「犯罪季評」 いわく言いがたいあれ

1988年の出来事

●天皇の死の日常化

朝倉 天皇の病気ですけど、岡田有希子の時みたいに中高生の間で噂が結構あるようです。輸血用の血はどこから持ってくるか、ある病院の裏のドアを開けたら赤ん坊の死体が山のようになっていたとか。ただこれ以上は盛り上がらない。子供は天皇というのはよくわからないから。

別役 いちばん熱心なのは中年ね。われわれの世代よりちょっと上ぐらい。

朝倉 中年のほうでも結構噂がある。今のところ「二・二六事件」(注1)の将兵の怨念が生かしているんで、2月26日に道連れにするとか。

別役 オリンピックまでというのはあったね。秋場所が終わるまで、千代の富士の連勝記録が途絶えるまでとか。波があるね。バイオリズムみたいなのが。9月に死んだらかなり劇的だったんです。10月初旬でもみんながかなり心配して、呼吸数がどうとか、ほとんど生理的に同調していた。いま、ちょっとうんざりしている。

朝倉 血圧や吐血を逐一発表しているというのは、あまりなかったんじゃないでしょうか。

別役 うちの義母なんか自分の脈拍を測って、あ、私はいくつ、天皇はいくつ、そういう認識の仕方だね。そういう形で、呼吸数があっているとか脈拍が一緒だとかで、何かを共有させる。政策的にやってるのかな。

朝倉 テレビ報道とか中高生の噂なんか見てると、天皇というタブーの根源、構造は壊れていますね。タブーというより、見えない部分への好奇心みたいなもので動いている。いま天皇の存在は人生上のタブーとあまり結びついていないでしょう。

別役 天皇の死の日常かね。日常化することによる別の呪縛力。王権の崩壊とかいう概念とはぜんぜん違うものであって、われわれが知っている、あるいは親しいある生命体が死ぬ。そっちのほうへ引きずろうとしている。それだけにいっそう強烈なんだ。また、元号で時代を区切る、時代をみるという習慣に慣れちゃってる。天皇制とかに関係なくもう習い性となって、昭和というパターンでみちゃう。その昭和が終わることに対する思い入れがある。

朝倉 自然の感情としてあるんでしょうね。ぼくらの場合は世代的にもちょっと外れていて、感慨というものにはあまり結びつかない。でも天皇といった場合には日本という固有名詞がついて回る、それがなんだかもうわずらわしい。反天皇にいくか天皇主義者かの自動的に迫られちゃうみたいなわずらわしさ。

別役 拠り所が曖昧なんだね。右翼の天皇観も、左翼が天皇に戦争責任ありというのもわかるわけ。論理的には全部わかっちゃう。しかし天皇という個体や天皇制という制度を考えるとき、何を拠り所にして何を言うかとなるといまだに曖昧なんです。政策的に曖昧にしてきた。それに苛立つわけ。否定的根拠でもなんでもいいから、まず歴史的にはこうだよ、こういうふうに決めたよ、それに反対するかしないか、みんな考えようじゃないかというのがはっきりしない。

朝倉 説得しようとするとき、両方が苛立つと思うんです。ぼくも新右翼の人などから、天皇というのは要するに日本の自然と同じだ、君は自然を愛するかと、そういう説得の仕方をされた。説得するほうにもされるほうも、なーにを!という感じになるんです。自然を愛するだってえ、と。戦争責任を言う場合でも、責任をとるかとらないかというのはあくまで個の問題であって、天皇自身が、天皇個人がおれはこういうふうに責任をとるとやるしかない問題じゃないか。究極的にはね。しかし天皇はそういう存在じゃないから、その間の隔靴掻痒はかなりすごいですね。

別役 すごい。天皇というのを曖昧にしてきて、政治的な権力でもない、個体でもない、制度というか国家というか、あくまでシンボルである、象徴である、というふうにやってきて、そのまま続けてきたゆとりというか曖昧さというか、これはかなりすごいことだという感じがする。ヨーロッパの社会ではちょっと考えられないことだね。

朝倉 絶えず日常に回帰してしまう。そこで拡散してしまう。リクルートだってそうですよね。真藤恒というNTT(注2)の会長の記者会見がものすごく面白かった。問い詰められていると全然思ってないのね。疑惑追及という文脈それ自体が虚構なんだという立場で当の本人が話している。一番よく出ていたのが、「根掘り葉掘り聞きなさんな」と。「これは僕にとっちゃ涙の出るような話だよ」「記事の書き方にもいろいろあるだろうが、極端な社会悪として書かないでくれ」と。これはほとんど裏の話なんだよ。こういう部分にあなた方の日常もリアリティもあるだろうし、権力のリアリティもそこまで降りてきているんだということを言っている。

別役 これね、日本の芝居のやりとりによく似ている。ヨーロッパには裁判劇というのはあるんです。論理を尽くすわけ、論理の正邪性を問題にする。日本では絶対そうならない。おれも知ってる、お前も知ってる、いわく言いがたいあれがあるじゃないか、というところに本来の文脈がある。これでは論露劇、裁判劇というのは絶対だめなのね。リクルート問題すべてが、論理の世界で問題にされる話じゃないわけなんだ。罪悪じゃないんだからね。論理と倫理が微妙に入り組んでいる。リクルートと天皇の病状というのは本当に精神衛生によくない。

朝倉 江副という人は、もう少し新しい論理性でがんばってもらいたかった。

別役 豊田商事の永野のほうがオリジナルなんだ。豊田商事は、恨みつらみという打倒力が明らかにあるでしょう。江副ってあまり感じないのね。精神としてハングリーじゃない。


(つづく)


別役実・朝倉喬司 「犯罪季評」


注1 1936年2月26日の皇道派青年将校らによるクーデター。反乱軍側は奉勅命令に動揺、無血鎮圧された。緊急勅令により特設軍法会議を設置し、幹部17名に死刑、また皇道派の理論的指導者北一輝、西田税に死刑を判決。事件後の粛軍により皇道派的勢力は一掃された。(東洋経済「日本現代史辞典」から)

注2 なるほどNTTは、“公社”から情報サービス会社に変わったのだと実感させてくれたのが「ダイヤルQ2」。民間の「情報提供者」がNTTから回線を借り、NTTは通話料とともに情報料回収を代行するシステム。複数の人が同時に会話できる「パーティライン」や、ファクシミリなども加えられて89年7月に開始されたが、9月末には回数線1万を超える大盛況。8月にNTTが回収した料金は24億円にのぼった。「ダイヤルQ2」伸長の原動力をなしたのがいわゆる「成人番組」。高校生などが夢中になり、父親の月給などあっという間に吹っとんでしまう電話代を請求されて途方に暮れた家族なども続出した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?