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なぜ人は目的のない旅に出るのだろう

例えば、どこか旅行に行こうとする。一人でも複数人でも良い。

下調べをかなりして旅行する場合と、思い付きで旅行する場合があるかと思う。いきなりの思い付きでどこか旅行したり、何かのきっかけでどこか急に行きたくなったりする。そのような、旅行計画を立てないでどこか遠くに行くという経験をした人は多いはずだ。


私も土曜日の午前中に友達から誘いがあり、そのままの勢いで、ガラケーと充電器、財布だけをもって、お昼過ぎに東京駅に集合して、ほぼ手ぶら状態で、兵庫・大阪の1泊2日の旅行に思い付きで行った経験を思い出した。スマホも全然普及していない。15年ぐらい前だろうか。もちろん何の計画もない。新幹線のチケットも、宿泊も、行くところ、食べるところ、とにかく、すべての行動をその場で決定していく。目的のない旅である。これは実に楽しいものである。

旅行計画を立てる場合はどうだろう。自宅を出てから、最後、自宅に戻るまで綿密に旅行計画を立てる場合もある。あるいは、旅行計画を立てないと、不安で仕方がないので、旅行計画を立てない旅行はあり得ないという人もいるだろう。


しかし、綿密な旅行計画を立てすぎると、いつのまにか、その計画を消化することが目的となってしまう恐れがある。これも経験がある人は多いのではないだろうか。友人や家族などと、旅行に行く。全員の方向性が完全一致することは無いから、いつのまにか、予定していた旅行計画をこなすことが目的となってしまう。それで喧嘩になる。

はたまた、ガチガチに組まれた、観光ツアーに行って、途中で自由度が低いあまり、後悔したという人もいるのではないだろうか。

現代では、旅行計画を立てる過程や旅行中において、旅行先の観光地を調べてあらゆる情報を知ってしまい、後は見て確認するだけと言うケースもあったりするし、実際にそのような話をたくさん聞く。


昔は、事前に下調べをするといっても、参考情報程度に観光本を持って観光するというレベルだったものが、現代では、スマホ一つあればその中が疑似観光みたいな状態で、スマホの中で観光旅行を疑似体験できる。

観光は本来楽しいもなのにもかかわらず、旅行計画を立てないなど、もってのほかだ。と、怒る人もいるかもしれない。こうなると、楽しい旅行・観光が何なのかもう分からない。

でも、なんでもそうであるが、楽しみを主目的としている場合においては、計画を立てすぎると、楽しんでいるのではなく、計画通りに物事が進んでいる、という安心感を得るという心の充足感を得ることに、いつしか目的がすり替わってしまったりする。


ガチガチの旅行計画を立ててしまうと、本来の意味で楽しめなくなったりするので、計画を立てる場合は、ある程度の余白を持って、何か予定外のことがあっても、柔軟に対応できるような、ざっくりとした旅行計画が良い。


旅でも人生でも計画を立てすぎている方、最近、計画に縛られすぎている方、たまには計画を立てずに、おもいつくままに行動する感覚、野生の感覚みたいなものを取り戻してほしい。

ではまた。



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