江藤淳 「秋成はもともと漢文のかなり読める人で

江藤 「秋成はもともと漢文のかなり読める人で、『雨月物語』も、『醒世恒言』や『剪灯新和』のような中国の白話や雅文の小説の換骨堕胎といえないこともありませんが、それを『雨月物語』として日本語で書いたということ自体、漱石や鷗外の場合と同じような、和漢のあいだに身を置いたクリティックのあらわれだったと思います。それは日本語ということを、やはり秋成なりに真剣に考えたからでしょう。」

小林 「そうですね。だけど大体ああいうものが出たのは、徂徠が前にいたからなんですよ。徂徠がいたからああいう学問の上での都会人、自由人が出てきたのですね。宣長と徂徠は見かけはまるで違った仕事をしたのですが、その思想家としての徹底性と純粋性では実によく似た気象を持った人なのだね。そして二人とも外国の人には大変わかりにくい思想家なのだ。日本人には実にわかりやすいものがある。三島君の悲劇も日本にしかおきえないものでしょうが、外国人にはなかなかわかりにくい事件でしょう。」

江藤 「そうでしょうか。三島事件は三島さんに早い老年がきた。というようなものなんじゃないですか。」

小林 「いや、それは違うでしょう。」

江藤 「じゃあれはなんですか。老年といってあたらなければ一種の病気でしょう。」

小林 「あなた、病気というけどな。日本の歴史を病気というか。」

江藤 「日本の歴史を病気とは、もちろん言いませんけれども、三島さんのあれは病気じゃないですか。病気じゃなくても、もっとほかに意味があるんですか。」

小林 「いやァ、そんなこというけどな。それなら、吉田松陰は病気か。」

江藤 「吉田松陰と三島由紀夫は違うじゃありませんか。」

小林 「日本的事件という意味では同じだ。僕はそう思うんだ。堺事件にしたってそうです。」

江藤 「ちょっと、そこがよくわからないんですが。吉田松陰はわかるつもりです。堺事件も、それなりにわかるような気がしますけれども・・・・・・。」

小林 「合理的なものはなんにもありません。ああいうことがあそこで起こったということですよ。」

江藤 「僕の印象を申し上げますと、三島事件はむしろ非常に合理的、かつ人工的な感じが強くて、今にいたるまであまりリアリティが感じられません。吉田松陰とはだいぶ違うと思います。たいした歴史の事件だなどとは思えないし、いわんや歴史を進展させているなどとはまったく思えませんね。」

小林 「いえ。ぜんぜんそうではない。三島は、ずいぶん希望したでしょう。松陰もいっぱい希望して、最後、ああなるとは、絶対思わなかったですね。三島の場合はあのときに、よしッ、と、みな立ったかもしれません。そしてあいつは腹を切るの、よしたかもしれません。」

江藤 「立とうが、立つまいが・・・・・・?」

小林 「うん。」

江藤 「そうですか。」

小林 「ああいうことはわざわざいろんなこと思うことはないんじゃないの。歴史というものは、あんなものの連続ですよ。子供だって、女の子だって、くやしくて、つらいことだって、みんなやっていることですよ。みんな、腹、切ってますよ。」

江藤 「子供や女の、くやしさやつらさが、やはり歴史を進展させているとおっしゃるのなら、そこのところは納得できるような気がします。だって希望するといえば、偉い人たちばかりではない。名もない女も、匹夫や子供も、みんなやはり熱烈に希望していますもの。」

小林 「まァ、人間というものは、たいしてよくなりませんよ。」

(小林秀雄・江藤淳「歴史について」『諸君!』昭和46年7月号)

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