大学院生は毎年300万円ぐらいもらえる(日本学術振興会)
佐藤ひろおです。早稲田の大学院生(三国志の研究)です。
いま、日本学術振興会の特別研究員制度の応募書類を書いています。
大学院のなかにいると、「DC」「DCワン」「DCツー」とか聞きかじったことがあるかも知れませんが、外部にいるとサッパリですね。ぼくもサッパリでした。
まだ情報を集め始めて1週間ぐらいなんですけど、めちゃくちゃ浅い理解でいうと、「大学院生は生活が不安定だから、国?が将来性を認めた大学院生には、年間で300万円ぐらい支給します」という制度があります。
まじめに調べたことがありませんでした。
あまり有名じゃない気がするのは、申請すれば必ず受け取れるわけじゃないからです。「5人に1人がもらえたら、恵まれたほう」という感じでしょうか。満遍なくもらえる給付金とはイメージが違います。
期待値が低いので、「申請しなきゃ損!」という言われ方はしません。採用された人と不採用の人がいるので、気まずくて「目配せ」されます。自分から切り込んで、情報を取りに行かないと分からないことが多いです。
そんなに合格率が低いのか?
制度のことを調べ始めて1週間なのに、記事を書くなよって感じですけど、調べ始めだから、アウトプットするニーズがあります(自分に)。
間違ってたら、順次修正していきますけど、1週間で分かったことを。
まず体感値として、「5人に1人」ってことはない。「3人に1人」あるいは「2人に1人」ぐらい、合格している気がする。
これ、二重のバイアスが掛かっており、
・所属している大学院による
・不合格だったひとは研究の世界から去る
という生存バイアスによって、体感値が歪んでいるような気がします。目に入る先輩たちを見ていると、2人に1人ぐらいは合格している。
そして、ぼくが自己認知が歪んでいるのかも知れませんけど、「めちゃくちゃ優秀すぎて、何を言っているか分からない天才、足下にも及ばない超人たちだけが合格している」とは思えないんです。
ふつうに会話が成立し、同じ空気を吸っている先輩たちが合格しているように見えます。※先輩たちが、幼児と話すように「ひざをついて」ぼくと会話してくれている可能性は大いにあります。
ぼくは早稲田大学の大学院生(博士課程)なんですけど、他の学校だと全然違うのかも知れません。東京大学、京都大学なら、もっと高い確率で合格しているよ、って感じかも知れません。もしくは、身の回りに採用されたひとなんていない、採用なんて都市伝説だ、という環境もあるのかも。
研究テーマの近い先輩から合格した書類を見せて頂けるか。先輩たちから書き方について指導を受けられるか。一緒に書いている仲間がいるか。指導教員がどこまで熱心か。など、環境によってかなり合格率に差が付きそうで、「公平だけど残酷」な制度という気がします。
機会の平等、結果の平等、は教育論におけるトピックでしょう。
書類が面倒なので確率が歪む
「5人に1人が合格すれば恵まれたほう」という感触を踏まえると、申請書類を書くのがイヤになっちゃうんですけど、この書類の面倒くささが、合格率への認知を歪めている気がする。
純粋な確率の問題じゃないんですよ。
日本学術振興会の特別研究員(以下「学振」)の応募書類は、
・担当教員の推薦文が4,000文字
・学生自身が12,000文字
を書くことになっています。
ぼくら大学院生は字数制限に慣れていますが、学振では違います。Wordファイルのテンプレートが配布されて、「この項目は1頁に収めよ」「この項目は2頁に収めよ」と言われます。
説明用の図をいれたり、論文リストを入れたりするから、字数よりもページ数で定型化したいのでしょう。
だいたい、原稿用紙30枚~40枚の文章を書く必要がある。
すると、
(A)書き切れなくて(面倒になって)脱落する
(B)字数を埋めるだけで、ザツな文章になる
という大学院生が大量発生するだろう。
(A)面倒で脱落したひとは、「学振のお金が欲しかったけど、期限までに書類を書けなかった」ため、本来ならば競争倍率に含めるべきかも。反対に、(B)提出をしたけれど、ザツな内容だったひとは、提出後の競争倍率に含めるべきではない。なぜなら、ちゃんと書類を仕上げたひとにとって、(B)は恐い競争相手ではないから。
というわけで、書類を仕上げるのが「そこそこ大変」なので、採択の確率、競争率ってあんまり参考にならないと思います。
審査する先生は時間がない
学生1人あたり、申請するとき、原稿用紙40枚ていど(推薦文を含む)を提出することになる。学術論文が原稿用紙50枚という肌感覚からすると、「短めの論文」「研究ノート」ぐらいの字数が求められる。
書く方は大変ですけど、読む方はもっと大変です。
