腹八分目で働きたい/たまに働くと楽しいよ、毎日働くとちょっと飽きる
佐藤ひろおです。会社を休んで三国志の研究をしています。
かれこれ1年以上、「賃労働を1秒もしない」という、サラリーマン時代には夢のような生活を送っているわけですが……。正直なところ、「ちょっとぐらい賃労働したいかも?」と思うときがあるんです。
食べ物でたとえたら分かりやすいと思うんですけど、
・まったく食べない→死ぬ
・食べ過ぎる→気持ち悪くなる、太る
・同じものばかり食べる→飽きる、心か身を病む
・腹八分目→自制心が必要だが、体調がいい
という、小学生でも分かる経験則がありますよね。
賃労働も同じ。人によると思うんですけど、1日8時間、週5日というのは、ぼくにとって「働き過ぎ」だったんです。だからつねに、「働きたくないでござる」と唱えてました。
いかに「合法的に」働いていない状況を確保するかで、フレックスタイム、有給休暇、出張、直行直帰などの組み合わせを思案し、そのことに脳みその6割ぐらいを使ってました。 #働け
でも現状、まったく働かないというのも、ちょっとさみしい。
「働きたいのか・働きたくないのか、どっちなんだ。ハッキリしろ」と言われても困るわけで……。それは、「アイスクリームを食べたい」と同じです。アイスクリームは好きですけど、3食アイスクリームにしろと言われたら、お腹を下して太ります。
激務で過労中のひとには、フザケルナって言われそうですけど、労働って、アイスクリームや焼きビーフンみたいに、「たまに食べると美味しいよ、毎日食べるとちょっと飽きる」ものです。
たまに働くと楽しいよ、毎日働くとちょっと飽きる!!
働くことで得られるもの
賃労働は、他人の指揮命令のもとで動きます。人生ずっと「指揮命令下」だと幸福度が落ちまくりだと思うんですけど、
「活動の意義・必要性を自分で考える必要がなく、せっせと動きさえすれば、世間さまの役に立つ」
という状況は、わりとおいしい。別のひとが設計してくれた「役立つこと」のレールを走るだけで、社会貢献できます。麻薬的ですらある。
働きさえすれば、リスクゼロで(法律に保護されて)、100%の確率で報酬を受け取れます。
自分でビジネスをしたり、投資をしたりすると、「労力が必ずお金にかわる」というのは、稀有のことです。がんばったけど1円にもならない。それどころか、時間もマイナス、お金もマイナスに終わった、ということが、ザラにあります。
賃労働は、他人と関わります。対面の要素がすくない仕事もありますが、それでも、「一切のコミュニケーションを遮断した仕事」はあり得ません。経済の仕組みに乗っかり、たがいを半ば強制しあいながら、コミュニケ-ションに参加できます。
「なぜ、ぼくと喋ってくれるの?」「ぼくがあなたと喋って、なんの意味があるの?」みたいな本質的な問いを回避できます。仕事だから付き合ってるんです、、以上!!
ぼくは内向的な人間ですけど、残念ながら、コミュニケーション断食には耐えられません。欠点みたいに書きましたが、ほどよい社会への渇望感、参加したい意識は、悪くないと思ってます(笑)
他人の指揮命令下で「自動運転」したい、それで「100%保証された報酬」を受け取りながら、「他人と関与」したいなーって思ったときにだけ、賃労働をしたい。
ぎゃくに言えば、自分で全責任を負って熱中したい、ってときは、働きたくないし、お金が減っても何かを実現したい、ってときは、定期的な労働はジャマでしかないし、他人と関わりたくない、ほうっておいてほしい、ってときも、働くのはイヤです。
ぼくが若いとき(15年くらい前)ならば、「腹八分目みたいな働き方がしたい」って言っても、「なめてんのかボケ」って殴られたと思うんですけど、なんやかんやで、容認する風潮、実現する選択肢が増えているような気がしています。大学院のゼミ報告がんばろー。