村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」 几帳面な規則正しさ

翌朝九時半になっても十時になってもシナモンは姿を見せなかった。それは前代未聞のことだった。僕がこの場所で「仕事」を始めて以来一日の例外もなく、ぴたりと朝の九時になれば門が開き、メルセデスの眩しい鼻先がそこに現れた。そのようなシナモンの日常的にしてシアトリカルな登場とともに、僕の一日が明確に始まったのだ。僕はその決まりきった毎日の生活のパターンに、ちょうど人が引力や気圧の存在に馴れるみたいに馴れてしまっていた。そんなシナモンの几帳面な規則正しさには、ただ単に機械的という以上の何かが、おそらく僕を慰撫し、励ましてくれる温もりのようなものがあった。だからこそシナモンの姿のない朝は、上手にかけてはいるが焦点を欠いた凡庸な風景画のように見えたのだ。


村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」

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