解説本をさきに読みましたが、その分野の一流・多忙・働き盛りの研究者のもとに、毎年50人分ぐらいの審査依頼がいくそうです。
これは悲劇でしょう。
「論文の査読」ほど大変ではないけれど、50人分の「研究ノート」を読むのは苦痛ですから、ほとんど時間を割けない。ザッと見て、3段階か5段階の評価をつけるだけ。
似たような話、知ってます。ビジネスでは「たまたま重役とエレベーターに乗り合わせ、1分以内にプレゼンテーションを終わらせ、許可をもらう」という場面がある。あんな感じですよね。
シンプルさが第一。もってまわった表現で、綿密に練り込んでも、「よく分からないから却下」となるでしょう。
学術雑誌に投稿する「研究ノート」以上に、簡潔さが命。簡潔さを損ねるぐらいならば、内容を大胆に削ってしまったほうがマシ。「あれもこれも」ではなく、アピールポイントを削るのがよさそう。
「学振は見た目が9割」という風説も、このあたりが理由だろう。
先生の推薦状と自己アピール
学振の提出書類は、おおきく分けると、
・担当教員の推薦文が4,000文字
・学生自身が12,000文字
の2部構成です。
忙しい審査者は、教員の推薦文と学生の自己アピールの「整合性」をまっさきに気にするのではないか(知らんけど)。
教員=他者の評価と、学生の自己アピールがまるで食い違っていたら、その時点で「わけが分からないから不採用」となるだろう。
教員が学生を理解していないのか、学生が自身を見誤っているのか、そんなことは書類から分かりません。「裁判」ではないのだから、真実よりも書面上の整合性が命です。
少なくとも、教員と相性最悪で、師事する相手を間違っている学生の研究がうまくいくことはないだろうし、不採用は適切か……なんて理屈を付けつつ、やはり「よく分からないから却下」でしょうね。
担当教員(「受入研究者」)が書くのは、
①学生の研究者としての強み(1000字)
②学生の研究者としての弱み(1000字)
③将来性を感じさせる成績・活動(2000字)
この3つです。②弱みは「弱み」というチクチク言葉が回避され、耳当たりのよい「更なる発展のために必要となる……」とか書かれていますが、要するに「弱み」のことですよね。
それぞれの項目で「改行」が3回程度しか認められていない。システムに直接打ち込むとき、制約がかかっています。
ということは、
①強みであれ②弱みであれ、③顕著な成績や活動であれ、多面的に網羅的に並べるのではなく、1項目あたり、2つか3つの観点・エピソードに限定してください、ということ。
①強みと②弱みは、「研究における主体性、発想力、問題解決能力、知識の幅・深さ、技量、コミュニケーション能力、プレゼン能力」という面から具体的に、とある。この中から2つか3つだけ選んで、項目を立てて書いてね、という意味でしょう。裏を返せば、ここに分類しにくいエピソードがあっても、強引に選択肢に収めるのがよいでしょう。
③顕著な成績や活動も、具体例があります。
推薦状のほうが優先
学振の申請書類をつくるウェブ上のメニューでは、学生の自己アピールを作り始めるよりも先に、教員に推薦状を依頼しましょう!という手順になっております。
指導教員にリードタイム(作業時間)を確保して頂くためだ、というのは分かるんですけど、もうちょっと深読みできるだろう。
推薦状のほうが、学生の自己アピールよりも字数が少ない。
審査員は、指導教員の(相対的に)短い推薦状を読んで、申請している学生の人物像をイメージを作ってから、自己アピールに目を通すのではないか。
大学教員は、文章を書き慣れている。
推薦状は読みやすいはずだ。
学生自身の「何が言いたいか分からない、肩肘張った自己アピール」は読むに堪えないので、あんまり読みたくないはずだ(知らんけど)。
さきに推薦状に目を通してから、学生の自己アピールで「参考程度に裏取りをする」という読み方をする。ぼくが審査員ならば。
何が言いたいかというと、推薦状を指導教員に丸投げするのではなく、納得がいくまで、付き合ってもらうのがベストなんだろう。むしろ推薦状のところで勝負が付いているのではないか??とすら思われる。
自己アピールの書き方へ
学生は自己アピールを書きます。
①研究を始める前提(背景、着想)2000文字
②研究計画そのもの 4000文字
③コンプライアンス対応 2000文字
④強みと弱み 4000文字
⑤将来にむけて 2000文字
まず潰したいのが、③コンプライアンス対応。
研究でコンプラ違反のリスクがあれば、対処法を書くという1頁のシートがあります。コンプライアンスは厳守が当然なので、書き方のバリエーションが狭い。機械的に片付けられる。
「該当なし」も許されており、2000文字を回避できる場合もある。
つぎに④強みと弱みが目に付きます。
