宗教の事件 07 「オウムと近代国家」より 三島浩司

三島浩司・・・・・・弁護士。日本赤軍や過激派の公安事件などの弁護に従事。オウム事件では、「防衛庁長官」岐部哲也に引き続いて、教団最中枢被告の弁護にあたった。

以下は「オウムと近代国家」(南風社・1996年5月初版)の三島へのインタビューである。インタビュアーは民俗学者の大月隆寛。

●麻原彰晃の笑顔

・・・・・・三島さんは、オウム真理教の「防衛庁長官」だった岐部哲也の弁護を担当されたわけですが、その立場にあるということを前提として、できるだけ率直にお尋ねします。まず、麻原彰晃についての三島さんの印象というのは、どんなものですか?

三島 私には多少の組織体験があるから、そのあたりのことを注目するのだけれども、麻原は笑顔が実にいい男だと思うね。

・・・・・・にっこり笑って笑顔千両ですか。それは敢えてもっと違う言葉に分解してゆくとしたら、どういう種類の言葉の笑顔ですか。人がいい、という感じ?

三島 いや、人がいい人間の笑顔じゃない。吸い込まれるような笑顔ですね。莞爾と笑って人と引き込む笑顔でしょうかね。オウムの信者からも、麻原の笑顔の良さの話はよく聞いてますけれどね。たぶん、その笑顔が変貌する時が、また凄いのだろうね。
・・・・・・三島さんは、1965年(昭和40年)のいわゆる日韓闘争の時に、新左翼系都学連の委員長をやっておられたと聞いています。その組織体験を踏まえたうえでお尋ねしますが、どうですか、当時の学生運動のリーダーというのも、そういう「笑顔千両」の持ち主だったのですか。

三島 そういうところはあるね。不思議なものでね。その笑顔が組織をつくる、という側面もある。理屈を超えた何かがあるんですよ。党派と党派が互いに武装してヤクザの出入りのようなこともやるわけなんだけど、そんな時でもリーダーがにっこり笑ったりすると、「こらもう、しゃあない。下手したら死ぬかも知らんけど、行こ」となる。人間ちゅうのはアホなとこがあるからね。だから、浅原の笑顔が気になるんだね。

マスコミの報道による麻原象も麻原の一面であるのかもしれないが、一方的な像を流し続けるのは問題じゃないかな。いまなされなければならないのは、事件全体の実相を正確につかむことだと思う。なぜあれほど多くの若者が麻原のもとに集まったのかという謎も麻原の人間像を正確に把握しないといけないと、解けないわけだからね。

・・・・・・オウムのなかにはかなり年配の信者もいたわけですが、少なくとも報道を見ている限り、早い段階で教団を抜けている人のなかにはそういう年配の人が多いように感じるんですよ。もちろん、これは正確な数字を出したわけではないので一情報消費者の印象論でしかないのですが、しかし、その印象としての真実というのもあるだろうと思います。で、結局は世間を知らない若い連中が最後まで残ったのではないか、というこの印象を前提とした場合、ならばその残った比較的若い世代の彼らはどういう目で麻原を見ていたのか、という問いが残ってくる。いまおっしゃったような、笑顔がいいとか、あるいは麻原より年上の年配の第三者が麻原を見るような目で麻原を見ていたのか、それとももっと違ったものを麻原から読んでいて、それが我々にはまだわかってないのか、果たしてどっちなんでしょうね。

三島 それなりの歳の信者は一応の現世の体験を持っているから、批評眼がどこかに残っている。岐部哲也の場合も、そうでしたね。その批評眼で対処できたという気はしますね。若い連中は体験に基づく批評眼はないから、「これしかあらへん」という感じやね。

・・・・・・それは十分推測できるし、三島さんからそう聞かされると、やっぱりそうか、と思うんですが、いま僕の問いをもう少しほどいてみますとね、その若い連中が生身の麻原に接したときに、それまでテキストやビデオや、そういう教団の発信する情報の水準だけで見知っていた麻原像が彼らのなかにあったはずですが、そのイメージとしての麻原と生身の麻原との間に何らかの落差があったのかなかったのか、ということなんですよ。生身の麻原を見て、「ああ、これは本やビデオで接していた尊師よりずっと凄い」と感じたのか、それとも「なんだ、実際は結構俗物じゃないか」と感じたのか。

いまいっているような「若い」連中は大雑把にいって高度経済成長期以降に生まれて育ってきた世代で、そういう情報のハンドリングにはそれ以前の世代よりたけているといわれてきたわけです。それは全くその通りだと僕も思っていますが、そういう彼らであればこそ、どんなに教団の情報によって刷り込みを行われていたとしても、生身を見たときに「なんだ、これ」という相対化の感覚は、程度の差はあれ、ある部分必ず持っていたはずだろう、と僕は思うんです。言わば、お笑いでいうところの「ツッコミ」ですね。周囲に対してだけではなく自分に対してそういう「ツッコミ」を入れながら、濃密でせわしない情報環境をバランスを崩さんように泳いでゆく。ひとつの価値なりひとつの立場なりに固執してしまうことなく、微妙に距離を取りながら自分の主体を安全に確保してゆく、最近ネガティヴな文脈だけで語られるようになりがちな、80年代的価値相対主義というのは、その最も重要な役割として、それまでのイデオロギー至上主義な世界観にしばられた主体の不自由を乗り越えるときの有効な手立ての一つだったという側面があるわけです。

もちろん、それはそのようにすべてを相対化した後にどのような主体を改めて構築するのか、というところまでも棚上げされてしまったがゆえに、継続的な「個人」の輪郭をこれまで以上に持ちにくくなってしまい、その結果として本来文脈の異なる情報さえも同じ水準でハンドリングして奇怪な世界をつくりだしてしまうことにもなったわけですが、にしても、最低限そういう「ツッコミ」の手練手管を身につけている世代のはずの彼らが、その「ツッコミ」によるスタビリティを簡単に失うほどの生身の実存というのはどういうものだったのか。別に今回の一件だけでなく、以前から報道されている限りでは、どう見ても俗物にしか見えない麻原の生身のどういうところに彼らがイカれたのか、そこのところが僕にはいまひとつよく見えない。だから、しつこくお尋ねするんですが。

三島 信者から聞いた話では、圧倒的に前者、つまり「生身の麻原はすごい」ということだったらしいね。それも若い子であればあるほど、その体験を過大視するわけではないけれど、私の世代の者がメディアを通じて想像してきた美空ひばりや力道山に接した時のような感動を覚えたという信者が多いようですね。

・・・・・・ああ、そうなのか。80年代的価値相対主義はアイドルなりスポーツ選手なりにそのようなアウラを感じることが少なくなるほどのすさまじいものだったはずですが、そこにかえって落とし穴があったったことなのかなあ。

三島さんと麻原とは世代的にはかなり違いますが、どうですか。麻原に何か近しいものを感じますか。

三島 匂いとして、我々の世代に近い匂いを感じるね。まだ都市にも闇や路地があった時代で、闇に潜む邪悪なるものを恐れながら、その闇は人間の心のなかにもあることをみんながわかっていた。そんな時代の匂いというのかな。

(つづく)

「オウムと近代国家」(南風社)

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