みんな手探り:完璧主義と向上心20241024
みんな手探りの中で生きている
子どもの頃、
「大人はものすごく思慮深くて、何でも想定していて、その中でいろんなことを言っている」のだと思っていた。
でも、実際に自分が大人になってみて感じるのは、それはただの勘違いで、
名言の通り、大人もただ「大きくなった子ども」に過ぎないということ。
父親になって、「父親としてもっとしっかりしなきゃ」って思うけれど、
実際は「子どもを育てている子ども」だよね、と言われても否定できない。
きっと誰もがそう。
誰もが思い描いていた「大人」「父親」になっているわけじゃなく、
ずっと思い描いてる「大人」「父親」という理想に向かって手探りを続けているだけ。
それっぽい自分、
"それ"っぽい何かを目指して手探りしながら生きてるだけ。
「立派な人」も手探りで進んでいる
生きていれば、「立派な人」をたくさん見つける。
現実世界でも、テレビの中でも、スマホの中でも。
そして見つけた時に、
そうじゃない人、つまりは「立派じゃない自分」とその人とを比べて、
自分が嫌になったり、
そういった「立派な人」と自分が別世界の人間に見えて落ち込むのは、
私だけじゃないでしょう。
でも実際のところ、
立派に見える人も私たちと同じで、手探りの中で進んでいるだけなんでしょう。たまたま何千回の手探りの中で、何回か成功を引いただけで、今も試行錯誤の真っ只中にいる。「それっぽく」生きてるだけ。
成功している人と、成功していない人とは本質的には何も違わない。
みんな「それっぽさ」の中で、どうにかして前に進もうと手探りしながら生きているだけなんでしょう。
完璧じゃなくていい。100点は取らせてくれない。
私たちは完璧じゃないし、今後完璧になることない。
ローイングをどれだけ上手く漕げるようになって日本代表になっても、
上には上がいるということを知って、完璧じゃない自分に絶望するのです。
成れはしない「完璧になれる」と信じて頑張るのは、
「完璧になれない」という現実の先送りをしているだけ。
それは結構窮屈です。
自分を許せなかったり、完璧じゃない他人を許せなかったり。
向上心を持ち続けることと、完璧主義は違うということ。
誰もが100点は取れないテストを、生涯受けさせられている。
だけどもう1点ぐらいは、もう1点ぐらいは、その延長が今なのだと思います。
ずっと試行錯誤しながら、
手がかりなしの手探りの中で進んでいくことしか私達にはできない。
だからこそ、みんな100点を取れないテストを受けさせられている仲間だと、と考えれば、
「立派な人」も「そうでない自分」も、なんだかみんな同じ人間のような感じがして、少し楽になった、
100点取れなくていいから、とりあえずテストを受けよう、行動しよう、そんな話でした。