学生用に具体例として掲げられている「研究における主体性、発想力、問題解決能力、知識の幅・深さ、技量、コミュニケーション能力、プレゼン能力」は、指導教員の推薦状と対応する。
指導教員が書いてくださった強みと弱みを自分でなぞり、より具体的に膨らましていけばよいのだろう。強みと弱みについて、指導教員は2000文字しか書けないが、学生は4000文字を書ける(書かされる)。推薦状の2倍の文字数が与えられているので、より具体的に書けばよい。
研究内容を表現するのは簡単
①研究の前提と②研究計画は、ある意味では簡単です。
なぜなら、これまで「人物の売り込み」みたいな不慣れなことを書いてきたけれど、①前提と②計画は、ふつうに論文を書くのと同じだから。修士論文の概要書、博士課程に入学するときにつくった研究計画書など、自分が蓄積してきたものを反映すれば良さそう。
注意したいのは、
・研究の題材が異なる、見ず知らずの先生が読む
・「概念図」が必須である
修士論文の審査、博士課程の入試は、自分の研究の題材を熟知した(途中経過で何度も指導をしてくれた)先生が読みます。すべての学術論文は先行研究のなかに問題を見つけ、認識を軌道修正していくものですから、同じ題材を研究している先生を説得(ときには論破)する必要があります。
しかし、学振は違います。
同じ題材が専門の先生が審査する確率は、ほぼゼロ。個々の題材について、「本当にこれが研究上の問題なのか」「研究計画で示した仮説があっているか?」までは分からない。分かる場合でも、審査時にそういう角度からは見ない。査読のフィードバックをするわけではないから。
つまり、「ちゃんと勉強している」というメタメッセージが伝われば、それだけで十分です。参考文献をあげよ、という注意書きがありますが、この程度は学部生のレポートでも同じです。あえて注意喚起しているということは、ちゃんと勉強しており、最低限の研究のリテラシーがあることが確認できれば、内容には踏み込まない。
ということではないか(知らんけど)。
テンプレートに「概念図」を載せて説明せよ、とあります。
上記の参考書では、つまり、概念図を必ず載せよ!ということだ!と解説していました。
ぼくはもう1つ踏み込んで、「審査するときに、概念図しか見ない先生がいる」という可能性を押したい。審査の先生たちからのリクエストで、この注意書きが加えられたのではないか。
そもそも、何の話なのか?(題材が何か?)を文章だけから読み取るには、ちょっと時間がかかります。概念図を見て、「ああ、その分野、題材の話なのか」という脳内地図を作ることが、審査の第一歩です。
Googleマップのピンみたいなものが立てば、あとはざっと見れば、「ちゃんと勉強している」かは感覚的に理解できます。
ぼくですら自分も出席した授業のレポートならば、学部生の文章を見て一瞬で「こりゃダメだ、勉強してない」と判定できるほどです。概念図だけを見て、脳内地図にピンを立て(題材を把握し)、あとは、ざっと見るだけで判定ができます。
将来像はポエムのようなもの
ここまでくると、最終ページ「研究者としての将来像」とか「学振の特任研究員の時期をどのように過ごしたいか」だけが残ります。
先輩たちが合格した書類を拝見しましたが、内容がまちまち。決意表明のポエムにならざるを得ないのではないか、という気がします。
審査するベテランの先生たち、いや学振の運営者は、こういう「若者の決意表明」みたいなものを書かせたいんだな、と感じます。
裏を返せば、
決意表明の1頁2000文字だけで、「水準に達していないから落選だ!」と判断することは難しい。記入にモレがあるとか、他のページと比べて著しい知能の低下が見られなければ、スルーではないか。少なくとも、ぼくが審査員ならば読み飛ばします(笑)
以上が1週間で学振申請書について情報収集し、ぼくが考えたことです。
・0日目:IDとパスワードを発行依頼
・1日目:基礎情報と予算計画書をつくる
・2日目:強みと弱みを考える(先生とすりあわせ)
・3日目:強みと弱みの自己アピールを書く
いまここ。5月9日が締め切りなので、あんまり時間がないです。本当は2ヶ月以上かけるべきなのに、数日で終わらせようとしてる。
これだけ分析しといて、ぼくが採択されなくても笑ってください。初めて申請書を作ろうとして、たった1週間前に着手した博士課程の学生の言葉なので、話半分でお願いします。
黙って自分の書類だけ書いていればいいだろう、という気もしますが、気づいたノウハウはアプトプットしないと、気持ちが悪いんです。社会貢献とかじゃなくて、単なる宛先なきオセッカイ。
また、自己アピールとか自己批判をしていると、へんな高揚感と自己嫌悪を往復してメンタルが追い込まれるので、こうやって吐き出しながら書類を作りたかったです。けっこうしんどくて脱落しそうです。