制度や投資に頼らず、労働でベーシックインカムを得る
佐藤ひろおです。会社を休んで早稲田の大学院生をしています。
三国志の研究を学んでいます。
いまから詭弁を書きます。
百家争鳴で、まったく実現の見通しがないベーシックインカム(全国民を対象とした、毎月の定額給付金制度)。
それどころか現状、単発の給付金を出すだけでも、だれに配るのか、いくら配るのかが、全然決まりません。「お金は大事だよ」ならぬ「財政は大事だよ」なので、すんなりと決まらないこと自体に文句はないのです(きちんと方針をもって検討してもらえるなら)。
もともと、国家が全国民に区別なく(給付条件をつけず、資格を論ぜず)毎月、一定金額を配りましょうというのは、経済政策(いわゆる景気対策)という狭い範囲に留まることなく、「国民の幸福度を上げる」が目標です。国民の幸福とはなんぞや?なんて、結論が出るわけがないのだから、そりゃ議論が進むまい。
毎月一定金額が配られると、「生活費を稼ぐために、望まない仕事をさせられる」「賃労働がカツカツで、転職活動をする精神的・時間的余裕がない」という状況を解消できるのではないか、と言われています。
たしかに、労働に密着しなくても構わないのだ、という金銭的裏づけがあるだけで、だいぶ気分が変わるでしょう。
家計において、余剰資金をダブつかせる(生活費に余裕を持たせる)のが目的の制度だ。ダブついたお金で心の余裕を取り戻し、自分の幸せを見つめ直してね、というていどの制度です。月に20万円も30万円も配布して、国民を骨ぬき、労働なしの培養器に入れようというのではない。国民全員をろくでなし芸術家に仕立てる制度でもない。
なぜそれが言えるのか。1ヶ月に5万円とか8万円といった「少額」給付がイメージされている制度だからです。めちゃくちゃモメているわりに、生活が劇的に変化する金額ではなくて。もはや税金や社会保険料で吸い取られたお金が、ちょっと返ってくるのかな??ぐらいのインパクトしかない。
社会の不満や不平を一撃で解決できるのではないか?と夢を見られがちなベーシック・インカムですが(そういう煽り方がされますが)、要するに、「望まない労働にしがみつくことから、距離を取らせる」制度なのだ。この点に着目すれば、自分だけ、もしくは自分の周り(職場の仲間)だけでも、同じ効果を作り出すことはできるだろう。
いまから詭弁を唱えるんですけど(笑)、
「やりがいを持って仕事をしている」状態を、月の労働の幾分の一でもいいから作り出し、「喜んで働きながら得ている」賃金が、月に5万円ぐらいあれば、もはやベーシックインカム制度が達成された理想郷だ。
たとえば日給2万円ならば、1ヶ月のうち2~3日分ぐらい、「働いてみたら悪くなかった。ボランティアでやってもよいほど内なる喜びがあり、やりがいやスキルアップに繋がったと思えた」という仕事ができれば、それはもう、ベーシックインカム論者が目指す幸福の条件を、クリアしちゃってるんです。※詭弁ですよ詭弁
正社員は定額「働かされ放題」。アルバイトでも、週に何日以上はシフトを入れてくれ、という制約を課されがち。満足がいく労働ができたら、残りはお休み!!というわけにはいかない。
ただし、1週間に40時間(8時間*5日)働くべき、それでこそ一人前、という規範意識は、もはや不幸しか生まない。とりあえず、満足度の高い仕事が2~3日分はできる状況を作りだし、これに相当する給料をあたかもベーシックインカムのように認識したのち、
満足できた2~3日以外はロスタイムだ、働いてもいいし、働かなくてもいいや、それよりも自分の幸福度を立て直すことに頭を使おう、てな感じで、ベーシックインカム的な世界観のなかを生きてもよいのではないか。※ロスタイムにせよ、所定の労働は合法的に遂行しましょう
ベーシックインカム制度の導入によって得られる効果・幸福の設計は仮説でしかない。個人によって差異が大きいだろう。もともとからして、ふんわりした導入後の国民のありかた・働き方を、(相反する)賃労働をしながら達成した状況を作れないか、という記事でした。精神的勝利法、妄想なので、ぜんぜんロジカルじゃないです。途中で「共感できないわ」と脱落するひとのほうが多いかも知れない。
とりあえずぼくは、これぐらい考えないと、賃労働を継続的にやる、命ぜられた仕事をこなして定期収入を目指す、という世界に復帰することが難しいと感じています。もうすぐ2年半の休職期間が終わります。詐術、魔術のたぐいすら必要としています。
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