小出裕章 原子力村への最終警告
福島原発事故からすでに5か月が過ぎました。本来は閉じ込められているはずであった放射性物質が大量に環境に放出され、今現在も猛烈な被爆環境の下、下請け労働者を中心とした作業員たちが苦闘を続けています。そして周辺では「原発さえなかったら」とチョークで壁にかいた酪農家が自死し、避難所に移された老人たちが死に追いやられ、子どもを含む多くの人たちが、日本の法令の限度を超えて被爆させられ続けています。
いったい、こんな悲劇を引き起こした原因はどこにあり、責任は誰にあるのでしょうか?政府はそれを調べるために、「東京電力㈱福島第一原子力発電所事故に関する事故調査・検証委員会」を設置しました。ところが、その委員会の委員長になった畑村洋太郎さんは就任時に、「責任追及は目的としない」なる発言をしました。そして日本原子力学会は7月7日にプレスリリースを出し、委員会に対して「東京電力㈱福島第一原子力発電所及びっ原子力防災センター(OFC)等の現場で運転、連絡調整に従事した関係者はもとより、自己炉の設計・建設・審査・検査等に関与した個人に対する責任追及を目的としないという立場を明確にすることが必要である」と要求したのでした。
私はもう溜息をつく気力すら失せました。人間は生まれ、そして死にます。自分の人生は一回しか生きることができません。その人生を仮に原子力にかけた人がいてもいいでしょう。しかし、それが他者に対して限りない犠牲を強いたのであれば、自ら責任を負うのが当然です。これまでも原子力の発展のために尽くしたとして、様々な褒章を得てきた人たちがいました。ところが、今回の事故を起こしたことに責任のあるそれらの人々は、自分の責任を逃れることだけが大切なようです。これだけでも私には想像を絶することです。
その上、未だに日本では10基を超える原発が動いていますし、まだ原子力を進めようとする人たちがたくさん残っています。何が何でも体裁を取り繕おうと原発立地の自治体、電力会社、さらには本来は規制機関であるはずの原子力安全・保安委員が一体となって「やらせメール」や世論操作のための賛成派動員をし続けています。そして交付金制度の改悪で釣られた北海道も泊3号機運転を容認し、ついに泊3号機は運転を始めました。
私は40年に亘って、原発の事故を警告してきましたが、次々と原発は建設されてしまいました。私の歴史は敗北の歴史でした。そして、何とかこんな事故が起きる前に原子力を廃絶したいと願い続けてきましたが、事故がついに起きてしまいました。福島原発事故は私にとって決定的な敗北になりました。この事故を防げなかったことは、原子力の場にいた人間の一人として、言葉に尽くせず無念ですし、福島の方々、そして世界中の人たちに、私の非力をお詫びしたいと思います。
原発の歴史は戦後日本そのものです。原発は、経済成長の名の下に、財政基盤の弱い地方の自治体、弱い立場の人々にリスクを背負わせ、都会での享楽的な生活が幸福であるかのような価値観を植え込み、新たな差別を生んできました。
3・11以降、世界は変わりました。大人たちはこれまで原発を容認する、容認できない、無関心の立場を含めて、これまで社会の中で享受してきた利益に対する責任があります。子どもたちを被爆させないことは最低限の責務です。一人ひとりのみなさんが、自らの責任がどういうものか、考えてくださることを願います。
京都大学原子炉実験所助教・小出裕章 「原子力村への最終警告」
(「原子力村の大罪」KKベストセラーズ 2011年9月7日初版)