「時間がない」を考える
ツイッターを特定キーワードで自然言語処理して、そのキーワードから妄想しなおすシリーズ
今回は「時間がない」ので、レッツゴー
Twitter検索について
まず、妄想に入る前に。テキストマイニングをしていて気づいたこと。
例えば、今回の「時間がない」で検索をかけた時、その言葉をまんま含むツイートではなく、
「時間」と「が」「ない」と形態素をわけて検索してしまっている。
なので、単語レベルに比べて自然語だとどうしても精度が落ちてしまう。
まぁ、今回は意図した内容じゃないものが多いけど、このまま妄想始めます。
「時間がない」x「専業主婦」
僕も在宅子育て&介護でワンオペ主夫のような生活なので、まずこれ。
検索していると「専業主婦」という言葉に対する意識が昭和・平成とずいぶん変化してことがわかってくる。
社会(というか男性)の専業主婦に対する不理解と、今時代、「専業主婦」という立場の表明のしずらさ。
無給のシャドーワークなのに、思いを持って専業していても、やって当然と誰からも評価されなかったり、子育てだけで楽だね。といった見方をされたり。
社会から隔絶された苦しさや思いは、なかなか伝わらないし、楽しんでも、苦しんでもいけないような、とても置き所の困る微妙な立ち位置。
ワーママと専業主婦の二項対立も頻繁に出てくるけど、その中身はもっと多様だし、子供の数や夫婦関係などによっても、ひとくくりにできるものではない。
ただ、昭和時代の「家族はかくあるべき」みたいな、CMに出てくるステレオタイプなアイコンを捨てて、家族(でなんとかします)という括りすらも一度解放して、もっと大きな家族的な仲間的な意識を取り戻すこと。
そして子供を持つこと(だけ)が重要なんじゃなくて、大人にも子供にも未来に明るさや希望を感じれる社会づくりが重要。
ツイッターやネットによって、内なる言葉が表明され、様々な人の立場や意見が垣間見れるになったけど、そうした言葉たちが、少しづつポジティブになっていくようになればいいのだろうなぁ。
色々な思いに引っ張られて、少し重くなったわ。
「時間がない」x「江戸時代」
時間がない。というのは、ちょっとしたパラドクスで、時間は「ある」ともいえるし、「ない」ともいえる。どっちだ?
使う時間がない。という意味では、それぞれの人生時間の有限性はあって、無限にはない。
人生100年時代と言われる昨今、むかしは50歳くらいで亡くなっていたし、明治維新の志士たちは、20代で命燃やして散ったわけで。
そう思うと、ぼくなんて、生まれる時代が違ったらもう死に際。
いやぁ、もっと人生エンジョイしなきゃだわ。
時代どころか、国が変わったら、シエスタとか昼寝は当たり前だったり、最近は書店に「睡眠術」系の書籍が目立つようになった。
時間をいかに使うか?という視点もそうだけど、人生の質や生産性をあげたければ、「もっと寝ろ」
という人の意見もよく目にする。
エンジョイといって逆になるけど、休めるうちに休め!って最近僕もよく思う。
子供ができてからは、なおさら、自分の時間はものすごく少ないので、短時間でも寝るようにしてる。
いつも目を閉じる時に、フィリピンあたりの戦場で、鬼軍曹が「敵の襲撃に備えて、寝れるうちに寝ろ!」と叫んでいる声が聞こえる。
ブーツをはいたまま、湿った木陰に、帽子をまぶかに被り、いつ叩き起こされるかわからない緊張感と、ぷんぷん飛ぶ耳障りな蚊の襲撃音に邪魔されながらも、睡魔にひきづられて闇に落ちる瞬間を妄想しながら。
これ、なぜか毎回思うんだよね。なんかの映画の影響かもしれないけど。
江戸時代関係ないわ。
「時間がない」
じつは、このキーワード、精度が悪すぎて、あまり面白いテキストマイニングにならなかった。
というか、否定語がはいると、どうもネットの薄暗い部分を照らしてしまうようで、言葉がなかなか進まない。
自己啓発でもよく言われるけど、否定語は自分にかえってくるので、元気いい時にディグるほうが良さそうだわ。
あ、遠くから鬼軍曹の叫び声が聞こえた。
キッズ来襲の前に一休みするかな。
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