりこういう辺鄙なところから入国する方が悪いのです。んなわけない。
 予約済みのホテル「柳京飯店」まではタクシーで移動します。このとき夜の8時半頃。疲れた。

画像3

画像4

 延吉空港の建物を出て漠然と前へ向かって歩くと、どうやらそこがタクシー乗り場のようです。到着が昼間だったら乗り合いバスでホテルへ向かうところでしたが、もう面倒なのでそこでタクシーを待ちました。
 しばらくしてタクシーがやってきました。タクシーの窓から9年ぶりの延吉を眺めます。ベタな感想ですが、漢字とハングルが混じった外の景色がいかにも延吉らしいです。で、延吉空港はそれほど街はずれではないので、それほど運賃はかからないはずなのですが、ホテルに到着したら50元請求されました。プチぼったです。額自体はどうってことはないのですが、これだからまったくもう。これが延吉だ!이것이 연길이다!
 予約していたホテルに到着しました。私が日本で予約しておいた柳京飯店というホテルは、北朝鮮経営とも在日の方が経営しているともいわれますが、要はあちら側のホテルということです。本来なら昨日中にチェックインし2泊する予定だったのですが、今回の騒動で1泊となってしまいました。1日到着が遅れる旨のメールを送っておいたのでキャンセルはされませんでしたが、ホテル代は当初のとおり2泊分請求となります。それ自体は仕方のないことですが、明日の朝にはここを出発するので、本当にただ泊まるだけのホテルとなってしまいました。
 ホテルのレセプションでチェックインすると、北朝鮮のバッジをつけた女性係員は、日本人がきたということでどこかへ電話をかけました。そして受話器を渡されました。電話の向こう側は、今回のホテルの手配を受けた方でした。会話は日本語です。もしかしたらホテルのオーナーなのかもしれません。内容はホテル代のことと、明日の一日観光のことについてガイドからお話があるということで、しばらくしたら部屋にガイドさんから電話がを入るとのことです。その場でホテル代を払い部屋に入りました。
 ほどなく部屋の電話機が鳴りました。明日の一日観光のことですが、急きょ参加者が一人増えたがいいですよねという確認でした。費用も折半となるとのこと。全く異存ありません。むしろ話し相手が増えて良かったです。このことをメールで知らせたが返事がないのでちょっと焦っていたとのことですが、メールは自宅のパソコンから送信したものなので、外出中にメールを送られても見ることができないので返事がないのも当然です。それはともかく用が済んだので食事に出かけます。このホテルのレストランでは北朝鮮のお嬢によるショーが行われるのが目玉なのですが、それはすでに終了しておりしんとしています。街中へ適当なお店を探しに出かけました。
 しばらくほっつき歩いていると、朝鮮料理系のお店が目に入りました。朝鮮料理というといろいろありますが、狗(イヌ)料理を除くと冷麺が頭に浮かびます。私自身は冷麺は嫌いではありませんが、好きというほどでもありません。というのはこちら側では韓国と違って麺を料理専用のハサミで切るということはしません。ですので麺は長くなります。ところが麺は非常にコシがあります。つまりとても固いです。だからどこかで麺を食いちぎろうとしてもなかなか切れません。そうするとアゴが疲れます。とはいっても、せっかく朝鮮族自治州に来たので冷麺を食べることにしました。あと、餃子もあったのでこれも注文しました。私は中国式の皮が厚い水餃子が大好きです。あれもこれもと欲張ってしまいましたので半分ほどしか食べられませんでした。代金は先払いなのでこそこそとそこを出ていきます。

画像5

画像6

 延吉の宿、柳京飯店。部屋のテレビから金委員長を拝むことができるはずでしたが、テレビがつかず、朝鮮中央放送どころか、中国中央電視台さえも見ることができませんでした。きっとたまたま日本人に見せたら都合が悪い番組のオンパレードだったのでしょう。金委員長が体重計に乗って、国家第一級の秘密である委員長の体重がわかってしまうシーンとか。
 トイ面に「人民公社」なるものがありました。人民服のコスプレを楽しむ革命的なお店でしょうか。諸君、雷峰同志に見習いたまえ。

画像7

画像8

画像9

画像10

画像11


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?