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「弁証法的行動療法⑤」疑いようのない承認こそ求めていた、境界性パーソナリティー障害・複雑性PTSD

弁証法的行動療法を読んでいて気づきました。
私は心からの「承認」を求めていたのだと。

治療者は患者を「承認」しましょう、みたいな「承認」ではありません。

傾聴しましょうとか、
否定せず聞きましょう、みたいな上っ面の承認ではなく、
「承認」せずにはいられないぐらいの強い気持ちしか反応しません。

それぐらいの気持ちで向き合ってもらえなければ、
心が動かないのです。

治療者と患者の乖離が、大きすぎることに絶望します。
その絶望を伝えることも出来ません。

先日、別れる夢をみました。
あまりにもリアルな内容で、目が覚めても泣いてしまいました。

夢の中の別れの時、引き留める言葉も出ず、
それなのに相手の表情は、笑顔だったのです。
そしてトラブルが重なる夢でした。

もう20年も前の別れの出来事を鮮明に思い出しました。
悲しみも鮮明で、途方に暮れている感覚は今も続いています。

この悲しみを、心の底から承認して欲しいのです。
単なるフラッシュバックと片付けて欲しくないのです。

患者に寄り添うと言われますが、
本当に寄り添えているのか、どう判断するのでしょうか。
私は治療者に忖度します。
通えなくなったら困るのは自分です。
診断書もお願いしないといけないし。

弁証法的行動療法がわかってから、
私が求める「承認」など無いのだと理解しました。
そして、私の周りの人々は優しい「承認」をしてくれています。

自分が求めている「承認」について考えてみてもいいと思います。

お読みいただきありがとうございました。

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