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好きなように書いてみる


好きなように書く

文章を書く上で一番大事な基本指針は、とにかく好きなように書くということである。

文章における文法や誤字脱字はあまり気にする必要はない。気持ちや時間に余裕があったら、自分が書いた文章を何回か読んで軽く推敲する程度でよい。

今は、必ずしも原稿用紙にマス詰めで書く時代ではないから、何回でも書き直せる。フリクションボールペンを使って、何回も書いたり消したりしても良い。書いたものを軽い気持ちで消して修正することが歓迎されている時代なのだ。

文章を書くことが好きな人にとって、こんな幸せな時代はない。未来はどうなっている分からないけど、現代では当たり前のように自分の力で文章を作成している。 

当たり前だが、自分で書いた文章なのだから、自分で何回でも手直しできる。でも、未来は、自分で文章を書かない時代かもしれない。自分の文章を書けない人が大勢いるかもしれない。

でも気にする必要はない。今の時代を存分に楽しめばよいと思う。

特に、学生のうちは、文章を書くのが苦手とか得意とかの前にとにかくたくさん書いたほうが良いと思う。これは間違いない。


私も大学生の時は、たくさん調べて、自分で書いた文書を何回も推敲に推敲を重ね、読む人にとって完璧な文章だと思われるものを目指していた。でもそんなのはあり得ない。


特にお堅い表現で書いた文章は、抽象的な表現が多用されるので、断定的に物事を述べることが少なくなり、かえって、読み手に対して、何を言いたいのか良くわからない文章になりがちである。

それとは反対に、小学生が書く文章はどうだろうか。実に分かりやすい表現で書かれている文章であり、読みやすい。


何を言いたいのか、どこに行ったのか、何が楽しかったのか明確である。そう、子どものうちは、文章表現が乏しいがゆえに、簡潔な文章になり、なにを言いたいのかより具体的なのだ。


社会人になると文章を書く機会は意外と多く、何かしらの文章を毎日書く。一般的な社会人であれば、仕事上、文書・文章を作成する機会は多い。また、ビジネスメール特有の定型文もある。


文章を書くのはそれなりに得意な学生であっても、社会人になると、最初のうちは、文章や文書を書くのに苦労する人が多くいる。仕事で書く文章や文書は、お金が発生しているので、学生が書くメールとはわけが違う。


学生時代であれば、例えば、大学の教授宛とかに打つメールでも、失礼が無いように、何回も推敲して文章を作成した思い出があるが、社会人であれば、そんな暇はない。


社会人ともなれば、偉い人、偉くない人関係なく、それこそ、いろんな職種の人やあらゆる年齢層に対してメールを無数に送る。


これは、もう日常のルーチン業務の一つである。もちろん、メールに書くことの下地は、それまでの経験値がものを言う世界であることは事実だ。学生時代に、とにかくたくさんの文章に触れ、自分でもとにかくたくさん書いてきた経験があれば、文章を書くことそのものに対する免疫ができているので、そこまで文章を書くこと自体に恐れることはない。


だから、ある程度の大人になったり、社会人になってから、後悔したり苦労したりする前に、文章を読んだり書いたりする時間がそれなりにある学生時代は、大量の読み書きを行うべきなのだ。


もちろん、友達と遊んだりサークル活動に勤しんだり、デートしたり仲間とふざけたりすることは非常に大事であり、プライスレスである。


でも、それらを超えるぐらいの熱量をもって、文章を読んだり書いたりする量そのものを増やして欲しい。


社会に出ると、文章を読んだり書いたりの経験そのものが少ない人が意外と多かったりする。


自分で書いた文章そのものの意味が自分でも分からなくなったりして、難しく書きすぎている人もいたりする。


文章を書くことが、いきなり上達することはあり得ない。

だから、いつからでも遅くはない。とにかく好きなように書いてみることが大事なのだ。

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