橋本治 このわけの分からない本も、そろそろ終わりです。

このわけの分からない本も、そろそろ終わりです。このまま終わると、きっと「なんだか分からないまんま」になるでしょう。ここら辺で、「衝撃のラスト」なんてものが来るといいなと思うので、ちょっと「大きな仕掛け」を考えます。「どうして日本は、世界一の経済大国から転落してしまったのだろうか?」です。

かつての日本は「世界一の経済大国」でした。それがバブルで転んで、今や見る影もないありさまです。「なんでそんなことになったんだろう?」と考えて、すぐに横道にそれてしまう困った私は、別のことを考えてを考えています。それは、「どうして日本人が国際競技で優勝すると、すぐに国際競技のルールは変えられてしまうんだろう?」です。

背泳の鈴木大地は、かつてソウル・オリンピックですごい記録を出しました……出したのに、すぐパッとしなくなりました。どうしたんだろうと思ったら、国際水泳が背泳のルールを変えちゃったんだそうです。スキーのジャンプ競技では日本チームが圧倒的に優勢で、一時は「日本の丸飛行隊」と言われたこともあります。オリンピックの表彰台を独占したみたいに見えました。でも。すぐにパッとしなくなりました。ジャンプ競技のルールがいじられたのです。わたしが知らないだけで、他にもそんな例はまだあるのかもしれません。どうして日本人がすごいことをすると、「そうはさせじ」とばかりに「国際」の方は、その根本のルールを変えてしまうんでしょう?まるで、思いつきでものを言う最悪の上司みたいなものです。

基本のルールで変えられて日本がだめになってしまうのは、日本が他とは違うことをしているからです。だから、「それができないようにしてやろう」という発想があっちに生まれて、日本はだめになるのです。他と違うことをしていなくて、それで強かったら、ちょっとルールをいじられただけで「情けない結果」になるはずはありません。

かつて日本が工業製品の輸出で欧米を圧すると、必ず「ダンピングだ!」という声が上がりました。そのおかげで、日本の労働者の賃金はどんどん上がり、世界一の高さになってしまいました。おかげで「賃金の安いアジア」に、生産の拠点を全部持っていかれました。

輸出に精を出して「世界一の経済大国」になっていた日本に対して、どうしても勝てないアメリカは、「ずるい、もっと国内消費を増やして、輸入を増やす努力をしろ」と言いました。おかげで日本は、バブルのブランド狂いです。その頃のアメリカは、「グッチやヴィトンのバッグの輸入を増やせ」といったわけではなく、「ケチャップの輸入を増やせ」といったのですが、なんでアメリカ人に「日本はもっと食い物にケチャップをかけろ」なんて言う権利があったんでしょう?謎です。

日本人はケチャップより、かけるなら、マヨネーズのほうが好きです。かけたがる人はなんにでもかけます。わたしがアメリカの商売人なら、「日本人はケチャップよりマヨネーズの方が好きだから、我々はマヨネーズの輸出力に力を入れよう」と考えますが、アメリカ人はそう考えません。考えずにいうことは、「不公平だ!市場の開放をせよ!」です。そうして、日本は外国との貿易交渉で、必ずと言っていいほど負けます。

そんな日本だから、『「NO」と言える日本』という本を書いてみるせっかちな人もいます。わたしなんかは「NOと言う前にあきれるべきだ」と思います。「NO」と言って、相手と論争なんかしたら不利です。どうせ相手は、勝手に論争のルールを変えます。ほとんど「思いつきでものを言う上司」です。なにしろ、向こうはずっと「日本の先進国」でしたから。

我々はあきれるべきだったんです。ところが、あきれなかったのです。どうしてあきれなかったのでしょう?

その一つは、「“あきれた”を意味する声の出し方を知らなかったから」です。どうしてしなかったのかと言うと、「あきれてもいいんだ」という考え方をしなかったからです。どうしてしなかったのかと言うと、「そういう知的に高度な対処法がある」と知らなかったからです。

それでは、どうして高度な対処法を知らなかったのでしょう?それは「我々は相手に比べて劣っているから、相手に対して“高度な対処”など出来るはずはない」と思っていたからです。・・・・・・もちろん、これは第二次世界大戦後の話ですが。

敗戦前の日本人は、「我々は相手に比べて劣っていないから、相手と同じような対処法をとる」と言って、戦争をしました。そして、負けました。結果、「我々は劣っている」という深い傷を負ったのです。私はもう一つ別のことを言います。それは、日本人が「自分たちは“先進国”と言われる国とはちょっと違うことをやっている」ということを、明確に理解していないということです。

第二次世界大戦後、輸出に励んだ日本人は「世界のセールスマン」と言われました。もちろん、バカにされてのことです。

「先進工業国」と言われたヨーロッパやアメリカに、「セールスマン」となった日本人は、なんと「工業製品」を売りに行ったのです。「お前んとこのもんがロクなもんであるわけないだろう」と言う声に向かって、「そこをなんとか、一つ、ごらんになるだけでもなって下さい。お気に召さないところがございますなら、なんでもご希望に沿えるようにいたします。こう申しちゃなんですが、製品の方には、手前共、自信はございます」と、慣れない英語で言いました。それが「セールス」だと思えば、別に珍しいことじゃありません。でも、そんなことをして世界を制したのは、日本だけなんです。

