西尾幹二 誰でも自分の思ったように自分の姿が他人の目に映っているとは限らないであろう

誰でも自分の思ったように自分の姿が他人の目に映っているとは限らないであろう。そもそも自分で自分がわからないだけではない。他人の目に映っている自分が、本当の自分だという根拠もじつはどこにもない。後世のわれわれは、歴史上の人物に関する複数の、たがいに矛盾した証言のどれもが真実であることを認めるほかないにしても、あれもこれも正しいという単なる相対主義に陥ることも、やはり同様に許されないのである。

自分を他人の目にわかりやすくしようとする衝動は誰にでもあるだろう。自分を主張したり、説明したりする動機は、大抵そうした伝達衝動に発している。しかし他人の目に自分を判りやすくする前提は、また、自分で自分をわかりやすくしてしまう欲望に通じてはいまいか。あるいは、自分で自分がわかってしまったとする傲慢に通じてはいまいか。人はなにか行動しようとするときには、自他に対するわかりやすさをともあれいったんは放棄してしまうほかない。


西尾幹二「ニーチェ」

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