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さよならなんて、言えないよ


なんもしたくない。どこへも行きたくない。これがペットロスというものなんだろうけど、どうにも体がスカスカになったようで(実際にはやけ食いで太っているのに)力が入らない。悲しいというより具体的に調子が悪い。


先月の28日、ごはんちゃんが三途の川を渡った。おりしも私の誕生日とハロウィンパーティーで家族が全員集合していた。ピザーラのカレー・モントレーを食べることが主な目的で、あとは軽く仮装をして写真を撮ったりして浮かれていた。ごはんちゃんはいつも通りで抱かさって写真に写ったり、おさしみがないかチェックしたりしていた。それが突然苦しげに口を開け、変な声を上げながら涎を垂らし始めたのでビックリした。ポン太の時もそんな感じだったので、イヤな汗が背中を伝った。

抱き上げるといいタイミングでコロンとUP(ウンポロ)が出たので、思わずみんなで笑ってしまった。なんだよ、便秘だったのかよ、と安心したかった。でも苦しげな様子は変わらない。喉に何かが詰まっているでもない。とにかくトイレに行かせようとするが、その時はもうフラフラでコテンと床に倒れてしまった。

ヲタメは救急の獣医を探し、残りのものはただオロオロとごはんちゃんを囲む。何もできずいるうちにごはんちゃんは床をバリバリとひと掻き、ふた掻きし、動かなくなった。

そんなバカな…と思いつつ、そおっと抱き上げると首がガクン、と落ちる。
まるで刑事の殉職シーンだ。ヲタメに間に合わなかったよ、と告げると、みんな泣き始めた。いや、ザリガニとJ子はとっくに泣いていた。そしてJ子の彼氏ちゃんまでが泣いていたのでヲタメとわたしは冷静さを取り戻した。

ポン太の時は二人でかわりばんこに抱いて見送ったし、ごはんちゃんがかなりヨボヨボなのも家にいつもいる私たちはわかっていたから覚悟はしていた。でも小学生の頃から猫たちと一緒にいるJ子とザリガニにしてみれば、木登りしているごはんちゃんとか、いさましい姿ばかりが思い出されて、それが失われていくのはつらかっただろう。子供の頃は私もじぶんちの犬や猫がしぬなんて、あんまり考えていなかった。親とか周りの人もしなないと思っていた。そんな心配をしていたら、子供としてはやってられないのだ。だからないことにして日々を生きていた。

昔飼っていた犬や猫がしんだ当時はだいぶ落ち込んだ。「いきものはしぬんだなぁ。だからいきものっていうんだなぁ」と「生と死」をやや受け入れ始めたある日、母がくも膜下出血で倒れた。その時ほど泣き叫んだことはない。結局わたしはまだ「母が死ぬわけはない」という子供じみた夢の中にいたのだ。母は手の施しようもなく5年間植物状態のままで亡くなった。その間にわたしはJ子とザリガニを産んだ。母はほとんど反応がなく、口から食物もとれなかったが、子供たちを見せにいくとわずかに笑ってくれた。

そんな体験を通して、少しはタナトロジーっぽいものについて考えるようになった。受け入れていくしかない。なにせ全ての「いきもの」は死亡率100%なのだから。クラゲは違うのかな?だからってクラゲになりたいわけでもない。

ごはんちゃんを囲んで、みんな黙って綺麗な毛並みを撫でていた。かわりばんこに抱っこもしたが、ザリガニは泣きすぎて抱けなかった。みんなが帰ってからごはんちゃんの毛布をたたんでいたら、またコロンとUPが出てきた。ふた笑いとって天国に逝くごはんちゃんはさすがだと思った。

#ペットロス
#猫
#生と死

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