二十世紀の基本を作る十九世紀のヨーロッパのセールスマンは、バックに軍隊という「こわい人の集団」を引き連れていました。その工場も、「ウチのはいいもんですよ。買わないのはバカですよ」でした。そうして、インドや中国は植民地にされるのです。「そうなっちゃ大変だ」と思って、日本は明治の近代化へと向かったのです。

第二次世界大戦の前の「輸出」というセールスは。バックに「軍隊」を控えさせるのが当然でした。だから、戦争は簡単に起こったんです。戦後に、その風趣はさすがに影を潜めました。しかし、その戦後に、高飛車なお客さんに頭を下げて回って商売をしたのは、日本だけです。つまり、日本は「現場の声」に耳を傾けて、一生懸命商売をしたのです。

日本の「技術力」と言われるものは、その「現場の声」を反映した結果、高められたのです。だからこそ、自動車の本場であるアメリカで、日本車は市場を制しえたのです。「他とは違ったことをやる日本」は、そうして経済大国№1になったのですが、そうなった日本のやった「違ったこと」とは、「現場の声に耳を傾ける」だったのです。

牛肉の輸出をしたいアメリカは、BSEが発生しても「気にすることはない」で、日本の要求する牛の前頭検査をやりたがりません。輸入する日本は、アメリカの「お客さん」なのです。「お客さん」が、いやがって心配して、「やってくれ」といっているのに、平気で「NO」と言っていられるアメリカはなんでしょう?「NO」と言って、しかも「買え、市場を開放しろ」というのです。

少し、あきれるべきではないでしょうか。「現場の声に耳を傾ける」をやったのは、日本だけなのです。その日本が世界一になったのなら、「現場の声に耳を傾ける」は、正しいのです。正しいことをして一番になったのに、愚かな日本は、そのことを理解しなかったのです。だから、『思いつきでものを言う上司』のような先進国から、「フェアじゃない」などと勝手なことを言われて、それに対して、「はい、すみません」と言ったのです。

別に私は、「金儲けに勝った日本が正しい」と言っているわけではありません。「日本が経済大国№1になった時、“現場の声を聞かない会社はだめになる”が明確になった」と言っているのです。そういう新しい状況を、日本は開いてしまったのです。だから、「世界中のどこにももう現場はない」という二十一世紀状況にだって、日本は対処できるだろうと思うのです。

日本は「世界で一番」になって、それに反感を買われて、無理矢理、「その実績を達成した前提となるルール」を変えられてしまったのです。しかも、そのことをロクに理解していなかったのです。問題は、そこです。

「世界は徳のない上司に満ちていて、日本はそれに忠実にして孝なる部下」かもしれません。そして、「徳のない上司に引き上げられて、その結果、思い付きでものを言うしかない上司になった」のかもしれません。

過去はどうでもいいです。確かなのは、二十一世紀の世界は「やせた現場」に満ち満ちていることだけです。
「やせた現場」に業を煮やして、「戦争をしてでも、豊かで新しい現場を確保してやる!」を実行してしまう国もあります。「現場の声」を聞かず、一方的にそんな決断を下してしまうトップのいる会社は、必ずかれます。それは、日本のやることではありません。「やせた現場」をコツコツでも歩き回って、「どうすればこの現場をもう少し豊かにできるか?」を考えるが、日本のやることです。なにしろ日本は、相手が先進国であろうと後進国であろうと、「現場の声」を聞いたのです。聞いたのは、日本の「民」であって、「官」ではありませんけれども。

その日本のやり方が「正しい」と知っている「部下達」は、きっと世界にいっぱいいるんだと思いますよ。でも日本は、それに対して「思いつきでものを言うだけの上司」になってしまっている可能性大です。「大」じゃなくて、もうそうなってしまっているのかもしれません。

ということになると、「それで、日本はどうするのか?」になりますが、日本のやることは、「部下」といっしょにやせた現場を歩き回って、「さて、これからどうするか?」と考えることだけでしょう。「もう“大きくなる”は古くなっちゃったしな」とつぶやきながら。

その先に「どうするか」を発見する能力は、日本にあるだろうと思いますよ。なにしろ日本人は、「他とは違ったことを平気でやる」なんですから、それもまた「現場の声を聞く」をする日本人の習性かもしれません。

世界は「現場」、他人も「現場」、そして自分もまた「現場」なんです。日本人に欠けているのは、一番最後にある「現場」への感覚だけかもしれません。だから、「本当に、あきれてもいいだろうか」なんて迷うんです。

「あきれていいのかどうかよくわからない」は、まだ自分の置かれている状況がよくわからないだけです。「あきれられる」は能力なんですから、それができるようになるまで、自分を養うしかありませんね。


橋本治 「上司は思いつきでものを言う」

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